だから今日もぼくは介護施設で写真を撮る
介護施設で働いていると、高齢者と言われる人たちの
たくさんの日常に触れる。笑ってるところ、しゅんとしてるところ、
泣いてるところ、怒っているところ、苦しんでるところ、
この表情をそのまま記録に残す。
その蓄積が思い出となって本になる。
看取り本って「作りたいな〜」と思っても
いつ最期を迎えるか分からない。
「生きてるうちに作るのもダメなの?」と
たくさん声をもらうけど今は「作るかな」とは思わない。
どのタイミングで作るかって大事だと思う。
「作ったら喜ぶよ」それはそうだと思う。
けど、「今年は作ったけど来年は?再来年はお祝い年だから
もっと豪勢な特別なやつを頼むよ」ってなるのは違うと思う。
じいちゃん、ばあちゃんは特別に毎日を生きているんじゃない。
生きている毎日で特別に出会うんだ。そう思う。
例えば、口から食べるのことができなくなったばあちゃんが「好きな食べ物は?」と聞かれて「イモ!サツマイモ!!」と話したら、よだれがデラデラと出てきて、そこから口から食べることをもう一回始めた話とか
歯磨きして、うがいして、しゃべって、笑って、水飲んでみて、ゼリー食べて、やっとイモ。だけどペースト、、、なんだけど
見るだけでばあちゃんはよだれが出てるわけ。一口食べて
「うめぇ〜」
あの表情が特別なの
特別は日常の中にある。日常があるから特別がある。
写真は貯まってきてる。この写真を使うのはいつだろう。
そう思う反面、日常での表情を今日も写真に撮る自分がいる。
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