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#453 のもきょうさんとの対談。うまく伝えられなかった話こそ、大事な大事なアタックチャンス!

2024年Voicyフェス総合ランキング2位でトップパーソナリティのお一人、のもきょうさんと、Voicyライブアワーにて「探究学習」や「地域とグローバル」、「東南アジアのリアル」について、90分間対談させてもらいました!

対談内容に関する振り返りは、またのもきょうさんのチャンネルでアーカイブ放送がリリースされたらお伝えしようと思います。

今日は、毎回対談やプレゼンテーションなどをやると感じる、「あの時、ああいう言い方した方が伝わったよな〜」という振り返りに焦点を置いて、文章に残しておきたいと思います。この「もっとこうしたらよかった」みたいな感覚は、最も貴重な学びのタイミングです。「うまく言えなかったこと」=「それまでは言語化された形で、自分の中で腑に落ちていなかったこと」になるので、「うまく言えなかったこと」との出会いは、超チャンスなのです。うまく言えなかったことを振り返って、改めて言語化された時に「学びが開く」感覚があります

明日には忘れてしまっているはずなので、記憶が新鮮なうちに、「本当はこういうことが言いたかった」をまとめます。

収録直後の感想は、スタエフでも話してますので、ぜひこちらもお聞きください!

社会に出る前と、出てからの「価値基準」が変わる話

私が話していた内容に対して、リスナーさんからコメントでご質問いただいたのがこの話です。

私のこれまでの人生の実感値として、小中高で「良い」とされてきたものと、社会に出て仕事を始めてから「良い」とされるものが、一気に逆転すると感じた、という話をしました。そこに対して、より深掘りをお願いしたい、というコメントをいただいたんですね。

これ、ものすごく有難いコメントだなと思っていて、対談中に一旦回答はさせてもらったのですが、改めてこの場で深掘りして回答したいと思います。

分かりやすいのは、社会に出るまでは「みんなと一緒」が良い、という価値観だったのに、社会に出てからは「みんなと違う」が良い、という周囲の評価軸が変わったという点です。

進学校から大学進学することはその典型的な例で、私はたまたま学校の勉強が苦手ではなく高校は進学校に進み、何の迷いもなく大学進学をしました。

「みんな大学に進学するからそういうもの」、「ちょっとでも背伸びをして、いい大学に入ったほうが、その後の人生の選択肢が広がる」というように思っており、ほとんど疑う余地がありませんでした。
「(地方の進学校という狭い世界の中では)みんながそうしていた」から、自分もそうした、という感じなんですね。

一方で、就職活動ではじめて感じたのは、「みんなと違うユニークな経験」がある方がいい、ということでした。いい大学に入れば、多少は面接まで進める企業が実質的に多いくらいのことはあったかもですが、その先は「みんながやっていないことをやったか」、「自分で考えてどのように問題を対処したか」が評価されます。
そこでは、とりあえずみんなと同じように真面目にやった、という話は通用せず、初めて「みんなと違う」がいい、の世界にぶち当たりました。

社会に出てからも同じです。
私は、入社4年間が終わったところで、東南アジアを担当する部署に異動となりました。
自ら手を挙げての異動でしたが、2010年前半の当時、会社としてはグローバルに本腰入れていきたいけれど、なかなかグローバルの仕事に興味がある社員も少なかった状況でした。

私は、元々グローバルに興味があったわけではなく、就職活動では「I love Japanなので、国内の仕事がいいです」と言っていたくらい、ミスター・ドメスティックな人間でした。
しかし、みんながやっていないグローバルキャリアの道にこそ、自分ならではのキャリアが歩めるチャンスがあると信じ、英語を勉強してえい!と飛び込んだんですね。
この選択は、10年前の自分グッジョブ!と褒めてあげたいところで、明らかにキャリアが開き始めました。当時担当していたシステムの「有識者」か「英語が話せる人」のどちらかはいたのですが、両方できる人はなかなかいない。だから、社内でもオリジナルなポジション取りが出来たんですね。まさに、周囲とは違うことをしたことが、自分ならではの価値に繋がった経験です。

このように「みんなと違う」を追求した先にこそ、本当に面白い世界があるということ。これを社会に出るまでお預けにする理由はないので、中学生とか高校生くらいの段階で気付くきっかけを用意することが大切だと感じています。

自分ならではの探究を。ローカルとグローバルを繋ぐ役割

のもきょうさんやリスナーの方々からいただいたコメントで予想に反して多かったのが、「林さんならではのグローバル経験を探究授業に反映させるとユニークなものになる」という話でした。
「林さんのグローバルビジネススクールがあれば、Youtubeばかり見ている中学生の子どもに見せたい」というようなコメントもあり、なるほどと感じました。

私はこれまで、地域での探究学習と、自身の10年弱の東南アジアでの経験をあまりリンクせずに考えてきました。しかし、のもきょうさんからは「地方の問題解決こそグローバルで学んだことのヒントがあるはず」というアドバイスが。

例えば、地方のインバウンド需要を取り込んだ観光業や、地域の特産品を海外販売するという話。私自身も東南アジアの仕事で実感があるのですが、「日本のものを、日本の常識で提供しても、現地の人からウケない」んですね。
特に、日本ならではの高品質とか、多機能みたいな話は上滑りすることが多い。それよりも早く作ってよ、早く動かしてよ、が重要視される価値観です。さらに現地の方々は、日本人が「上から目線」で来るとそれを敏感にキャッチして、その人を明らかに拒絶するようになる。

東南アジアで顕著に感じていたのが、冷静に「相手の人間性を見ている」というシビアさですね。人として信頼感を得ることができなければ、立場や役割があったとしても、心のシャッターを固く閉ざされます。

東南アジアで10年近く仕事をしてきた本当のシビアさは、食べ物や生活環境というよりも、違う文化や宗教の中で、いかに現地の人と信頼関係を構築できるかという人間力が試されるところにあります。

"So, what can you do?" (で、あなたは何ができるの?)

に答えられることも重要です。
これを聞かれて困ってしまう日本人が多いのは、単にジェネラリスト型の育成スタイルが主流というだけでもない気がしています。

東南アジアの方に同じ質問をしたら、その時点で持っている能力としては多少日本人よりも低かったとしても、スラスラと回答する人も結構います。
何が言いたいかというと、日本人は、自分ができることを言語化することに慣れていないケースが多いということです。

それくらいシビアに人間力が評価される環境なので、どういう振る舞いをすれば良好な人間関係が構築できるのか、という肌感覚が重要です。

「グローバルとは、グローブなので、本来は日本を含めた全体を指している」と考えています。グローバル適応能力とは、「海外で通用する能力」や「英語力」を指しているのではなく「日本でも海外でも通用する、本質的な人間としての魅力」を指しているんですよね。世界中どこ行っても、イヤな奴はイヤな奴だし、いい奴はいい奴なのです。笑

今回紹介した「グローバル」の話はほんの一例ですが、東南アジアで10年近く仕事をしてきたからこそ見えている景色があるはず。それを「ローカル」での探究学習で実装して、「グローバル教育」を探究に取り込むことが出来ると、私なりのユニークな探究活動が提供できるのでは?という気付きがありました。

私が定義する「探究」は、「実社会や実生活における課題を見つけ、自ら問いを立て、自らの行動を持って検証すること」になります。これだと広い概念なので、特に私が提供する探究学習としてグローバル経験を掛け算したものと出来ると、より面白くなりそうと感じました!

私なりの探究の定義については、別記事のテーマとして今度まとめてみようと思います!

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林 裕也@IT企業管理職 ×「グローバル・情報・探究」
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