#368 自分の「人生貸借対照表」を考える。他人資本を何の資産に変えてきたのか(社会人になるまで)
いかがお過ごしでしょうか。林でございます。
これまで、自分の人生にファイナンスの考え方を適用するとの趣旨の記事を何度か書いてきました。
今日は、貸借対照表をより本質的に理解することと、今の自分の収入の基礎となるスキルとして保有されている資産は何か?を棚卸して、今後これらの資産をどのように自分損益計算書側の売上(=収入)に繋げていくかを考えるために、「人生貸借対照表」を考えてみたいと思います。
これまでの35年以上の時間を3,000字で表現するにはあまりに薄口になりそうなため、今日は社会人になるまで、のところで一旦区切りたいと思います。生まれてから仕事を始めるまでのこの時期は、貸借対照表の右側(=資本)のほとんどが「自己資本」ではなく「他人資本」に依存しています。国や両親が自分に投資をしてくれている時期で、私は基本的には学校に通いながら、将来に自分で収入を作って行くための資産(自分の能力やスキル、人間関係)を蓄積していきました。
以前は、自分の「やりたいこと」のヒントを探るために、小学校〜高校までを振り返りましたが、今日は「今に繋がる資産」の棚卸を目的として、典型的なエピソードをいくつか振り返ってみたいと思います。
小学校〜中学校で得た基礎体力
まず、今の自分に繋がる最も大きな資産として、健康と基礎体力があります。
東南アジアで仕事をしていた時は、1年に40回以上は昼夜問わず飛行機に乗っていて、働く時間の面でも今の自分には考えられないほどハードワークモードでしたが、幸い体調を崩したりせず、キャリアの下積み期間を積むことができました。(時代も変わりましたから、労働時間の長さそのものを肯定している訳ではなく、事実として当時は自分の能力を引き上げるために仕事にフルコミットしていたということです)
現在も週2回程度の6kmランニングを5年近く続けて体力や筋力の維持を図っていますが、やはり一番体力を付けられる10代とかでピークポイントを上げておけたのは大きいと感じています。
小学校低学年くらいまではすぐに風邪を引く体質で、8歳の時に扁桃腺を切る手術をしました。
それが関係してるかどうかは分かりませんが、その後はあまり風邪を引かなくなり、それまでの内気な性格から人前で漫才をしたり替え歌や創作ダンスを披露するのが好きなお調子者に変わっていきました。笑
小学3年生の時に、親の目の前で車の交通事故に合うという、今の自分が考えると何とも親不孝なことをしているのですが、それで足を骨折し、3ヶ月程度入院先の病院に転校するという経験をしました。
しばらくは走るのもかなりぎこちない感じでしたが、調子が戻ってくると逆に走るのがドンドン速くなってきて、中学校では50m走を6秒切り、サッカー部と相撲部を兼部しながら、県内の陸上競技大会などにも参加していました。
最近では、部活動の是非そのものの議論もあるようですが、体育の時間だけで筋持久力を当時まで引き上げられてたとは思えないので、大人になる前にある程度本気で運動する機会があったのは良かったと思っています。
高校に入ってからは、学年で400人を超える割と大きめの学校だったこともあり、レギュラー倍率が高いサッカー部で、休日に練習試合などで1日かけて他人の試合を見ることに意味を見出せなくなり、2ヶ月ほどですぐにやめてしまいましたが、運動で頭をすっきりして、身体のベストなコンディションを作って勉強してたら、もっと学力を上げられたんじゃないかな?とは感じます。
大学受験で一番勉強してた時には、学校の授業中に寝て、家に帰ってきて夕方1時間程度寝てから、ご飯を食べてお風呂に入り、夜中3時くらいまで勉強して次の日6時過ぎに起きて、、みたいな生活リズムでしたが、今の自分から見れば何とも学習ロスの大きい勉強法だなぁと。
高校生の自分には、運動と睡眠を適度に生活に取り込む勉強法を教えてあげたかったです。
話は逸れましたが、10代で基礎体力のピークを引き上げられたことが、現在でも今のところは健康に生きるベース資本になっています。
中学・高校でのリーダー経験
私は、中学校ではサッカー部のキャプテン、高校では、学校祭などのイベントで何らかのリーダーの立ち位置で動いていました。
自分から手を上げることはなかったのですが、学校という集団生活の中で友達と遊んでいたりする中で、物事を決めたり、リードする振る舞いが自然と多かったのか、結果としてそういう役割で動くことが多かったです。
個人的に大きかったと感じているのが、サッカー部のキャプテン経験で、中学生なりにチームを如何に強くしていくか、を本気で考えて取り組んでいました。
キャプテンに選出されたときに、当時のコーチからの言葉が意外にも頭に残っていて「これからは嫌われ者になることを恐れるな」と言われました。
それまでは、割とゆるゆると言うか、他人に対して柔らかな感じで接していましたが、「言うべきことは言う」を徹底しようと決めました。実際に後輩がカラーコーンを蹴り飛ばしていたり、練習が緩い雰囲気になった時にかなり毅然とした態度を取っていたりしました。
教職員の車に爆竹が仕掛けられたり、授業中に自転車が廊下を走るような荒れた学校でヤンチャな部員が多い中、リーダーシップを発揮するせざるを得ない経験を持てたことは、仕事を始めてから出会った一癖も二癖もある人たちの協力を得ながら成果を出す時の心得を学べた原体験でした。
社会人になってからのリーダーやマネジメントの役割の数に比べて、社会人になる前のこれら役割の数が少ないことが、大人になってからマネジメントに困る人が多い1つの理由のように感じますが、実践を通じたリーダーシップ教育は本当に身になることを感じています。
大学で他人と議論する経験
関西弁の環境の中で過ごしてみたいという気持ちだけで、関西の大学に進学し、生活費は自分でバイトをして稼ぎつつも、学費は親の融通と奨学金を受けました。
この期間で得られたインビジブルアセットは、他人と議論する能力かなと思っています。
まず、人的資源管理のゼミでは、仕事のモチベーションやリーダーシップ、組織論を学んだのですが、学んだことそのものと言うよりも、同じゼミの友達とひたすら議論をする時間が、今振り返るとかなり貴重でした。
他大学との合同ゼミに向けた研究発表のストーリーを作ることが主目的でしたが、色んな書籍をテーマにして、週2、3回決まった場所に集まり、2時間くらいひたすら議論するということを繰り返してましたが、思考が他人の意見を受けて深化していく感覚が非常に楽しかったのを覚えています。
また、英語で全国の大学の人たちと1年を通じて毎週末社会問題について3時間以上ディスカッションするという、一見すると大変奇異な活動にも時間を割いていました。毎回違う人とグルーピングされて、安楽死、死刑制度、労働時間、教育問題などについて、論理的に議論を展開する型を学べたのは大変いい機会でした。
とにかく誰かと議論、ディベートする機会を多く持てたことで、自分の思考が深まったり、就活や仕事の場での議論に抵抗感がない理由だと感じています。
このように、学生時代までは、国や制度、両親からの他人資本を元手にして、公立学校・大学で学んできたわけですが、直接的な勉強そのものよりも、チームで何かに取り組むことや、仲間と議論する時間を持てたことで、チーム成果を出すためのリーダーシップや思考を深める、プレゼンする、というスキル=資産(貸借対照表の左側)を形成したことを自覚することができました。
次回は、仕事で稼ぎを自分で作り始めてから、どのように自分資産を大きくすることを意識してきたか、考えてみたいと思います!