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日記 パーソン・オブ・インタレスト序章を再見とか色々。

仕事とか家事も、「も」というか「主語はどれだよ」と言いたくなるけど、毎日コツコツと修行のように自分に課すようになると、自我というよりその「日常業務」のほうが人生の主役として全面に出てくる。そういう感じ、逆に面倒くさくて手放してからすでに結構になる人間、それが私。めんどくさがり、と片づけるのもちょっと違うけど、そこらへんを掘るのは別テーマになるのでまたの機会に。

で、日記を書くことも「仕事が人格を持つようになる」のと一緒で、書いているうちに「生活のついでに記録をつけている」のではなく、日記を書くために生活している。それが高じて人生そのものが「日記というツールをあつかう作品」とか、アーティストの生き様みたいになってしまうことさえも。ありがち。

文章ではなく自作の絵やコラージュをノートにちりばめるとか、そういえば萩尾望都さんもずっと大判のクロッキー帳に、日々、スケッチやクロッキーだけではなくアイディアやメモをぎっしりかきつけて、それがもう何十冊にもなっているという話をインタ記事で読んだことがある。

糸井重里のほぼ日・本日のダーリンで「次第に自分が日記を書いているのではなく、日記が自分になってくるような印象が」と横尾忠則氏の言葉を引いていたのは、わりと最近だったかな。

『光の君へ』とか見ていると、当時の貴族たちが公私にわたって書き付けた書が「作品」として読まれ、人気を呼んだもののなかで現代に至るまで読みつがれてファンを増やしているものも多いのだと。わかりやすいしね。

枕のつもりが長くなりましたが、自分はね。
この夏、ダラダラと過ごしている日常で自己肯定感が駄々下がりとなることにイヤケが差してきました。他に書きたいこともたくさんあれど、まずは、在宅で仕事(原稿を書く。ただ、ありがたくも依頼されて書くものは、たいてい呻吟艱苦で固くなりがち、なのに、と周辺の人間関係もこじれたり面倒くさくなりがちで、これまた生きる意欲を削いでくること多)が捗らないのは、このところドラマばかり見ているせい、と。

そうやって逃避する自分を叱りつける親や教師の声を幻聴で聞き続けて精神がダメージを受けることは、じつは、もはや少なめ。学生時代に試験直前になると映画館にこもりたくなって、でもあの経験を今振り返ってみると、したくもない勉強や卒試準備で心を殺して機械的な練習をしないで本当によかった。同時に、毎日最低でも2、3作というペースでたくさんの映画をみて、しかも私はその記録をけっこうこまめにノートに書き付けていた。(数年前の断捨離ブームのときにそういう帳面もまとめて捨ててしまったけれど、それはそれ。セラヴィ)

あの経験がどれほど、のちの自分の財産になったか。
なので、仕事が捗らない言い訳や、日常の自分のレコーディング(記録)を散文では書ききれない「現時点でのオノレの文才の貧困」を嘆くより、いまは、見たドラマの記録とメモ。どういう扉(興味)がそこから開いて、新しい地平の可能性は見えているのか、的なことをね。今日はこの日記に書いておこうかと。


長くなったので、さっき見た『パーソン・オブ・インタレスト』のパイロット版「序章」のメモだけ。

日本で放映時に追いかけて全話鑑賞済みなのだけれど、そういう「好きですでに知ってるドラマ」でも、何年かに一度、また見てみたくなる。特に最初の一話(パイロット版)は、いわばお試しで制作されることも多く、どういうドラマにしたいかという、制作側のアイディアや夢や野望がぶっこまれていることが多い。見応えがある。

第一シーズンを見ていたころは、スピルバーグ監督トム・クルーズ主演の映画『マイノリティ・リポート』がSFとして描いていたAIによる未来予測で犯罪を防ぐという設定がもはや現実の世界であたりまえのようになってきた、というテーマだという理解だった。

でも、さっき見たら、あらためて刺さる要素がてんこ盛りではあるものの、自分もここ数年でいろいろ見たことで少し鑑賞の仕方が変わったのかな。そんなふうに思ったのでした。

カヴィーゼル演じる主役リース(制作総指揮が『ロスト』も手がけたJJエイブラムスだから、主役が全編通じての主役ではないかもしれないという危うさもあって、それまた作品の魅力)は、死んだことになっている元アメリカの工作員。ニューヨークもしくは全米を監視する「マシン」という名の情報制御システムが存在し、その仕組みをテロ防止を目的として作った天才プログラマーが、ジョン・リースに「自分の手足となって、マシンが予告した(テロに直接関係はないとみなされ切り捨てられてしまう)犯罪による被害を最小限に食い止めてほしい」と提案する。

この、死んだことになっている主人公というのは、いわば「人生をあきらめて死に場所を探している」という限界点にいる。そういう相手に、男が「自分もその気持ちは知っている」と明かした上で、それでもせっかくの能力を腐らせるくらいなら臨時でもいい、自分に雇われてみないかと説得する。いわば死人が死人に「生きる目的」を与える、みたいな展開、いまの私が見るとけっこう……くるなあ。

ドラマのシリーズとしての見所をパイロットで見せる巧さ
①フィンチ(マイケル・エマーソン)がリースを口説くときの、プレゼンが上手い。シナリオの巧さってことだと思う。
②マシンが社会保障番号だけを情報としてリークしてくる。それをもとにリースが「まだ起きていない事件」の背景を調べて、事件の現場にさきまわりする。この「先回りする」のは、やはりSF映画の金字塔でもある『ターミネーター』と同じ見せ方になるんだなあ。惚れ惚れ。

あれ? ポイント三つで書いておこうと思ったのに、3つめは何だったっけ。すみません、思い出したらあとでしれっと追加しておきます。


ちなみに、8月から9月にかけては『マダム・セクレタリー』を同じように全話鑑賞(三度めくらい)しましたが、これは『コバート・アフェア』『ホームランド』と並行。同じように、パイロット版が好きで、何を観てよいかわからないときによく手が出るのは『メンタリスト』『ミディアム』あたりかな。他にもたくさんあるけどね。

もう一つ追加メモ。なんとなく、半分寝ながらうっかり『西園寺さんは家事をしない』をオンエア済みの十話まで、配信で流し見。今期、こんなふうに子連れシングルファザーの物語という共通点で結ばれた『海のはじまり』も見てますが、もう一つの共通点は主役がどちらも元ジャニーズ系のタレントだということ。つれづれ。

書き殴りの駄文ですけど、イマココだけではなく将来の自分にとって、おそらく大切なことばかりを書けていると思います。おつきあいくださってありがとうございます。

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ゆずぽん@夢は世界征服な犬
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