政治的な成人式
日記より27-6「政治的な成人式」 H夕闇
七月三十日(日曜日)晴れ+熱中症警戒アラート
選挙が有って、投票に行って来た。「危険な暑さ」が騒がれる、投票率が又グンと下がることだろう。三人に一人の程度とか。僕は出来る限り早く出掛(でか)けた。ここで暑さに負けて棄権すれば、政治家の不正を批判する権利をも自(みずか)ら放棄するような気がして、いつも敢(あ)えて投票に行く。
投票所は、例に依(よ)ってK小学校の体育館である。選挙とは別に、その場所にも心を引かれるのである。
この学校には、我が家の子供たちが皆お世話になった。通学路の坂を子供らが上る時に、僕の通勤電車が坂の上の高架橋を通過する場合いが、偶(たま)に有った。いつも僕は先頭から二つ目の出入り口に立つことを予(あらかじ)め示し合わせてあって、車窓の内と外で、親子が互いの姿を認め、手を振り合ったものだ。娘たちは恥ずかしがって小さく、おだぢもっこの伜(せがれ)は大きく手を振った。サッサと学校へ向かおうとする姉妹を父と同姓の嫡男(ちゃくなん)が宥(なだ)めたことも有る、と後に聞いた。
あれから幾(いく)星霜。その坂道を子供らが通うことは、もう無い。喘(あえ)ぎ乍(なが)ら、冷たい水筒を煽(あお)り乍ら、きょう僕は炎天下を一人で上った。
当時の欝蒼(うっそう)とした杉林が一部は切り払われて、大きなマンションが建った。沿道に植栽された芙蓉(ふよう)は、今が盛りと咲いている。薄紫の大輪の花が、木陰で清(すが)しかった。
林を出外れ、緩い坂を上り詰(つ)めると、学校が有る。そこの体育館は、震災の時に避難所になり、我が家も二泊三日お世話になった。自宅は倒壊しなかったが、家具や食器が散乱し、足の踏み場が無かっただけでなく、近所一帯がガス臭かったと言う。
僕自身は発災を職場で迎え、帰宅できたのは夜も遅くなってからだった。それでも、泊りを覚悟した位(くらい)だから、その日の内に帰れただけで、御の字だった。停電で真っ暗な中を帰宅すると、家はチャンと建っており、避難所で家族とも落ち会えてホッと一安心。内の子らは避難所の運営に少しく参加していた。それから、入院中の父の安否を確認する為(ため)、僕は真夜中に自転車でO病院へ向かった。満天の星、雪がチラついたのを、僕は今も覚えている。
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校門から投票所になった体育館へ向かうと、親子らしい三人組みが出て来た。投票を済ませたらしく、校舎の方へ行く。お邪魔にならぬ程度の距離を保って、さり気(げ)なく見ていると、若い娘さんが(ここの卒業生なのだろう。)「あそこが音楽室。」「裏山へは出られない。」などと両親に学校の様子を説明している。
もう成人して選挙権を得、両親と揃(そろ)って投票に来たのだろう。投票所が同じな所(ところ)からすると、実家に同居しているのだろうか。選挙の序(つい)でに、懐かしい学び舎を案内するのだろう。羨(うらや)ましい光景に見えた。
我が家の子供たちは皆それぞれ家から独立してしまった。乙名(おとな)になった印に、親たちと肩を並べて投票所へ、、、なんてことは最早(もはや)二度と望むべくも無い。
改めて考えて見ると、成人式は本人には晴れがましいだろうが、今や同窓会みたいな祭り騒ぎに堕(だ)し、両親が招かれることも無い。市長や議員などより苦労して育てた父母が参列しないのは、妙な催(もよお)しだ。結婚式でも子の成長を感じる部分は有るが、配偶者という別個の要素が加わって、親と子で確かめ祝うという儀式ではない。社会から成人と認められ参政権を与えられた子と連れ立って投票に臨むのは、或(ある)いは政治的な成人式と云(い)えるかも知(し)れない。
投票所で見掛(みか)けた親子へ(陰乍(なが)ら)祝意を念じた次第(しだい)である。
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所(ところ)が、選挙の当日「一緒(いっしょ)に行こう。」と誘われて二つ返事で応じる子は、一体(いったい)どれ程だろうか。若者の投票率は(老人に比べて)とても低いそうだ。十八歳以上に参政権を認めるよう法改正が為(な)されて以来、高校で投票を促(うなが)す授業が行われるそうだが、成果は上がらないようだ。
歴史を顧(かえり)みれば、その一票を獲得するまでに多くの血が流された。英米仏の市民(ブルジョア)革命に始まり、前世紀に達成されて結局は破綻(はたん)したロシヤ革命だけではない。植民地の独立にも、多くの犠牲が捧(ささ)げられた。
僕らが目にした範囲でも、学生運動が有ったが、過激派のゲバ事件で一般国民から見放された。代議制民主主義を信じない運動家たちは、この選挙の時どうしているのだろう。
昨年来ロシヤ軍が隣国へ侵略するが、国連は機能不全。おととしはアメリカの連邦議事堂が襲撃された。プロレタリア独裁も民主主義的な価値観も崩れ去りつつある現代、世界は一体どこへ向かうのだろう。
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今日この国の政治風土を省(かえり)みるに、政策など一言も述べずに候補者名だけを連呼する鶯(うぐいす)嬢(じょう)。旧統一教会か否(いな)かを、先ず以(も)って名乗(なの)って欲(ほ)しい。選挙が有る度(たび)に「ああ、又うるさくなるのか!」と憂鬱(ゆううつ)になる赤ん坊の母親に、立候補した諸氏は子育て支援を高いマイクで訴える。きのうも我が家の裏道へ入って来た選挙カーは、鳴り物入りの音楽と競い合って「○○は頑張(がんば)っております!」と俄然(がぜん)がなり立てた。「あいつにだけは投票すまい。」とて聞き耳を立てても、肝心(かんじん)の氏名が聞き取れない。寧(むし)ろ選挙の時だけ矢鱈(やたら)と頑張らないで欲(ほ)しい、というのが有権者の偽(いつわ)らざる声である。それ程に政治と人々の常識が乖離(かいり)する。
こういう選挙の有り方にも絶望せずに、猛暑の中わざわざ熱中症の危険を冒(おか)してまで投票所へ出掛けるのは、愚(おろ)かしいだろうか。愚かしいと判断して棄権する人に、それでも行け、とは僕は言えなくなった。
だから、親子で母校へ投票に来た三人を、僕は大変に立派(りっぱ)に感じるのである。そのように育てた父母と、素直に賢く育った娘に、どうか幸い有れ。
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八月一日(火曜日)未明の雷雨、後に曇り
僕が投票した候補者は、その夜の内に当選が決まったようだ。これから僕は(ストーカーの如(ごと)く)その人の言動を追跡し監視しようと思う。それが選んだ者の責任であり、それを甘んじて受けるのが選ばれた者の覚悟だと思うからである。そして次回の選挙で参考にしよう。その時だけ何か頑張って叫(さけ)んでも、僕には全く無駄(むだ)である。
未明に待望の雨。萎(な)えたコスモスや朝顔たちも、喜んだろう。のっけから今年の夏は暑い。気候変動は、地球温暖化から、地球沸騰(ふっとう)の時代に入ったそうだ。 (日記より)
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