茶人の公案
月釜にお伺いした龍生軒で、岡本宗伊先生にお会いしたのは数ヶ月前。様々な流派が集まり、武家流が多めの龍生軒では、裏千家のお席自体が珍しい。お点前の美しさにも目を見張ったが、ご本人の気配の方が印象に残った。点前座から広間全体にすぅーっと自然に、穏やかだが確かな気配が伸びている。魅力的なお茶人に会う度感動するけれど、こういう気配の人は初めて見たなぁと感心した。
今思えば飛びぬけて目立つ、すごいお道具があったような記憶がない。しかし全体が有機的につながって自然でまろやかな空間を作り出していて、びっくりするようなお道具がある茶席よりも、一層印象的だと思った。
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その岡本先生が龍生軒で朝茶事のお稽古をされるというので、出かけた。席入りから丁寧に教えていただく。待合で、「主人公」の話があった。
「お客さんやから言うてぼーっと受け身でいたらあきません。もう、自分から、亭主の心遣いや自然の美しさに気づいていく、感じて行こうとする、自分が主人公だっ、という気持ちで臨んでください」すでにぼーっとしていた私も、このお話で、気持ちが引き締まる。
落語みたいな京言葉のマシンガントークに笑わせてもらいながら、お稽古は進む。タイミングの重要性を何度も教えていただいた気がする。
ご亭主やお運びさんが視界に入った瞬間に動き、自分の前に来る頃にはぴたっとふさわしい位置にいるように動く。連客に気を取られたとしても亭主の動きは常に見逃さず、拝見のお願いなどが一瞬も遅れてはいけない。「煮えばな出さなあかんのやから、だらだらしとったら後ろでご亭主が気をもみはるでしょう。丁寧も大事ですけど、ちゃっちゃっとやる、っていうことも場合によっては大事なんです」と言われ、ワタワタと床を拝見する。お詰めも大変だ。「お詰めはもう、正客に食らいついていくくらいの気持ちで動いてくださいっ」とおっしゃっていたのが印象的。そして常にメインイベントである、濃茶のことを忘れないこと。
茶席において、ある動作が最もふさわしい頂点のような一瞬は、瞬く間に過ぎ去ってしまう。そして時を逸した途端、場がだれ、気持ちがだれる。これが茶席でのことだけでないとすると当然、日々色々と見失って生きているのである。区切りのない音楽の、間違いない地点に鋲を打つような動きを、主人と客とで力を合わせて頑張るのだ。
汁替えでのタネ替わりの焼き茄子や、煮物椀の丁寧に骨切された鱧のしんじょと添えのお野菜の上品さに驚いている間に、茶事はさっさか進んでいく。目に見えないところでたくさんの人が動いてくださっていて、有難くも恐縮する。
中立ちの間に、最初に触れられた「主人公」について質問した。主人公とは禅の言葉で、瑞巖和尚が日々自らに問いかけていた言葉なのだそう。「おーい、主人公」と自らに呼びかけ、「はい」とまた自分で返事をしていた。主人公とは、本当の自分、真如のこと。それを見失っていないか、と。「それを私は拡大解釈して、いざ、茶席に入ったら、たとえ自信がなかったとしても覚悟を決めてその役になりきる、そういう風にも使っているんです」。
その説明の様子で、先生が、この言葉を自分なりに様々な角度から解釈し、折りに触れて自らに問いかけていることが伝わって来た。
「主人公」という禅語の由来を説けることと、それを知って実際に「おい、主人公!」と自分自身に呼びかけ続けることの間には、大きな隔たりがある。先生は禅のお坊さんに投げかけられるという公案のような問いかけを、自身の内側で続けていらっしゃるのかも知れないと思った。
これまで茶掛けに閉じ込められていると思っていた禅語が時に心を磨く道具として、また時に自分を支える寄り処として、生きて存在する状態をはじめて見た。
そしてようやく、茶室に禅語を掛ける理由が理解できる気がした。茶禅一味の意味も。これまで私のお茶の先生がかねがね教えてくださっていたのに、分かってはいなかった。
日々自分を律し、整えていくこと。真の自分を忘れず、その体現に近づくこと。その実践の道筋として茶道を据えること。さらにはそれらを生活にどのように組み込んで行くかの知恵。そちらが幹で、お客の作法とかお点前のあれこれは、重要とは言え枝葉なのではないか。
形から入って心に至ることが最終形としても、教本には載らないこの辺への意識が曖昧なままでは、いくらお稽古にお金と時間を使っても何ひとつ学んだことにならないのでは?という考えがよぎった。でも怖いからそれ以上考えないことにした。
せいぜい私の今日の公案の始まりを、後座の頃、酔いが回って面白さに拍車がかかった先生が何度もおっしゃっていた、「嘘つきは茶人のはじまり」にしよう。「私は嘘つきです」という人は嘘つきか、正直者か。
岡本 宗伊(伊織)先生
岡本 宗伊(伊織)先生は、普段は京都の東越会にてご指導をされています。また明雲軒(京都 金閣寺近く) 、龍生軒(東京 府中)でも臨時稽古をされています。詳しくはInstagramから!
鹿持 渉(かじ わたる)さん
本日お点前をしてくださった鹿持さんは、岡本先生と同じく裏千家のご流儀で、東京の文京区本郷でご指導をされています。
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山平 昌子
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(文・写真:山平昌子)