【海外赴任】生まれて初めて社員を自分で雇った話し。
中国工場への電子部品の販売は、VCDの出現とともに、明らかにビジネスがtake offするだろうというのが見て取れた。
そして、これまでの代理店の深圳事務所を拠点とする販売から、いよいよ深圳にソニーの部品事務所を開設しようという話しになった。
ソニーは、当時既に北京に中国代表を置いており、AV家電の販売事務所が北京、上海、広州に開設済みであり、私の所属する部品部隊も、上海には事務所を開設済みであった。
深圳には、AV家電の販売事務所はなく、単独で事務所を開設することとなった。
といっても、最初は自分を入れて4人程度の小さな事務所である。
(運転手を入れると5人になる。これまで、タクシー移動できつかったが、運転手付きのバンが手に入ったのは、とても嬉しかった)
私が所属するSony Device 香港、そして、ソニー北京や本社の中国室などが連携して、事務所設立の申請書を、外資系コンサル会社を経由して申請、事務所開設の許可は、4ヶ月後には下りるということがほぼ確定した。
次いで、事務所の場所を探したり、人を採用したりという現場仕事を私が行わなければならない。
これまで代理店の深圳事務所でお世話になっていたが、今回ソニーが自分で事務所を持つというのは、彼らにとっては面白くない話であった。
よって、あまりよい協力は得られない。
先ずは、中国人社員を採用しないことには、事務所の場所探しや色々な交渉事を進められないということで、生まれて初めて、社員の募集広告を新聞に打った。(これは、代理店が手伝ってくれた)
なにせ、未だ、事務所がないので、連絡先は私の携帯電話にした。
外資系のFMCG (P&Gのような会社)、携帯電話会社、銀行などの採用広告が出ている中、私の予算は限られており、その待遇は明らかに見劣りした。
面接で格好をつけても、待遇で外資にかなわないのは最初から分かっているので、面接場所はBクラスホテルのコーヒーショップとし、採用面接を行った。
応募者は多数に上ったが、実際に会ってみると、深圳らしく、すれている感じの応募者が多かった。
質問の内容も、その多くが、給与や、今後の昇給、昇進見込など、あからさまに自分本位なものが中心。
だいたい、会って10分ほどもすると、この人とは長期間働けないと判断がつくほどの分かり易さであった。
人件費のバジェットを少し増やし、営業第一号として、貧しい湖北省出身、深圳大学卒で、日系電機メーカーの工場でLine長をしている人を雇った。
性格は地味な感じであったが、誠実さと頭のよさが見てとれ、営業で勝負したいという本人の意向と合わせての採用となった。
面接の数日後に再度、Bクラスホテルのコーヒーショップで会い、採用を伝えた。
Chris(今回採用した人)はたいそう喜んでいたが、一方で、不安も大きかった。
何せ、まだ、事務所がないのである。
ソニーが雇うと言っているのだが、実際には、まだ事務所が開設していないので、名刺はないし、正式な雇用契約もない状況であった。
給与だけは、どうにか、香港オフィスのバイトスタッフというたてつけで、支払った。
Chrisがよく働いてくれて、私が香港から通うのに便利な深圳駅近くのホテル内オフィスから、20階建てくらいの中規模ビルのオフィスなど、数件オフィス候補を見つけてくれた。
そろそろ決めようと、Sony Device香港の社長(私の上司)が、深圳に下見に来た。
そして、深圳駅から街を眺めて、一番高く目立っている69階立ての高層ビル(信興広場)を指し、「これから、中国ビジネスは間違いなく大きくなるのだから、街一番のビルにソニーらしくオフィスを作ろう」と言った。
いろいろ候補地を用意していたが、見て回ることなく、我々のオフィスは信興広場に決まったのであった。
簡単なレイアウトを決め、内装や家具の発注などを、Chirsとああでもない、こうでもないと、楽しく相談しながら進めた。
外資系コンサル会社からは申請は順調に進み、あとは、初代首席代表に就任する私が、深圳工商局に、身分証明書とともに、エイズ血液検査の結果を提出するだけとなっていた。
そのエイズ血液検査は、深圳保健所で受けるように指定されていた。
珍しく、香港のオフィスに顔を出した時に、同じ部署の香港local staffが私の席に寄ってきて、ビニールにパックされた使い捨て注射器をくれた。
なんでも、社外の知り合いが、最近深圳に事務所を開き、その時にエイズ検査を深圳保健所に受けにいったら、使い回しの注射器を使われて危なかった。
私も同じ目に会うのではと、気をきかせて使い捨て注射器をプレゼントしてくれたのである。
ホント、持つべきものは、気の優しい香港同僚である。
血液検査の当日、私は使い捨て注射器が上着の内ポケットに入っているのを確かめながら、深圳保健所に入った。
受付で主席代表申請書の書類を渡すと、3番の部屋の前で待つようにと指示された。
しばらく待っていると、中から野太い声で「入って来なさい」との声。
部屋にはいると、身体が大きく、髪の毛くしゃくしゃで、あごのあたりに髭を生やした、清潔感にイマイチ欠ける先生が、少し薄汚れた白衣を着て椅子に座っていた。
そして、その横には、バケツのような容器が三脚の上に置いてあり、そこには、今までに見たこともないくらい太い注射器が5-6本、無造作に突っ込んであった。
書類を先生に渡すと、私の名前と年齢、そしてパスポートを確認して、私の左手を指さし、袖を捲るように言う。
このタイミングを逃してはならないと、私は内ポケットから使い捨て注射器を取り出し、「スミマセン」と頭を下げながら、先生に両手で拝むように差出した。
彼は注射器を手にとりながら、少し不思議そうな顔をした。
そこで、私が、「申し訳ありませんが、この注射器を使っていただけないでしょうか」と目一杯丁寧な中国で言った。
状況を理解した先生は、途端に目を大きく見開き、「何をふざけたことを言っているのだ」と大声で叫び、香港から持ってきた使い捨て注射器を思いっきり壁に投げつけた。
そして、バケツからおもむろに、太い注射器をワッシと掴み、「中国製をバカにしているのか、血液検査はこれを使う」と勝ち誇ったように大声で言った。
この注射器で刺されたら、本当にエイズにでもかかってしまうのでは、と思われ、一瞬、このまま逃げ出そうかとも思ったが、その時に、Chrisの顔が頭をよぎった。
日系工場のライン長の仕事を辞めて、うちに来てくれたのに、もし、これで事務所開設がトラブったりすると、彼はどうなるのだろうと。
私は涙目になりながら、上着を脱ぎ、左袖を捲って先生の方に差し出したのであった。
以来、あれ程太い注射器を見たことはない。
人間は、自分の事を中心において考えると、行き詰まりやすいが、誰かのためとなると、頑張れるものだということを私は学んだのであった。
我々の深圳事務所は無事に開所し、Chrisはその誠実さと頭のよさで、深圳事務所のエース営業として10年近く活躍した。
今は、自分で会社を興して成功し、息子をアメリカ留学に出している。
生まれて初めて雇った部下が、立派にソニーで仕事をしてくれて、本当によかった。
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