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【古代浪漫】草薙の剣 流浪記録(古代ヤマトのエクスカリバー?)

熱田神宮を参拝した時に、神宮(皇族系の神社)なのにやたらに出雲の神様に出会い、何故なのかと疑問を持ちました。

熱田神宮の摂社末社
(出雲系の神々を祀る社の一部)

ちなみに神宮なのに出雲の神様がいたら何かおかしいの?という方のために。
例えるなら、阪神タイガース球場の資料館的な部屋に、阪神OBの活躍の紹介パネルに並んで、巨人OBの写真やサインボールが結構な量で飾られている感じ、かな。
なんでここに巨人のOBの写真があるの?となるかと。

伊勢巡りから帰ってすぐに調べまして。
熱田神宮と出雲系の神々(スサノオとその一族)に共通するキーワードは何を置いても「草薙剣」でしょう。
現在は熱田神宮に安置されていますが、もともとはスサノオが手に入れたものですから。
なのでまずは草薙剣の歴史などについて調べることにしました。

素戔嗚尊が八岐大蛇から救い出して結婚した妻のことを思い読んだとされる和歌の歌碑
(二人の新居だったとされる
島根県須我神社より)

早速、草薙剣についてネットで調べてみたところ、「呪いの剣」と呼ばれているとのことが判明。
え、エクスカリバー?(呪いとは違うけど)

実物を見ると祟りで死んじゃう(八咫鏡にも同様の逸話あり)。
第二次世界大戦の時に草薙剣の封印を解いて当時のアメリカ大統領を呪い殺した。
実はウランでできている。

ネットから拾った情報

違うの。私はそういうことを探しているのではないの。
ただし、封印を解いて時のアメリカ大統領を呪い殺すシーンの再現など、若干オタクとしてワクワクするネタもあったけれど(笑)

その中で「帝都物語」にも出てくると記述を見つけ、Amazonで購入し、ただいま帝都物語を読み始めております(笑)
「タ・イ・ラ・ノ・マ・サ・カ・ド」
そうなのかーー!(ワクワク中)

話を戻しまして。
一般的に伝わるほうの様々な伝承を時系列で並べてみます。

❶日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった。

❷スサノオは、八岐大蛇由来の神剣を高天原のアマテラスに献上した。

❸天孫降臨に際し他の神器と共にニニギノミコトに託され、地上に降りた。

❹崇神天皇の時代に天叢雲剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移された。

❺景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す。

❻ヤマトタケルの死後、天叢雲剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケル妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けた。
これが名古屋・熱田神宮の起源である。

天叢雲剣 - Wikipedia

Wikipediaに書かれていた内容に番号を振りました。

ちなみに草薙剣の最初の名前は「天叢雲剣」。
ヤマタノオロチがいるところには、常に空に雲がかかっていたことから、天叢雲剣という名前が付けられた、とあります。
草薙剣となったのは、ヤマトタケルが野原にいる時に火をつけられ窮地に陥った時にこの神剣(天叢雲剣)で草を薙いで窮地から逃れたことから呼び名が変わった。
つまり天叢雲剣と草薙剣は途中で名前が変わっただけで同じもの。

❶で天叢雲剣を手にしたスサノオは❷でそれを天照に献上。
❸で天照は他の神器と共に孫のニニギノミコトに天叢雲剣を託して人間界に降臨させます。
そうして、皇居(宮中)に置かれることとなった。

(その後天叢雲剣は)皇居内に天照大神の神体とされる八咫鏡とともに祀られていたが、崇神天皇の時代に、皇女トヨスキイリヒメ(豊鍬入姫命)により、八咫鏡とともに皇居の外(倭の笠縫邑)で祀られるようになった。

天叢雲剣 - Wikipedia

❹で、トヨスキイリヒメとその後その役目を引き継いだヤマトヒメによって、伊勢の地が天照大神のご鎮座の場と決まり、現在の伊勢神宮に八咫鏡とともに天叢雲剣が置かれることになった。
なぜ宮中から出されたのかは別の記事で書きます。

それにしても伊勢神宮にもかつて天叢雲剣(草薙剣)が置かれていたのね!!

宇治橋が見える(伊勢神宮内宮)

❺に行く前に忘れてはいけないのがこちらです↓

(皇女トヨスキイリヒメにより、八咫鏡とともに皇居の外で祀られるようになった)『古語拾遺』には子細が語られている。
天目一箇神とイシコリドメの子孫が「神鏡」と「形代の剣」(もう一つの草薙剣)を作り、天皇の護身用として宮中に残された。 神威はオリジナルと変わらなかったという。
続いて崇神天皇の命令を受けた豊鍬入姫命は、倭の笠縫邑に神鏡と草薙剣を祀った。

天叢雲剣 - Wikipedia

天叢雲剣(草薙剣)は本物が宮中から出される前にレプリカ(形代)が作られており、そちらが宮中に残された、と。

で、❺東征に向かうヤマトタケルは叔母で伊勢神宮の斎宮だったヤマトヒメノミコトに会いに行き、そこで神剣である天叢雲剣(草薙剣)を託される。

ヤマトタケルは相武国にて騙され野原に向かうと、その野原に火をつけられ窮地に陥るも、天叢雲剣で草を薙ぎ払い、同じくヤマトヒメノミコトから託されていた火打石で火を起こして向かい火にて焼け野原から脱出する。
そのことから草薙剣と名前が変わる。

ヤマトタケルは東国への遠征から帰る途中、尾張国に立ちより、婚約していた美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚し、一夜をともにした後、草薙剣を美夜受比売のもとに置いて、「この山の神は、剣を使わずに素手で倒してやる」と荒神を討とうと伊吹山へ向かいます。
しかし伊吹山の神の怒りをかって亡くなります。

❻のヤマトタケルの死後、天叢雲剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメと尾張氏が尾張国で祀り続けた、となります。

それが本体の草薙剣(天叢雲剣)のたどった道。

レプリカ(形代)のその後の道や、草薙剣盗難事件、天武天皇がたたられていると発言したことなど、まだまだあるので、続く(笑)


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