「あ〜〜あ、嫁にやりたくねえなぁ」と姉は言った
1日1日、爽やかさの濃度を正確に上げながら、夏に戻ることなく秋深くなっていく9月。
誕生日のある9月に親戚や友人が色々お祝いをしてくれた中で、最初にカード付きのプレゼントを送ってくれたのは、私の2歳年上の姉でした。
「ゆきにん」「ゆきという名の生き物」
そんな風に小さい頃から姉は私を呼んでいました。そんな呼び方他の家族も誰もしないし、その言葉のチョイスから姉にとって私はどこか得体の知れない生き物だったんだろうなということが伝わってきます。
好きな遊びはバレーボールにバドミントンだった姉と、とにかく部屋で人形遊びとお絵描きをしたかった私。
性別が同じで歳が近いのに全くタイプが違う場合、同じ檻にトラとライオンがいるのと同じで不幸なことしか起こりません。
一人で遊びたい私と、二人で遊びたい姉。
しょっちゅう大喧嘩をして、小学生時代の私のほっぺには、姉が投げつけてきたなんらかの家具の一部の棍棒のまん丸がかなりの期間残っていました。
中高生時代には姉と話した記憶がほぼありません。
十代の女子らしい傲慢な冷笑で姉の機嫌を的確に損ねていた私は、できるだけ接しないという態度で最低限の家庭の円満を図っていました。
私は漫画を描くことに夢中になっていて、姉はバレーボール部の部長として活動的な性質をのびのびと発揮していました。一緒にいないほうがお互いのいいところが伸びるということを、度重なる喧嘩の末に学んでいました。
それでも、姉の本質的なところは優しさだと、家族の誰もが知っていました。
両親の結婚時の記念品の天使の像が壊れた時、目の色を変えてショックを受けていたその横顔を、ジェスのおばちゃんが入院した時に「お見舞いに行こう」と言った回数の多さを、勝気な態度の奥底の優しさの温度を、みんなわかっていました。喧嘩ばかりしている私でさえわかっていました。
「あんたはいいよね。やりたいことを見つけられたんやけんね」
大学進学のために福岡を離れ、そのまま漫画を書き続ける私。
自分のやりたいことをひたすら追求する前しか見ない私の姿勢は、そんなつもりはなくても姉の心を少しずつ傷つけていました。
やりたいことをやればいいのです。 誰も止めません。でも姉が選ぶ「やりたいこと」はいつも姉を幸せにはしませんでした。苦労して取った保育士の資格も、アロマセラピストの資格も、適性はあったのに職業としては続きませんでした。
いろんなことができるのに、なぜか「これじゃない」と手放している姉。
「ゆきにん、一緒に住んでいい?福岡を出たい」と言ってきたのは、姉が27歳、私が25歳の時。すでに今の夫と一緒に暮らしていたので、3人暮らしが始まりました。
不思議なことに、あんなに喧嘩ばかりしていたのにその3人暮らしはとても楽しい日々で。
連載の原稿を終えて夜の2時から3人でカラオケに行ったり、二人してお酒が飲めないのに新宿のバーに行ったり、浴衣を着てお祭りに行ったり旅行に行ったり花火に行ったり。
緊迫感のある推理ものの映画を10分観たところで「ゆきにん、後で犯人教えて」と言ってお好み焼きを焼き始めるところも、ものすごくたくさん靴を買うのに「どれひとつ似合わん!」と泣いたり怒ったりしているところも、
ついていけないと思っていたところは全部、家族にだから見せるユニークな部分でした。
一年半の3人暮らしの後、姉は一人暮らしを始め、「他に誰もいないの。助けて!」と巻き込まれるように友人が作った会社の社員になり、それまでやったことのない校正の道に進むことになり・・・。
自分のやりたいことではうまく突き進めないのに、人に頼られて任せられると根気強くやり遂げる。
器用に見えて、いつも「自分のやりたいこと」をうまくつかめない。
どんなときも「自分のやりたいこと」を手放さず生きてきた私は、そんな本質的に切ない器用さと不器用さを持つ姉を、どうにか守りたいと思うようになっていました。
姉が良い伴侶を得て東京で結婚することになったときも、旦那さんがつきあえない結婚式場の下見・ウエディングドレスの試着・結婚指輪の購入にも付き合いました。寂しがりな姉を、そんなイベントに一人で立ち向かわせることはできない。トラとライオンは、お互いを守り合う狛犬のようになっていました。
その2年後に私が結婚することになった時にも、ドレスを着るため背中の産毛を剃ってくれたのは姉でした。
昼下がりのお風呂場での慣れない作業。
「人の背中って意外と大きいっちゃね〜〜?」「こんなの他の誰にも頼めんよ」「自分でもできんよね〜」と笑いながら産毛を剃り終わり、西日の差し込む明るいリビングで、二人でスーパーカップのバニラを半分こにして食べた時のことでした。
「・・・あ〜〜あ、嫁にやりたくねえなぁ」
行儀悪く片膝を椅子に立てて姉がぽつりと言いました。
「え?!」
いろんな角度で姉のことを見て、いろんな想像で姉の気持ちを推測できるつもりでいた私は、その言葉に世界が割れるほど驚きました。
「そんなこと思うと?」
「思うよ。いややな〜って。やりたくねえ〜って」
「はははは!え〜〜・・・自分も結婚したのに」
「そーやけどさ〜〜」
私と姉しかいない空間の、七月の西日はとても眩しくて、私は私を強くする魔法をかけてもらったことを感じました。
私に対しておそらく嫉妬も嫌悪も愛しさも怖さも抱いていただろう姉は、その扱いづらい感情をなお大きく包み込む父性と母性を両方持っていたのです。
追いかけるように結婚した私が、姉よりも早く子供を産み、二人目も出産し、三人目も出産し・・・。そんなつもりはないのにまた人を追い詰めている、傷つけていることを、重く自覚しながら月日をすごしていた時、
なんの変哲もない駅から自分の家への帰り道、梅の咲く季節に姉から電話がありました。
「ゆきにん、妊娠の陽性反応が出たよ」
「え!?」
「赤ちゃんができたよ私」
「わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
『これまでの人生で一番幸せだと思ったことは何?』と聞かれたら、私が思い出すのは絶対この瞬間です。
バチンと電気が走りました。スマホを放り出してバンザイ!バンザイ!スマホを放り出しては電話できないのに、あれ、なんで電話できないんだろう?あれ?詳しく聞かせて?と馬鹿みたいに慌ててまたスマホを手に取って。
どんなに努力しても自分ではどうにもならない、神様の力がかなりの割合で必要な奇跡を、その光を、姉と旦那さんが苦労の末に得たことを、肺と心臓の間がカッと熱くなるようなそんな喜びを、今でも鮮明に思い出せるのです。
我が家の三番目と四番目のあいだに姉の第一子が生まれ、一緒に遊ぶ時は年子の兄弟のよう。
毎年子供達の誕生日にも、自分たちの誕生日にも、集まって大きなケーキのろうそくを吹き消すのを楽しみにしていたけど、それが叶わない去年と今年。お祝いなんてどうでもよくて、何にもなくても会いたかった。なんにもなくても会えるのが姉妹のいいところなのに。
「あんた、その服ちょっとおかしいよ?」
「ゆきにん、足のむくみがやばいよ」
「あんたもうちょっと言葉に気をつけりぃ?」
もう誰もそんな注意をしてくれない大人の世界で、姉が忖度なく浴びせてくるジャッジはいつも苦いけど、
「あ〜〜あ、嫁にやりたくねえなぁ」のあの言葉が、どんなに落ち込んだ時にも空っぽになった自尊心の器の底で光るのです。
お姉ちゃんはもう忘れてるだろうけどね。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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