日記より25-25「年賀状の感想文」(続き)

   日記より25-25「年賀状の感想文」(続き)      H夕闇

H(旧姓T)Nへ  

 拝復 元旦の年賀状を有り難う。でも、お前がバーバになるなんて、僕は許せないなあ。 あの幼かったMが、赤ん坊を抱いて、夫と頬笑む写真も、この世に有り得ない気がする。クリスマス・カードを書いたサンタ・クロースの正体を探ろうと、親戚中を筆跡鑑定した娘は、どんな夢を人生に持ち続けたのだろう。正体は未だに明かされていないのか?

 お前とは卒業後も何度も会ったが、僕の中で面影がチッとも変わらない。T高の制服を着て、めがねを掛けると、グッと女ぶりが上がった「めがね美人」のままだ。それがバーバなんて、許せない感じだ。

 コロナ騒ぎが終わったら、第二の実家へ帰省しなさい。               

令和四年正月十八日(火曜日)S市は雪降り  草々

T(旧姓W)Yへ

 寒中お見舞い申し上げます。又、正月には賀状を有り難う。

 上の双子が高校二年とのこと。僕がM高で君の副担任をした年頃だな。修学旅行で明日香へ行き、京都の旅館へ戻る電車だったか、二人掛けの席に並んで座って鴎外の「高瀬舟」について話したのを、今も覚えている。

 結婚式に雪の降る盛岡へ呼ばれてスピーチしたが、序でに啄木の旧宅を見に行った。あの日の花嫁の写真が、書斎の本棚に飾ってある。

 あぐらの両太ももに一人ずつ座らせて同時に授乳した、と言う双子の忙しい育児風景、僕には強烈で、忘れられない。母親には叶わない感じがした。

 年賀状の度に住所が変わり、転勤が多いようだ。コロナ禍が済んだら、又遊びに来い。                          草々                                                      

N(旧姓T)Mへ

 拝復 元旦には年賀状を有り難う。子宝は二人ともピョンピョン飛び跳ねて元気そうだな。

 育児期間は休職するとのことだったが、コロナ下でエッセンシャル・ワーカーが求められる昨今、職場へ復帰したのか。

 君が高校時代の夏休みに保育園で手伝って、志望を自己確認したことを話した所、僕の長女も見習った。いつか君からの賀状を見て、「この人が居なかったら、私は保育士になっていなかったね。」と娘が言った。

 母子二代の保育士。コロナ騒動が終息したら、三者面談を再現しないか。                                                                                                                                                           草々


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「頑是(がんぜ)ない歌」(部分) 中原中也

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
この先まだまだ何時(いつ)までか
行きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなに恋いしゅうては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局がんばる僕の性質(さが)
と思えばなんだか我ながら
労(いたわ)しいよなものですよ

考えてみれば それはまあ
結局がんばるのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟(ひっきょう)意思の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれども それもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ
           (詩集「在りし日の歌」より)


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