躁鬱と向き合う#001_ 躁状態
「あなたに出会ってから、」という記事を書いて改めて思ったのは、気付かぬうちから躁状態の傾向はあったということだ。
学校や塾の先生と揉めたり、高校生の財力では到底買えないようなデパコスや定期購入に手を出して(もちろん家族からだが)借金したり。
そんな私の過去から、現在の躁鬱の症状を考察していこうと思う。
【躁状態】
①人と揉める
私は定期的に先生と揉める。
中学のときは当時入っていた美術部の顧問(パワハラ・セクハラの魔人)の悪口を複数人の友だちと吐き出す会を立ち上げてそれが見つかり大事になった。
高校のときは2回揉めている。
わたしは数式など全て、なぜこうなるのか理屈を理解しないと覚えられない。
これもなんらかの固執であって、生まれ持ってこだわりが強いのは問題であるが、これが原因で数学の先生と揉めた。
なんでこうなるの?なんで?と聞きまくり、呆れた先生がいいから何も考えず覚えろと私の固執を無下にしてキレてきた。
まあどちらが悪いかと言えばどちらも悪いのだろうが。
もうひとつは前回の記事でも書いた、高3のときの担任とだ。
女性の先生(元ヤン)だったのだが、これが本当に合わなかった。
共通テストの数日前に祖母が亡くなってメンタルが崩壊していたときに、たしか提出物を出せと言われたんだったっけ。
それに、祖母が亡くなってそれどころじゃないんだけど、ほっといて、とキレて喧嘩。
常に泣きそうな状態で学校に行っていた私の、表面張力ギリギリで耐えていたメンタルが崩壊しそこから学校に行かなくなった。
塾の話もしよう。
高1から東進に通っていたが、3年間で実際通ったのは合計して3ヶ月分くらいだろうと思う。
お金をドブに捨てたという自認はいまでも私を苦しめるが、
そこの東進の塾長もすこぶる合わなかった。
その先生も、高校の数学の先生たちと同じく、昭和チックな考え方で、逃げるな逃げるなと追い詰めてくるような、そんな先生だった。
常に気持ちが落ち込んでいて勉強なんてやっていられない状態だった私に、追い込むように、追い詰めるように、、、
それはもう私は反抗しまくっていた。
家に毎日のように塾に来いという電話が来ていたのにガン無視を決め込み、塾に行って話しかけられても素っ気ない返答しかしない。
本当に困った生徒だったと思う。
あの塾は、勉強への意欲が強い人たちの集まりだったから。
私のような落ちこぼれで塾にも来ないようなやつなんて気にかけるのも面倒だっただろう。
短大時代にも思い出せば、学生とも先生とも揉めていた。
学生とは、何で揉めていたのか覚えていない。
たしか、私が企画運営していた体育祭の景品についてのことだったと思う。
その子は、優勝したゼミのゼミ委員で、景品のやり取りをしていた。
ものすごく急かされたのを覚えていて、先生の分は費用から出ませんという旨を伝えた際につっかかってきたのだった気がする。
それでメールでバチバチに敬語で喧嘩をし、対面で会った時も通りすがりに悪口を言われる始末だった。
その時の私はメンタルが強く、言い返していたんだけれど。(笑)
先生と揉めしたというのは、その子のゼミの先生で、私の所属していた執行部の担当だった。
体育祭で骨折をし、私たちリーダーがルールを細かく決めていなかったから私が骨折したんだとものすごく文句を言ってきた。
いわゆるモンスター教師だったわけだが、これもまたメンタルが強い時期だったため言い返しまくっていた。(笑)
そんなこんなで私はしょっちゅう人と揉める。
これはきっと躁の症状なんだろう。
②金遣い
わたしは高校2年の冬からひっそりとバイトを始めていた。
そのため、当時の周りの子たちよりはお金があった。
お金がある分だけ使ってしまう私は、Diorのマキシマイザーに手を出した。
5000円ほどするものを高校生が手を出すのは正直早いだろう。
これだけならまだ持ってる高校生はいるだろうが、これと同時に定期購入に手を出したのが特に問題であった。
自分の髪質に合ったシャンプーリンスを調合できるものがあり、それに手を出したり、歯が白くなるという歯磨き粉の定期購入に手を出したり、する相手もいないのにVIOソープに手を出したり、肌がキレイになるというメイク落としジェルに手を出したり。
全てインスタの広告に釣られて買ってしまっていた。
最終的に払えなくなったりして、母からお金を借りたりして凌いでいた。
これは当時の躁鬱の友だちからお前も躁鬱だろ、と言われていたエピソードのうちの一つだ。
また、⑥にも繋がるのだが、遊びに行きまくる、というのもある。
毎週ライブや友だちとの約束で外出に明け暮れ、お金が減っていく。
これは⑥で詳しく記そうと思う。
③性に奔放になる
これは最近になっての話だが、恥ずかしながら私はワンナイトを繰り返していた。
アプリで出会った人と、2日連続(各日別の人)ホテルに行った。
自分のからだなんてどうでもよかったのだろう。
また、失恋直後の鬱から躁に跳ね上がったところだったのもあっただろう。
彼がいないという心の穴を埋めるように、私はアプリでいろいろな人と会いまくった。
結局時間が埋めてくれたのだけれど。
そんなこんなで私はアプリで出会い厨を繰り返した。
④多動になる
短大時代の友だちによく、お前今日躁状態だろ、と言われていたのはこれがあったからだ。
授業中や、廊下で教室を待っているときなど、とまっていられないのだ。
ずっと足がぐらぐら動いていたり、上半身が左右に揺れていたり。
これが多動、というような行動を繰り返していた。
⑤怒りっぽくなる
これは、ものすごく問題だった。
私は特に、家族への当たりが強くなった。
父の行動全てが気に入らず、気持ち悪いこっちに来るなと拒絶した。
母には、毎朝学校へ行けと追い詰めてくることへの怒り、この病気を理解してもらえない悲しみから反抗し、暴言を吐きまくった。
あの頃の家は酷かった。
いつもピリピリしていて、常に暴言が飛び交う家で、休まる訳もなかった。
ずっと生理前のような、イライラが続く私に最終的に母は病院は行くことを許可し、薬でもなんでももらって治せと病院代を渡してきたから結果的には良いとは言えないが病気を認めてもらうキッカケにはなったと思う。
⑥睡眠時間が少なくても活動できる
躁状態のときの私はすごい。
睡眠時間はなくてもエネルギッシュに動き続けられる。
短大時代は、イベントの企画運営でシフト作ったりしおり作ったりするのを数日間ほぼ寝ずに完成させた。
最近では、毎週飲みに行く約束を取り付け、ライブも毎週あり、寝る時間を惜しんでアクティブに活動し続けた。
これもまた散財にも繋がるのだが、親がお金を心配するくらいには出かけていた。
ライブなんて1回10000円くらいかかるだろう。
それにグッズ代、フェスなら食事代交通費と考えたら膨大なお金が動く。
それを寝ずに行っているわけだから、まともに頭も働かず、一心不乱にお金を使い続けていた。
私の躁状態はこんな感じで破天荒がすぎる。
元気だね、とよく言われるくらいには明るいし、ポジティブだし、積極的だ。
いい事なのかは怪しいが。
次回は、鬱状態について記していく。
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