虎に翼 第123回 雨だれなどと名づけなくても
ドラマの鑑賞も十人十色でいい。今週のトラつばで「最終回」に向けて社会性と呼んでもおかしくない、メッセージ性あふれるテーマをつめこんだ万華鏡のような人物列伝が、うねって飛沫を上げながら収束していくように感じた。まあ、その予感にしても、自分が勝手に汲み取って、勝手に想像しながら、勝手に思いを拗らせているだけなのだ。
今までいろんなテレビドラマを楽しんできた人であれば、虎に翼が過去のドラマに比べてどれくらい稀有なものかと、比べることでの楽しみもあるかもしれない。地続きである「ドラマ文化」として眺めることでの、違和感を洗い出すのも大変だけれど、充実した作業になるかもしれない。逆に、佳かった点をあげることが得意な人であれば「ここが違う」という比較は、かえって今までのエンタメ感覚を逆撫でされるように感じることも、あるんだろうなあ、と推し量ってみたりもする。
私は今まで、わりと最近であれば『エルピス』(脚本・渡辺あや)であったり、さらに遡るならクドカンの『タイガー・アンド・ドラゴン』『真夜中のやじさんきたさん』あたりにハマった記憶があるくらいで、それがいきなり『虎に翼』の沼にずぶずぶハマった。なので、あるドラマを鑑賞する前と後とで、ドラマの見えかたそのものが劇的に変わってしまうという典型を、トラつば後に実感することになる。おそらくは。
前置きが長くなりました。
123話については、↓メモ的なものを雑に書いているので、
いままた「123回」としてまとめ直すのが少しおっくうになっている。でも15分の尺をどう使うかという構成のお手本みたいな回である。また同時に、複数の人生やテーマを並行して描いていくためには何が大切か、その認識を文字起こしするのは意味があるだろうが、面倒いしどこまで必要があるのかとも思う。できるだけ短く書いてみようかと。
虎に翼 第123回
寅子が家裁少年部と猪爪家という二ヶ所で「今あるべき少年法とは」という(ような)意見をつのる。
家裁では調査官の音羽が「愛」という抽象的な概念に引き摺られないドライな意見をきっちりと述べる。これ、全体の流れのなかでもピンポイントで重要なものの見方でもあった。朋一が「家裁の人員不足を個人の熱意で補おうとしてきたことでの歪みが今」という音羽の話に「それは……確かに僕もそう思う」と口ごもる。生来、現実主義でものごとを斜に見がちという朋一は、良くも悪くも寅子の影響を受けてか、やたらと頑張る人になってしまっている。そこから彼がどちらを向いて生きていくか。
かつて、寅子の新潟への辞令を出したときに桂場が「きみの『はて?』は以前とは違う威力を持っていると自覚せよ(意訳)」と指摘した。おそらく、簡単に影響されるのは若者の特権だが、威力を持つ側もそのことを自覚せよ、ということでもある。若手判事が「群れたり団結する」ことを嫌っての人事をおこなったのが桂場であり、その結果、朋一が東京家裁に着任していまここにいる、と思うと、含みのようなものを感じる。
美佐江とよく似た少女に「佐田さん?」と声をかけられる流れも、音羽の調査案件から派生している。美佐江のことは、視聴者が思う以上に、寅子の中では心残りの事件として尾を引いているのかもしれない。母のはるさんが、亡くなる間際に「どうしても」と道男に会いたがったこととも重ねている筋運びだ。
そして登戸(猪爪家)。直明が近所に引っ越す。ようやくの独立だ。彼にとっての戦後がようやく一区切りついたのかもしれない、という言葉は、第125回での「長官の膝で目が覚めたときからなんだか心の蓋がとれたような(意訳)」と航一が自分にとっての戦争が一区切りついたのかも、というのとも重なる。直明はこの時点で他に心情の補足説明をしていないが、自分にも法制審議会への協力要請がきたけれど断わるつもりだ、手の届く範囲の少年たちに全力を注ぐことを優先したいからと。
人事異動が常である家裁での「意見を募る」は、寅子の心象における「今」のクリッピング。対比する猪爪家は、より長いスタンスでの家族たちの動向が細やかに描かれている。同時に「少年法といわれてもピンとこない」という花江や、雀荘やジャズの仕事場まわりでたむろす若者たちの様子を伝える直治と優未、自分が手がける少年事件も軽犯罪が多いという瑞穂(直人の妻)。家裁の同僚たちと比べるともう少し長く緩やかな感覚での「定点観測」的な視点を、求めに応じて寅子にレンタルしてくれる、というイメージだ。
そして寅子の「もう一つの世界」という並びで描かれる、司法試験を受けるため上京してきた凉子と女子部の仲間たち。「ともに闘う仲間」とキャッチコピーをつけたくなるが、それ以上に、ともに学んで切磋琢磨する仲間という意味は強い。一緒に星家のリビングでよねが準備してきたプリントに向きあう仲間たち。それを見て、目に浮かぶのは明律での風景だし、聞こえてくるのは海鳴りの音。聞こえてくるのは寅子が歌うモンパパ。それらが怒濤のように甦り、そして未来へと潮は引いていくのだ。雨だれなどではなく。