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イエスマンが治らない

私は断ることが苦手だ。

何につけても"いいよ"と言ってしまう。

極端な例でいくと、
(いきなり低俗で申し訳ないが)ナマでいい?と言われてもダメとは言えないのだ。

身体や精神を守る上でも断ることは必要であることはわかっている。

断らなければ上記の例でいくと私自身の身体が妊娠してしまうかもしれないし、

仕事やら何やらであれば自分のメンタルが崩壊してしまうやもしれない。

自分を守る手段の最有力手段として"断る"というものがあるのだ。

しかし、私は自己肯定感の低さから来る謎の意識で、

自分には断る権利などない、自分なんかが人の意見・要望を否定するわけにはいかない、と

断れずに承諾してしまうのだ。

私の悪いところは、おおよそ自己肯定感の低さから来るものが多い。

"こんな自分なんて"と卑下した自意識が、私を小さく弱いものにさせる。

これは時として自傷行為となる。

卑下することで身を守ろうとしても、それが裏目に出て自分を傷付けている。

授業のレポートなんかが顕著だ。
私はこれやってもらっていい?と仕事を押し付けられても、やっておくよ、と受け入れてしまう。

それによってパンクすることもしばしばある。

でも断れない。
嫌がったら、もう頼られないかもしれない。
もう話しかけてくれないかもしれない。

そんな思いから私は自ら便利屋になってしまう。

きっと面倒くさいだけで断ればその子らは自分たちでやるのだろうこともわかっている。

だが、頼られるという行為が私の自尊心を満たす。

私は存在していいんだ、と思える。

こうやって自己肯定感の低さがあちこちで垣間見える。

存在理由を常に探しているのだ、私は。

基本の思考が、
「私なんか存在価値がない」であるから、

存在していいんだという理由が見つかったら喜んでそれに飛びついてしまう。

【NO】を言える人は強い、と思う。

それを断っても信頼を失わないという自信が持てている。

私なんかはそれがない。
信頼に値する人間性も可愛さも持ち合わせていない。



だから私は【NO】が言えない。


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