まだ書くことがあった。
おはようございます、劇団CLOUD9の小沢です。
長かった新作脚本の改訂作業がようやく終わりました。
2024年3月21日(木)〜25日(月)で行う、
劇団CLOUD9の新作『もういいよ』という作品です。
『まだここは』『七日目の朝』に続いて、
3作目となる新作『もういいよ』
脚本を書けないと言い続けた末に、
1年前にようやく筆を取りました。
小沢佑太の25年の人生を集約したような
自叙伝のような脚本を書きました。
『まだここは』
タイトルとは相反して、
もう書き切ったという気持ちで、
次書ける気がしていませんでした。
とはいえ次が決まっていたもので、
書くしかない!と追い込まれ、
なんとか筆を取って直近1年分ぐらいの
小沢佑太のモワモワをカタチにしました。
『七日目の朝』
大事な人との別れ、忘れていくことの辛さ、
そういうものをギュッてして詰めました。
今度こそ干からびて
からっからになった小沢でしたが、
もう二歩進んだ道を戻ることはできません。
自分の外側に目を向けて
書いてみることにしました。
10年以上もの間、僕の心にずっとあったもの。
「東日本大震災」
震災をテーマに、現在の人間の物語を紡ごう。
そう決めて、動き出そうとしました。
そして動き出す前に、
道を誤らないように、
僕自身への宣言文を書いて、
これを旗印に進んでいくことにしました。
まずはその宣言文を
ご覧いただけたら嬉しいです。
この言葉たちを頼りに、
小沢の執筆が始まりました。
僕は被災したわけではありません。
ずっと関西にいて、だけど生まれは1997年。
阪神淡路大震災の経験もありません。
じゃあ何もできないのか、腫れ物に触れるような関わり方しかできないのか。
いや違うやろ、同じ人間やないか。
だったらその人間の物語を書くのが、
今の自分のやることやろう。
そう思って、書き始めました。
書き始めたものの、これまでと全然違う抵抗がずっと僕の心にあって、それに様々な理由をつけては、進まない時間をうだうだ過ごしていました。
1ヶ月ほど悩みながら過ごして、
どうにもならなくなって、
劇場の使用が確定したその日に、
京都から仙台までの夜行バスに乗りました。
弾丸、南三陸の旅。
夏に、なぜか2回ほど一人旅をしていて、
これはほんとによくわからなくて、
僕のメンタルケアというか、
ちょっと息を整える期間だったというか。
でも実は発散手段に一人旅を選んだのは初めてでした。今から思うと、この南三陸の旅を有意義に過ごすための、練習だったのかもしれません。
そうこうしながら
一人で南三陸のまちを見てまわりました。
このだだっ広い公園が、
今回の作品のモチーフになっています。
「震災」とはいえ、あれから13年。
土地の復興はほとんど終わっていて、
これからは自治体の自力が試される、
そんなタイミングなんだそうです。
干支が一周して、
今の小学生はもう震災を知りません。
震災がどうとか、風化がどうとか、
そういうことを書くんじゃないんだなって、
ここの地面を踏んで強く思いました。
ここに居た人、居る人を書くんだなって
そのときはっきりと思いました。
たくさん吸収して帰ってきて、
だけどもすぐには筆は動きませんでした。
ああだこうだ考えながら、
ようやく6人の人物が浮かんできました。
松井徹・松井葉月
山根美朋子・山根璃那
梅原望・近村和朔
親子と、親子になれなかった二人と
腐れ縁みたいな若手同期
そんな6人の物語です。
いや、登場人物は6人ですが、
それぞれに「もう会えない人」がいて、
そういう人たちとのお話でもあります。
「生き残ってしまった」
「ここまで来てしまった」
「生きている意味」
こういうことを頭の隅っこで
ずーっと考えながら、
普通に至極当たり前の生活をしていて、
みたいな、そういう人たちの話です。
震災がテーマと聞いたから、
と身構える必要はありません。
彼らはたまたまその近くにいた、
近い経験をした人たちであって、
中身は普通の人間です。
そういう人たちの物語を作りました。
脚本も販売しますが、
ぜひこれは劇場で感じていただきたい。
そういう作品に仕上がっています。
3月21日〜25日
京都のTHEATRE E9 KYOTO
という劇場で、お待ちしています。
2024.3.5 脚本の話。