周りには隠してきた小学校生活
こんにちは、ゆをです。
前回にも僕の小学生生活については書かせてもらいましたが
今回、新たに小学生生活を書き直したいと思います。
1年生
初日の入学式から泣いていました。
しかし小学校生活が始まってからは意外と普通に過ごしていました。
ざっくりと普通といいましたが、特に問題も起こさなかったし
目立たなかったという感じです。
担任の先生は、まだ若い女性の方でした。
友達は1人か2人いたかな…?ってぐらいです。
あまり友達と遊んだ記憶はありません。
特にこれといった出来事がなかったからか、1年生の出来事はあまり覚えていません。
しかし一つ覚えているのは、授業中ぼーっとしていて怒られたことぐらいです。ですがこの出来事が今のADHDの症状を軽くしてくれたのではないかと考えています。この出来事はまた別の記事で書きたいと思います。
2年生
人生がいい意味で変わった年です。
まず担任の先生はベテランの女性。優しくもあり厳しい先生で
逞しい先生といった感じです。
この1年間は、この先生に何度も褒めていただきました。そして学力も自分でもわかるぐらいグンと上がったと思います。
自慢ではないですが、クラスで1人テストで100点を取ったなんてことが何回かありました。
またもう1人出会った人物がいます。
それはダウン症の女の子で、クラスが一緒になり席も隣になりました。
そのためか僕はその子のお手伝いをするようになり、気づけば仲良くなっていました。今考えればその子のお手伝いをするのがモチベーションとなっていたんだと思います。
3年生
2年生の担任の先生は定年退職され、次は若い男性の先生が担任です。
が、これが悪い意味で人生が変わりました。
まず話せなくなりました。場面緘黙症の始まりと言っていいでしょう。
おそらく担任の先生にいろいろと言われたのが原因だと思います。
正直今でもこの先生は恨んでいます。
それぐらい最悪の年でした。
またダウン症の子とも違うクラスになりモチベーションも下がったのか
成績もあまり良くなかったと思います。
このころから同時にコミュニケーションも苦手になり
人に話しかけるということがほぼなくなりました。
4年生
担任の先生は女性になり、ダウン症の子とも同じクラスになりました。
ただ先生は少し怒りっぽく、怒るのが当たり前といった先生です。
しかし僕には優しく接してもらい、徐々に話せなくなる中「話す」ことを少しですがサポートしてもらった気がします。
学力的には3年生よりもよくなり、学力を取り戻したといってもいい1年でした。
一方でコミュニケーションではほぼ完全に話さなくなり、ほかの生徒の関わりでは「うん」「ううん」とうなずくだけのコミュニケーションになっていました。ですがダウン症の子と遊んでいると支援学級の先生との関わりも増え、意外と楽しかった学年でした。
5年生
去年に引き続きダウン症の子とは同じクラスで、担任の先生は若い女性になりました。
相変わらず話せない状態の1年でしたが、5年生には初めて親から離れて過ごす「林間学習」がありました。しかも2泊3日です。
出発前はもう不安で仕方が無かったです。しかし逆に開き直ったのか案外出発の時は「頑張るぞ!」って感じでした。
林間学習はすごく楽しくて、登山こそ疲れましたが充実した3日間でした。
この頃から、潔癖症にもなり公共の場所にある物を触るのが怖くなってきました。
勉強も分かったし、それなりに面白い1年間でした。
6年生
最後の学年です。5年生と担任の先生は変わらず、ダウン症の子とも一緒のクラスになりました。
出来事としては修学旅行があり、もう宿泊行事には慣れたので楽しく過ごすことができました。行動の班もダウン症の子と一緒で、その子には支援学級の先生がついていたので、困ったときはさりげなく頼ってました。
話すことは家族以外ほぼありませんでしたが、国語の授業であった「暗記発表」はなぜかできました。暗記発表とは詩などを覚えて発表し、すべて覚えて読むことが出来れば次の詩を覚える…それを繰り返し1年間しました。
結果はクラスで確か3番目に多く覚えることが出来ました。自分でもビックリしてます。
まとめ
まとめると、3年生からコミュニケーションを取るのが難しくなり、6年生ではほぼ話せなくなりました。そんな自分でも今考えるとそれなりに周りについていってたんだなと思いました。
今回もご覧いただきありがとうございました。