
「オフィスから家に帰るようになりました」今村柚巴 2025年1月
◯今村、2025年の発信方針
2025年になった。私は25歳になる年で、100年生きるつもりなので1/4を過ごしたことになる。
昨年(2024年)はものすごい変化の一年だったと思う。(毎年言ってる気もするけど)
年明け一発目に震災が起こり能登に飛んで、春には友人の結婚式に参列するためにエジプトに行ったり、秋には大谷翔平を見にLAに飛んだ。
自分の進路を大きく変更し、大学を卒業して、VCになった。
夏には投資を6件させて頂き、IVSで開催したイベントが日経オンラインに取り上げられた。初めて「仕事の成果」を感じた。
LAの火災による被害に心を寄せて。1日も早くの復興をお祈りいたします。
発信もたくさんした。毎週ブログを書いてみたり、イベントごとの節目で書いてみたり。サムアルトマンの伝記を調べて自分なりにまとめてみたり。
勿論発信をすると色んな意見を貰う。同じ記事なのに褒められたり意見を頂いたり。それだけ見て頂いている人がいるのはありがたいし、物事の多面性を見られて面白い。

年を超えて2025年、どのような発信をしようかと思った。
自分の武勇伝をブログに書いても誰のためになるの?
とも思ったり
詳しくなる範囲で有益的情報を書いた方がいいんじゃない?
と考えたり
いや、中途半端な知識をまとめ「だれでも書けるnote」を書く意味はないんじゃ?
と不安になったり。
結果、今年は
「月に1度、自分の心に残ったことを振り返る記事をベースに、他は書く必要ごとに書く。」
としてみようと思う。
私にとってnoteは
・広報ツール
であり、しかし広報ツールではなく
・自分の人生を投影することで第三者視点で振り返り、自分の生活を残しておける自由帳
であり
・自分の今の状況を過去に出会ってきたひとに伝える手紙(後述します)
でもある。
届ける相手のためになる文章を書きなよ、という気持ちもわかるし、呼んでもらいやすいタイトルにしなよ、という勧めもわかる。
でも私は、noteだけは将来積み上がっていくであろう大量の記事の集約群がどうなっているか、に賭けたい。
20代の自分の幼い感情やVCキャリアの進め方と迷い、解決方法の模索を書き留めておくためにnoteは存在してもらいたい。
もしこの記事を見つけた人がちょっと面白がったり、ためになったり、ばかだなあと思ったり、突き動かされたりしたら、儲けもんだな、くらいに思います。
実用的な発信をちゃんと読む印象が強い人から「今村さんのnoteは脳死で読めるので読んでいます」と言われた。これは結構嬉しい言葉でした。そんなもんでいいかなって。所詮noteされどnote。
◯オフィスから家に帰るようになりました。
noteが手紙だと再認識した。
実は私は2024年の4月から変な家に住んでる。高校生から社会人まで120人が住んでるシェアハウスだ。
インスタだってあるんだ
「住まいは下北沢で、120人と住んでるんです」
というと度肝を抜かれる。よく疲れないね、と言われるけど意外と大丈夫です。
そもそも私は大学時代にゲストハウス日本一周してるほどには、人が集う空間のオタクなので。
この家には、「スタートアップではないことを価値の中心と置いている人と接し続けたい」から入居した。
この仕事をしていると起業家とVCにしか出会えなくなる。自分は多様な行動をする人ときちんと向き合いたい。そのチャンスを得るために。
◆
ただ正直、住みはじめて10ヶ月は殆ど家に帰っていなかったと思う。VC業を行う中で、「オフィスにいて起業家と会い続けることが成功への道」だと思っていたからだ。
投資先の起業家は深夜までオフィスにいる。1分1秒を仕事と、繋がり作りに費やさないといい投資はできない。誰よりも突き抜けるには時間をVCと起業家に費やさねば。
本当にそう思って、家に帰る時間を削っていた。

しかしある時、それが正解なのか?と足を止めた。
夏を超えて私の投資が止まった時だっただろうか。
私は「投資をする」という明確なように見えて曖昧な目標のために、なんとなく起業家と飲み会に行って、呼ばれた会合に足を運んで、人と話していて。
勿論それがダメなんて思わないし、自分なりの努力をしていたと思う。
ただ、いつだったか起業家と話したとき、自分の視野が非常に狭くなっていると気づいた。
きっと「私はどうしたら投資ができるのか?」という自分の成果ばかり考えていたから、本来持っていたはずの好奇心とか知見を広げようという意識とかが削がれていたのではないかな、と思う。
気づけば私の目はまっすぐではなくなっていたんじゃないかな。昨年の秋冬を見返してひりひり感じている。

だから年末以降、週の半分は夕飯時には家に帰り始めた。別にずっと家の人と喋っているわけではないのだが、本や事業資料を読んだり(後述)、哲学の話を聞いてみたり、人生相談したりされたり、レゴで家を再現したり。(これも後述します)
だらだらとスタートアップの世界で曖昧な時間を過ごすことが「今村の投資方針」ではない。きっと。
◯年を越したら、noteは手紙だと気づいた。
そんなこんなで、年末年始は今の家に住む人と時間を過ごすことにした。
実家は近所なので、一瞬顔を出しがてらほぼ届かなくなった年賀状を2通だけ返信するだけだったので。(恩師2名だった)
12月31日から地元に帰らなかった46人(数えた)と年越しの瞬間を迎え、初日の出を見るために車を飛ばして横須賀まで行き、年始登山をするなどしていた。(楽しかった)
◆
そんな時何人かの同居人に
「note読んでるよ。ゆずちゃんを見ているといつもびっくり箱を開けている気持ちになるから、そのまま面白いことを見つけ続ける人であってほしい」
と声をかけられた。
正直、読まれていることにびっくりした。
私はnoteを書いていることを家の人に宣伝してない。
し、家にあんまり帰ってなかったから存在感がある方でもないと思う。
なんでこんなに見つけてくれるんだろうか。

ぐるぐる考えていると、シェアハウスで月に一度行っているリフレクションの時間の時、また別の同居人に
「ゆずさんは、過去に過ごしてきたコミュニティの人と繋がりが切れづらい方に見えるんだけど、なんでなの?」
と問われた。
そうかなあ。確かに同窓会とかの付き合いは悪くない方だけどなあ。
といいつつ、「あ、発信し続けてるからかな」という解に辿り着いた。
◆
どうやら思ったより人は発信やブログを書かないものならしい。
そして意外と自分の知人の日記を見ることに関心を寄せてくれる人は一定数いるらしい。
ちまちま20歳の時から描き続けているnoteだが、これがあるから私を忘れないでいてくれる人もいるのか。と。
なんだかnoteに年賀状みたいな役割を担ってもらっているんだな。
では、冒頭に書いたように「自分の今の状況を過去に出会ってきたひとに伝える手紙」として機能してもらおう。
と、自分なりの落とし所に気づけた気がする。
◯1月のテーマ:速読と読書。
2025年は月毎にやることのテーマを決めて活動をしようと思っていて、1月はそれを読書にしてみました。
元々私は本は好きな方でした。大量の絵本に囲まれて育ち、小学校では一番本を読んでいた人だし、毎週末の行きつけは図書館、現代文は誰より早いスピードで読めたし、今noteをかけているのも当時の恩恵があると思う。
ただ、大学に入ったあたりで読書の数がぱたっと止んだ。本はいつでも読めるけど、今目の前で起きている事象とか人とかのキャッチアップの方が大事なんじゃないか。一時情報を取ることが大事なんじゃないか、と思うようになって、本をしっかり読む時間をどんどん削っていったと思う。
でも昨年ふと、私が知っていることが「私が出逢いがちな事象」に寄っているなと感じて、たくさん本を読んでみる、をテーマにしました。
やるとなったら私は本気なので、10万円かけて速読教室に通い、なんとなく早くなった気になりつつ日々を過ごしています。
なんやかんやと仕事諸々で読みきれなかったけどぼちぼち読んでます。(1月は以下ともう少し読んだ)
割と有名どころから読んでます。地味に読んでなかったな!的な本がちょいちょいあるので、、(基礎教養として読むべき本があれば教えて下さい)

◯美容院で、愛と大人とは何かを考えた。
私には、14歳の時から髪を切ってくれている美容師さんがいる。2ヶ月に一度、髪を切りに行くついでに人生相談をしているのだが、先日いつもの調子で
「大人っぽくなりたいんですよね。だから最近毎日筋トレしてるんですけど、何かいい方法はありませんかね」
とこぼれるように聞いてみた。すると彼女は
「ゆずちゃんは、表面的なコトに囚われたような発言をするよね。どうしたらいい、自分はこれをこれだけやっている。だから報われるべきだ。というような、一見すると軽く見えるんだよね。そうではなく、もっと深いところ、理念から考えた方がいいんじゃないかな」
そういいながら2つのやってみたらいいいことを伝えてくれた。
①自分が好きな人(恋愛友情関係なく)の要素を書き出す。
表面的な行動や肩書きではなく、もっともっと深く、なぜこの行動が好きなのか、尊敬できるのか。
趣味が合う、人脈が広い、とかそういうのではない。なぜこの人が素敵だと思うのか。思えるほど考えられているのか。
そしてそのすてきだと思った部分を真似していくと、あなたも自然とそうなっていく。
なぜなら人は、自分に本質的に近く、理想の一歩先を行っている人を好きになるから。

どんな人が好きか、ちゃんと考えてみたら多分「小さなことに真面目に本気であること」が1つの大切な点なんだと気づいた。
第三者から見たらくだらないと言われるかもしれないことにひたむきでいる人、筋トレだろうが小説書きだろうが祭りだろうが。私の周りには非合理的なものに真面目に邁進する人が多い。
一方で投資検討を行う時、「仕事において非合理性を排除し、邁進できる人」を選ぶ必要がある。自分が本質的に尊敬し、愛することができる要素と一見反対にあるような特徴だなぁとも思う。
まだこの2点を両立しきれていない。でも、真ん中の解を見つけたい。それがきっと私の投資仮説にもなる。
②考えずに話すのをやめる。アイデンティティと幼さを履き違えない。
これは自分の行動傾向だと思うのだけど、思ったことをすぐに言う癖がある。よくいえば自己開示できる。悪くいえばあけすけ。
自分なりには、これはアイデンティティだと思っていた。人がやらないことをそつなくできて、周りが言わないことを突きつけられる自分。ぐいぐい、突撃型、バイタリティという言葉は褒め言葉だと思っていた。
でも、どこか最近うまくいかないことがある。仕事や人間関係で。
なぜか。
それは「自己開示とあけすけを履き違えているから」であり、私が頼っていた手法は「幼いコミュニケーション」だったからなのだと思う。
「24歳までのゆず」だったら、そのバイタリティで気にかけてもらっていた。色んな人の中心に立てていた。
しかし、アイデンティティだと思っていたそのコミュニケーションスタイルは、子供だからハマっていただけであり、一過性のもので。
大人になった時に真の人間力が欠けた、非魅力的な人間になってしまっているのではないか。
履き違えたアイデンティティに縋るべきではない。常に今の自分に最良のコミュニケーションを探し、成長させる。それが今まで 信じてきた"自分らしさ"と異なっても。

思えば私は20歳の頃、ジャージを着て旅をしていた。常に思い出して貰えたし、当時の私はアイデンティティだとすら思っていた。
ただ、ある時ジャージ生活をやめた。ボロボロでガサツな人間を演じ切るのが辛くなったからだったと思う。
でも、私はアイデンティティを一切失っていなかった。
むしろ自分が活動しているフェーズが上がったり、異なる人と接することができるようになった。
今、25歳の私はじゅうぶんに大人である。それであれば発言の前に1秒待つとか、自分で仮説を持って話すとか、整理をしてから話すとか(皆は当たり前にできるのかもしれないけど)そんなことに気を配って、コミュニケーションを成熟させたい。
きっとnoteの文面にも現れてくる。
◆
店を出る前に、
「ゆずちゃんは自分の意思で動いているように魅せているけど、他人軸の時が多い。根が真面目なのに変でいようとし続けているようにも見える。軸をもっと自分に持つといいよ」
と声をかけられた。
やはり14から見られているだけある。
騙せないなあ。
◆総論
ものすごい文章量になってしまった。
知見や興味範囲、思考、交友領域を広げる。活動に関してはミーハーに、やりたいと思ったことは全て行う。
しかしひとに関してはあれこれミーハーに絡んでいくのではなく、本当に尊敬できる人を大切にする。