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#414 正義は常に両側にある。ガンダムが教えてくれること

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

私はコアなガンダムファンというわけではないのですが、自分の子どもにもいつか見てほしいと思っているのがガンダムです。

そうは言っても、私もガンダムを見始めたのは24歳の時。当時の職場の先輩とひょんなことから「赤い彗星のシャア」の話になったのですが、「シャアって何ですか?」と素朴に聞いたところ「は、何言ってんの?」というリアクション。

2010年代前半、まだまだゾス!な職場環境でしたから「ガンダムも知らずに仕事をしている林のことは人として信じられない。これから必死にキャッチアップするように」と、先輩から宿題をいただきました(誤解なきように伝えると、この先輩はめちゃくちゃいい人で、愛あるゾスのパターンです笑)。

20代前半、とにかく早く仕事を覚えて、1日でも早くチームの人たちに貢献したいと考えていました。また1年目から、いわゆる「炎上プロジェクト」にアサインされてしまったため、ほぼ毎日終電、時々タクシー帰りみたいな忙しさでした。

しかし、当時は若さを武器に体力だけはあったのと、そこまで言われたガンダムはどれだけ面白いのだろうか?という興味が勝ってしまい、ほぼ毎日欠かさずガンダムを見るようになりました。

職場の帰りにTSUTAYAがあったので、DVDを大量に借りて一気見。まずは基本を、ということで、「初代ガンダム全43話」、「ゼータガンダム全50話」から入りました。
終電で家に帰ってきて、お風呂に入ってから睡眠時間を削り夜中に2〜3話見て、次の日は朝から普通に仕事に行くという、今の自分には完全に無理ゲーな生活をしていました。

初代ガンダムに関しては、一旦全て見終わったものの、職場の先輩に「ここまで見ました!」と報告した時に出題された質問に答えられず、なんと部分的に寝落ちしていたことが判明。
頭からやり直しして、丸2周分見ています。

1話30分弱あるので、初代ガンダムとゼータガンダムを合わせると、トータル46.5時間。1人目の子どもが生まれたばかりの頃、夜中にミルクをあげている間に時間潰しで見ていた「24 TWENTY FOUR」の1シーズン分でさえ30分×24話で12時間でしたから、これから見始めるにはある程度の覚悟も必要です。

しかし、最初は「昔のロボットが戦うアニメ」という浅はかな認識を持っていたのですが、見終わってみると、ここまでいろんなことを考えさせてくれる作品はなかったです。

そもそもロボットではなく、モビルスーツだと。
私も「キュベレイのガンプラ」を見ると「めちゃくちゃかっこいい!!」みたいな気持ちにもなるのですが、何といってもガンダムの良さは、「正義は常に両側にある」ということをメタ的に教えてくれるところです。
そして、この世で一番危険なのは「過度な正義感」。

ちょっとした事案に対しても「自分の言い分は正しい、相手の言ってることはおかしい」とどうしても考えてしまいがちですが、それによって苦しめられるのは大抵の場合自分です。

「自分と違う意見の人もいるのね、That's all!」くらいで何事も受け流しながら、「世の中そういうもの」と捉えているくらいがちょうどよいと感じています。

そして、そのような「受け流し力」を身につけるには、「一定の思い込み」と「受け流すトレーニング」、そして「正義とはそういうもの」という知識が必要です。

大袈裟かもしれませんが、ガンダムは最後の「知識」の部分を補ってくれる「人生の教材」です。
ここからは、ネタバレを含みますが、特に私的に印象的だったストーリーに触れながら、お話していきます。

第28話 「大西洋、血に染めて」

まず、舞台は地球からスペースコロニーへの宇宙移住が始まり半世紀余りが過ぎた宇宙世紀0079年です。主人公のアムロ・レイが属する地球連邦軍と、連邦政府に対して独立戦争を挑んだジオン軍のストーリーが描かれています。

大きなストーリー全体からは若干ニッチな話なのですが、第28話の「大西洋、地に染めて」は、10年以上経った今でも鮮明に覚えている話です。

地球連邦軍の宇宙戦機である「ホワイトベース」に女スパイとして乗ってきたのが、ジオン軍に雇われたミハルです。

ミハルは、連邦軍とジオン軍の戦争で両親を失い、小さなきょうだいを養うためにスパイの仕事をしている少女です。

ミハルの使命は、連邦軍のホワイトベースに乗り込み、その行き先をジオン軍に知らせることでしたが、行き先は南米であることを伝えた直後に、連邦軍のカイ・シデンにスパイであることを見破られてしまいます。

ミハルとカイは、この話の前から出会っており、カイから「何故ここにいるんだ?」と問われ咄嗟に「あんたを追ってきたんだよ」と答えますが、カイにはそれが嘘だと気付かれます。

カイは、ミハルがきょうだいの生活のためにスパイをしている事情を悟り、それを庇うためにスパイが乗り込んだことを仲間にも報告しないのですが、居場所を掴まれたホワイトベースは、ジオン軍からの攻撃を受けることになります。

そんな中、ホワイトベースの中にも「カツ・レツ・キッカ」という3人の小さな子どもが乗っていることを知り、自分のきょうだいだけが助かるのはおかしいと自責の念に駆られ、自らもジオン軍と戦わせて欲しいとカイに懇願します。

カイは、ミハルの気持ちに押される形でこれを認めますが、水中の「ズゴック(ジオン軍のモビルスーツ)」との戦いに手こずります。ガンペリーの電子回路が故障したため、ミハルはカタパルトにあるミサイルすぐ横の発射レバーを操作してズゴック撃退に成功しますが、その際の爆風に巻き込まれてしまうのです。

苦戦していたズゴック1機を仕留め、カイは「ミハル、やったぞー!」と叫びますが、同時にミハルとの別れの場面となってしまいました。

双方に双方から見た正義がある

地球連邦軍側のストーリーがメインで描かれているため、どうしても「連邦軍=味方、ジオン軍=敵」の構図に見えてしまう面もあるのですが、ガンダムシリーズが巧みなのは、絶対的にどちらの正義が正しいとか、絶対的な味方や敵という概念などないということを教えてくれる点です。

上述した連邦軍のカイとジオン軍に雇われたミハルの話は象徴的ですが、ストーリー全体を通じてそのようなメッセージを受け取ります。

初代ガンダムではジオン軍のザビ家の小さな赤子として登場するミネバ・ザビが主人公として語られている「機動戦士ガンダムUC」もあります。

そして戦争という大きな話に限らず、日常のちょっとした対立や不和といったシーンにおいても、同じことってあると思います。

もちろん、「そんな言い方しなくても良くないか?」という「言い方」や「伝え方」の部分で必要以上に「考え方の違い」が拗れている場面も多いと感じます。

「言い方」や「伝え方」だけで損していると感じる人も少なくないです。日常で出会う尖った言い方、嫌味な言い方に対して真っ向から受け止めるととてもメンタル持たないので、「そんな言い方しか出来なくて可哀想だなぁ」というスタンスをあえて持つようにしています。サッカーで速いボールをナイストラップで止めるイメージです。

ただ、いろんな人がいる社会なので、どうしても「信じているものの違い」は当たり前に存在するもので、「違いを認める」ことすら不要、「お互いに違うことを放置する」がちょうどいいと思ってます。

違う正義と相対するよりも、自らがいいと感じるものを共有できる仲間との時間を大切にする。
人生そんなに長くありませんから、「一緒にいて心地よいと感じる人間関係」の中に身を置くほうに集中したいですね。

年末年始にお時間ある方は、ぜひ「初代ガンダム」の第28話だけでもご覧になってみてください!

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林 裕也@IT企業管理職 ×「グローバル・情報・探究」
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