男は女から嫌われていることを自覚したほうがいい
令和になって、男性と女性の関係性は大きく変わったと感じる。それは、女性が男性に対する不満を発言できる文化が育ってきたからだろう。それはたとえ匿名だったとしても、世界へ発信することによって拡散し、賛同者を得て力となっていく。なぜならその中身が、これまで女性が泣き寝入りするしかなかった、諦めるしかなかったものだからだ。日本によって黙殺されてきた、男性が女性に与えるダメージが、今、溢れ出そうとしている。令和の時代にあって、平成や昭和の中に生きる男は、男性からも女性からも排除されていくだろう。これから私が綴る文章を読んで、少しでも自分の身を心配したのなら、人間関係を省みる機会として欲しい。
そして、「自分だけは大丈夫だ」と感じたのなら、その感覚は危険かもしれない。今一度、自らの価値感や生き方を、見直してみても良いと思う。
昨今「自己肯定感の高い男」が話題となっている。自分には、女性から好かれるだけの価値と魅力があると信じ込んでいる男のことである。女性の一挙手一投足や、あらゆる言動を、自分に対しての好意の現れ、または関わりを求めるサインだと思い込み、接触や介入を試みようとしたり、実際に行動化したりする。また、そういった男は、自分が向けた興味や好意を、女性が肯定的に受け止めると考えている。
恐ろしいことに、社会はこういった男を中心に回ってきた。そこで形作られたシステムや規範によって、女性は日々、嫌悪感や不快感の中に生き、ときには恐怖を植え付けられてきた。
勇気を出して声を上げたとしても、オンナのヒステリーで片付けられてしまう。男は権力や財力、物理的な力によって、女よりも圧倒的優位に立っているにも関わらず、男を惑わす女性こそが加害者であるという風潮まで現れ、社会に浸透した。また、極めて例外的な女性や、自らが関係を持った極小数の女性を持ち出して、それがさも一般的な女性像であるかのように論じ、男の作った社会を正当化し続けてきた。
その中で女性たちは、我慢を強いられ、泣き寝入りするしかなかった。しかし令和となり、時代は一歩前進した。これまで、古き悪き文化によって守られてきた男が、社会的制裁を受ける時代がやってきたのである。
ここで、一旦「自己肯定感」という語について整理をしておきたい。自己肯定感には様々な定義があるが、概ね一致しているのは、自己を高く評価し、自分自身を大切にし、ありのままの自分を受け入れる、ということである。本来、自己肯定感が高い状態とは、自己の評価基準において、自らを認めているのだから、他人の言動に左右されにくい。だから、SNSで話題となっている、女性の言動を自分への好意と勘違いし、それを信念として行動化する男性というのは、自己肯定感が高い男性ではない。他者の些細な言動に左右されやすいのは、むしろ自己肯定感の低い者にみられる特徴である。ではそういう男性を何と呼べばいいかという話になるが、それには大変便利な呼称が既に存在している。
それを「性的過大知覚バイアス」という。バイアスとは認知の偏りを指す語である。つまり、性的過大知覚バイアスとは、主に男性が、女性の行動を自らへの性的興味として誤って解釈する傾向のことを言う。
何故このようなバイアスが存在するのか、また、それはなぜ男性に多いのかは、未だ未解明である。
こういった類の話に進化論を持ち出す輩は、アカデミズムにも少なからず存在するが、私はそれを誤りだと考える。彼らは「オスは、多数の子孫を残すために、多くのメスとの性交を望む。一方でメスは、妊娠をするために、多数のオスと性交しようとしない」と主張する。しかしその主張には破綻がある。
二十万年以上と言われるホモ・サピエンスの歴史。その中で、食料の備蓄が始まったのは、わずか一万年前。それまでは狩猟採集社会を人類は生きてきた。進化には数万年単位の時間が必要とされているから、一万年というのは極めて短い期間であり、現代人の脳は、未だ狩猟採集の時代から進化していないと言われている。それを心理学に応用したのが進化心理学である。進化論を引き合いに出すのなら、進化心理学の立場からも、性的過大知覚バイアスについて考えてみたい。
狩猟採集社会の女性にとって、妊娠、出産、育児というのは、現代と比べるまでもなく非常にリスクが高いものであった。ヒトは妊娠期間が長く、子どもは自立した状態で産まれない。そのために長期間の育児を必要とする。その間、女性は自分で食料を調達することができないため、パートナーが必要となる。現代で言えば夫の存在である。
(進化心理学では、男女共同での育児を可能にするために愛情が生まれた、なんて話もでてきますが割愛します。検索してみてね。面白いから)。
オスが出産や育児に関わる生物の場合、オスが死亡することや、育児放棄をすることは、子どもやメスの命を危険に晒すことになる。メスが育児中、狩りをして餌を届けるオオカミ。オスとメスが交互に卵を温め、餌を取るペンギン。
身近な生き物では、ツバメもオスが育児に参加する。ツバメの雛は一日百匹もの餌を食べる。雛が五羽であれば一日五百匹。それをオスとメスで分担している。オスが不在になると、メスだけでは十分な栄養を雛に与えることができず、結果、雛が巣立つことができなくなったり、巣立っても身体が未熟であったりする。
人間も、狩猟採集社会では、オスの不在がメスと子の命に大きく影響する。人間は世代を超えた群れを形成して子を育てていたという説が唱えられているが、それでもオスの不在はデメリットが大きい。
つまり、人間の男性は、多くの女性と性交したとしても、自らの遺伝子を残す可能性が上がるわけではなかった。むしろ、一人の女性と共同生活をし、助け合いの中で、その子や、兄弟、姉妹を守る方が、ずっと有意義だったはずなのである。
(一方でオスの不在が、自分と子の命に関わることから、メスの方が浮気に敏感であり、浮気するオスを嫌悪することには説明がつく)
次章から、より具体的な事例を交えながら、人間の男について、アプローチしてみたいと思う。