好きとか嫌いとか、やりたいとかやりたくないとか。
「子どもが好きなの?」
「んー、好きですけど、扱いはまだまだだなーって思います」
自分がよくわからない。その不安がこういう会話に現れる。
大学4年間、子供に関わるボランティア活動を行っていた。
子どもはかわいいと思うし、一緒に鬼ごっこしたり、ぷくぷくほっぺを触るのも好きだ。
なのに。好きと言い切れない。
自分より明るく、子供に好かれる人たちが周囲に多すぎるからだろうか。
「私なんかが好きって言っていいのだろうか?」
そんな思いが頭の中を駆け巡る。
”好き”って、誰かと比べるものじゃないのに。
「自分が好きだと思うなら好きでいいんだよ。」
感情の取り扱い方がわからない私を見かねて、声がかかる。
そんな声を聴きながら、「本当は好きじゃないからかも」「これまで周りに流されて活動してただけのかも」なんて思ってしまう自分もいる。
本当に、わからないのだ。
感情って何だろう。
自分にしかわからないものだし、露わにするもんじゃない。
人に伝えるものじゃない。
露わにしたら、迷惑をかけてしまう。
私の意見や感情で波風立ててはいけない。
そう思って自分の中にしまい込んできた色々な感情は、出口をなくして心の奥にしまい込まれているうちに区別がつかなくなってしまった。
今、私は楽しいのか。悲しいのか。好きなのか。嫌いなのか。
自分がどう感じたのか。
困ったことに、わからないのだ。
いつから、とかは覚えていない。
子どもの頃から自分の感情を表に出せずに、何かあると部屋の隅で体育座りをして黙り込む子だったのだ。
だから、しまい込まれた感情は時々反乱を起こす。
自分がしたいことや、何を思ったかを言おうとする時。
核心を突いた指摘をされた時。
まるで感情が外に出たがっているかのように、涙がこぼれてくる。
悲しいわけでも、怒っているわけでもない。
ただ、心が少しでも動くと、涙が出るのだ。
でも、なんで心が動いているのか、わからない。
人と話している時に突然泣き始めるやばいやつになってるから、
「涙よ、止まってくれ」
と思ってしまう。
そうすると余計にあふれ出す。
折角感情を教えてくれている涙をも、大事にできないでいる。
以前は、自分はあまり感情を表に出さずに、激昂したりしないタイプで、感情を上手く扱えてるのかと思っていた。
でも、全く反対で、理解できていないから表しようがないのかもしれない。
ごめんね、私の心。これまでないがしろにして。
少しずつだけど、これからあなたのこと、知りたいな。
そしたら、私のやりたいこと、見えてくるかな。
自分を主人公にして、生きていけるかな。
今更だけど、あなたと仲良くなりたいな。
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