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因縁は、懺悔で断ち切る鎌倉の旅
旅に出ると、どんな場所も唯一無二の歴史を持ち、それを時代と共に積み重ねてきたのだと感じます。
幾重にもなっている地層のように、歴史が上へ上へと重なっていき、知らぬ間に、今そこにいる人にも影響を与えている。
例えば鎌倉で感じた、あの土地に残る因縁というか、強い念みたい感覚。
そして、それを救おうとしているように感じる、たくさんの古い仏像たち。
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仏像の前にある「懺悔文」を閻魔大王様の前にて合掌して心静かに三度唱えると、今まで犯した罪は全て許される、とある。
とりあえず唱えました😊
仏教(閻魔様)は全ての人を救いたいと願っています。
前生で悪業を行い地獄の苦しみを受けている者でも自らの罪を認め心から懺悔すれ ば、閻魔様はお地蔵様に身を変えて地獄の底まで救いに行きます。
仏教(閻魔様)は皆様が全ての存在に価値を見いだし、感謝と懺悔のあ る充実した「安心」のある人生を送られる事を願っています。
私は普段「懺悔」とか「あの世」のことを考えてはいません。
まあ、それが普通ですよね。
なのに鎌倉を歩いていると、血生臭い歴史を抱えているためか、何かを刺激され、場所によっては近くにいくだけでしんどくなる。
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この行事によって、観音様の御御足に直接触れることができました。
歴史の必然のように、鎌倉時代は仏教が栄えた時代。よって霊験あらたかなお寺もたくさんある。
そんなお寺で仏像を見ると、救われた気持ちになる。
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一応実家の宗教は仏教ですが、私の家ではマリア様とガネーシャが並んで置かていて。
ような不届者の私が、鎌倉でお寺巡りをしていると、めちゃくちゃ、
「み、みほとけさま〜(ありがたやー)
となる(笑)
それが私にとっての鎌倉。
つまり、めちゃくちゃ観音様推し、仏像推しになってしまう場所。
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宗像三女神を祀る江島神社
前回鎌倉に行った時は、大河ドラマはちょうど鎌倉を舞台にしていました。
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オグシュン、ごめん。見ていて途中で何度もあなたを嫌いになった。
(ドラマとしては大成功)
そのドラマの中で、最初は頼朝が、途中からは執権となった小栗旬、ではなくて、北条義時が、御家人たちの中で優秀な人間を、次々と粛清していく描写があります。
優秀だからこそ、自分を脅かす危険があるからなのですが。
ドラマなので、血生臭さはすこし控えめにしているのかもと思うと、
鎌倉!
なんてこと!
と戦慄します。
そりゃあ慈愛に満ちた観音様が乱立しますよ。
凄惨な殺された方をした仲間を救いたいと思うし、あんなこんなをした自分もまた、救われたいと思いますし。
あんなことをした人のことも救ってくださるの、仏教って懐深すぎ!
懺悔さえすれば許してくださる閻魔大王様、私がいうのもなんですが、本当にそれでいいのでしょうか?
それまでは雅な雰囲気が漂う中での血生臭さの京都とはまた違い、武力とか戦いとか。
もう、力!
の一辺倒で薙ぎ倒して行ったイメージ。
(知力や騙し合いも含む)
それはもう、700年経ってもなお、そこかしこに、あんなこんなのエネルギーが、まるでつい昨日のように残っていてもおかしくない。
そして、同時に鎌倉には、それを鎮めようとする慈愛のエネルギーが、他のどの場所より多くあった気がします。
京都は陰陽師の力でそれをねじ伏せようとしたイメージですが、鎌倉は、多分、中枢にいた一人の北条政子が「母」だったからなのか。
慈愛エネルギーが同時にあちこちに溢れる街になったのかな(個人的見解)
今回旅をして、鎌倉は血塗生臭い武士と母の慈愛いう、どちらも血(命)にまつわるエネルギーの場所だと思いました。
よく先祖の因縁とか、前世の罪とか、生きてきてこれまでの罪とか。
色々あると思いますが。
それらは懺悔すると許すよーと閻魔様がおっしゃり、母の愛で癒すよーと観音様(性別はないらしいけど,母を感じる)が抱きしめてくれる。
それでいいのね!と思いました。
毎日ご先祖様に手を合わせる。
感謝と全ての罪の懺悔を繰り返す。
自分の罪、先祖の罪、全ての人の罪。
それを一人の人間として懺悔し、今生きていることに素直に感謝する。
昔から言われていることが正解なのだと思いました。
また鎌倉に行きたくなった。