精神科の先生、いつもありがとう。
主治医は雰囲気があったかい人だ。いつも朗らかに笑っている。
ボロボロになって髪も伸びてベタベタの時もあるが、絶対に微笑んで迎えてくれる。
私の話を全て聞いた上で、褒めたり、言葉を組み立て直してくれる。
私の心の交通整理を一緒にしてくれる、頼もしい精神科の先生だ。
コロナ禍に私は転院を決意してこの先生のもとにやってきた。
それまで18年診てくれてた先生に納得がいかなくなったのだ。血液検査を2年ほどされないまま3分診療で薬だけ出されることに、不満を感じた。
質問をすれば「気にしすぎ」で終わり、こちらに寄り添う気を感じなかった。
紹介状を書くことも嫌悪感を持たれてたが、もうここには戻らないと腹を決めてその精神科オンリーの病院からとても大きな総合病院の精神科に転院した。
転院してまず最初に18年診断書に書かれている「てんかん」の真偽が疑われた。
そして検査入院を勧められた。
去年の3月のことだ。当時あまりの心身の不調とてんかん重積の診断を受けて休職していた。お金がなかった。だが家族と話し合い、借りれるところから借りて1ヶ月の予定で入院をした。
入院中に何度脳波の検査をしても乱れはなかった。だが意識の消失やロキソニンを飲んでも止まない激しい頭痛と大音量の耳鳴り、そして入院中の他者との関わり方から新しい主治医は一つの検査を提案してきた。
「心理検査を受けてみませんか?」
そう、発達障害を疑ったのだ。
検査の内容は書かないが、結果はADHD、ASD、LDの確定診断がついた。
凸凹が大きく、ただIQは90前後であることと、歯抜け学習になっているが社会に出続けたことで基本的なルールと社会性が身についてるため、見落とされてきた。
てんかん重積は「てんかん疑い」になり、入院中にデパケンRが最大量から0になった。飲まなくなった。
代わりにストラテラが処方された。1日35錠近かった薬が半分以下の14錠+ロキソニン1日2錠になった。
余談だが退院から1年が経ち頭痛はほぼなくなり自分の意思で「ロキソニンより軽い痛み止めを頓服として少量ください」と願い出た。
4週間でカロナール14錠。半分しか飲んでない。この先ほとんど飲まなくなる気がしている。
閑話休題。
現在私の病名は
・統合失調症
・ADHD
・ASD
・LD
・子宮腺筋症
・月経困難症
・てんかん(疑い)
・卵巣嚢腫(出来ては治りを繰り返してる)
になった。
統合失調症以外は36〜37歳の間に診断がついた。
「ずっとずっと生きていて辛かった。もう何が何だかわからないほどに苦しかった。
隣町に行くだけで気を失っていた。
人と会話して楽しかった後に失神して硬直し呼吸がほぼ止まって昏睡していた。
人に嫌われ常に摩擦が起き、でも粘着されベタベタに依存されたのちに突然攻撃された、恋をすると異常なほど執着していた、癇癪と希死念慮が30年以上止まなかった。」
これらが37歳の今、すこーんと無くなった。完全にではないが、全然苦しくないほどに弱まった。デパケンRを飲まなくなりました、ストラテラを飲み始め退院して半年が経ったころからメキメキと回復し始めた。
癇癪と希死念慮は2022年1月に入り、止まった。30年選手だったが止んだ。
嫌なことが続くとときどき復活するが時間と共に止んでくれる。
いま、生きていて楽しい。
たくさんの趣味を見つけた。
小学3年生の勉強もしている。
やりたいことがたくさんある。
隣町に行くだけで死にたかった日々が終わり、国内旅行を夢見るようになった。
そして一人で片道2時間半かけてハンドメイドイベントに遊びに行ってきた。帰宅して嬉しさで泣いた。
いま生きていて楽しいと、もう一度言葉にして、噛み締める。
涙がポタポタと溢れ出る。
いま私は私の人生を生きている。人間らしさの中、人と適度に関わって、生きている。
主治医にこれからも楽しいできごとの報告をしたい。躓いたらともに心の地図を眺めてほしい。
転院してよかった。
入院して検査してよかった。
診断がついてよかった。
私は37年かけて「私」を見つけられた。
ありがとう先生。これからもよろしくお願いします。
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