「あの子ばかりずるい」発言から考察する差別意識
1 こんな発言、ありませんか?
ある授業に、全員に向けて宿題が出されたとします。
でも、発達障害をもつ生徒に対して、教師から宿題の質や量を変更したとします。
そのとき、「いつもあの子は宿題の量が少ない」と反発の声が上がること、ありませんか?
2 考察してみた
以前の記事にも書いてますが、最近「同和問題」「部落差別」について興味があって、関連の書籍を読んだり、講演会に赴いたりしております。
その中で、上の発言とよく似ているな~と感じたものがあります。
それは、「部落ばかり優遇されていてずるい」という発言です。
このような市民感情は、現在もかなりあることが示されています。
福岡県の「人権問題に関する県民意識調査結(令和4年3月)」では、次のように報告されています。
この結果から、
部落差別に怒りは感じるが、同和対策で部落の状況が良くなることは喜べない
と考えていることを読み取れる。
なぜこのような結果になっているのか?
それは同対策審議会答申の内容や、それが出される経緯についての教育や啓発が不足していたと考えることができます。
さて、記事の冒頭で書いた発言の裏にある気持ちは、上の太字を次のように言い換えたら、理解できませんか?
障がい者差別に怒りは感じるが、障がい者に対する支援や配慮で障がい者の学力が向上したり、コミュニケーション力が向上したりすることは喜べない
また、同和対策事業に対するマジョリティの否定的な意見として、90年代に実施された調査が参考になります。
「宿題」と違うのは、住宅ローンを組んだことも子どもをつくったことも、大人が自らの自由意思に基づいて選択しているという点です。
最近の調査では、同和対策に対して具体的な不満を述べる意見は少なくなっていて、次のような意見があるとのことです。
差別を利用して、努力をせず、不当に特権を得ているから、差別をされても仕方がない
これは同和問題に対しての意見ですが、障がい者に対する差別もこれと似たような意見があるのだと思います。
ここでいう「努力」というのは、それを見ている個人またはマジョリティ(多数派)の感覚で決定されてしまいます。
障がいをもっていて、その人なりの努力をしているのだから、努力していないわけではない。また特権というのも、マジョリティ側が勝手に決めつけていることです。
3 発言が出たときに教師として反省すること
同和対策事業の理解不足によって、不満が出ました。
ということは、この発言が出たときは、合理的配慮や個別支援の考え、その必要性、できた経緯についての学習が不足していたからだと、反省しました。
もし、同じようなことでお困りの方のお役に立てる記事になっていればうれしいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
参考文献
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