日記より25-28「ウクライナ侵攻」 (続き)
日記より25-28「ウクライナ侵攻」(続き) H夕闇
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同じく(アサド政府に加担した)ロシヤ軍の攻撃を受けて国を追われたシリヤ難民に、東欧各国は拒否反応を示した。それがヨーロッパ連合(EU)の分断となったことを、僕らは忘れては成(な)らない。
その時に命懸けで海を渡ってヨーロッパへ逃げて来た難民たちは、主にシリヤ人だった。ウクライナ人とは直ぐ隣りの国だし、嘗(かつ)てソ連に牛耳(ぎゅうじ)られた辛い過去を共有するから、同情が湧(わ)くのだろうが、遠い中東の異教徒には対しては冷たかった。
(とは言え、日本の難民受け入れは更に厳しく、申請中のスリランカ女性が入管施設で病死した去年の事件も有る。この度(たび)ウクライナからも僅(わず)かに十人単位。それも一時的な避難の扱いである。)
もう一点。ウクライナの一老人が欧米メディアのインタビューに答えて「自分は以前にソ連の軍人として共に戦ったのに、、、」と憤(いきどお)った場面に、僕は複雑な心境だった。古い戦友を裏切るロシヤを非難する意図(いと)だろうが、つむじの曲がった疑問を僕は抱く。
かれはソ連の戦車に乗って、アフガニスタンに親ソ政権を樹立すべく、侵攻したのだろうか。ハンガリー動乱は年代的に合わないとしても、或(ある)いはチェコへ攻め込んで「プラハの春」を蹂躙(じゅうりん)したのだろうか。嘗(かつ)てウクライナはソ連の一連邦だった事実を、僕は忘れない。
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こんな事が二十一世紀に起こるなんて、、、と多くの人々が唖然(あぜん)とした。今この目の前で歴史が動いている。僕らは世界史の蠢(うごめ)きを冷静に見詰(みつ)めよう。そして決して忘れまい。
半世紀前にも東西陣営は都合(つごう)の良いプロパガンダを互いに喧伝(けんでん)して、市民を煙(けむり)に巻いた。戦後日本のインテリゲンツィアは皆アメリカの宣伝に欺(あざむ)かれまいと頑張(がんば)った余り、北朝鮮を労働者のパラダイスだと信じた。北朝鮮などと口走ると、ちゃんと朝鮮民主主義人民共和国と言えと叱(しか)られたものだ。毛沢東語録が日本のデパート催事場で大いに売れたことも有った。紅衛兵が津波のように中国本土を席巻(せっけん)した時期だった。
当時それらの出来事を子供の僕は理解できなかったけれども、今その意味を改めて勉強し直そうと思う。地震や津波なら自然現象だから仕方が無いと諦(あきら)めも付くが、人間の意思に関わる原発事故や侵略戦争は憎しみを増幅し、次世代へ受け継がれるから、より恐ろしい。
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僕は学生時代にロシヤ語を学んだ。講師の一人は内村剛介氏、シベリヤ抑留から生還した一人だった。又、下宿のおばさんは樺太からの引き揚げ者で、ロシヤ文学を語ることが憚られた。ベトナム戦争の時代だった。
学友のT君とクラ館で見たのは、イタリヤ映画「ひまわり」だったか。第二次世界大戦で対ソ最前線へ送られた未帰還の夫を諦(あきら)め切れず、若妻は後を追う。変わり果てた夫を漸(ようや)く探し出したのが、一面ひまわりの咲くウクライナだった。
SNSの動画がテレビ・ニュースで流れた。一人のウクライナの老婆が、機関銃を持った(孫のような)若いロシヤ兵を叱(しか)り付けた、「なぜ私たちの国へ来たのか!」と。そして、ひまわりの種を差し出して、ポケットへ入れておけと言った。「お前が死んだら、遺体の傍(かたわ)らに花が咲くだろう。」
ひまわりはウクライナの国花だったことを僕は知った。散歩し乍(なが)ら屡々(しばしば)僕は映画音楽を聞く。
(日記より)
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「君 死にたまふことなかれ」 与謝野晶子
ああ、弟よ、君を泣く、
君 死にたまふことなかれ。
末に生れし君なれば
親のなさけは勝(まさ)りしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までを育てしや。
堺(さかひ)の街(まち)のあきびとの
老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君 死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家の習ひに無きことを。
君 死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出(い)でまさね、
互(かたみ)に人の血を流し、
獣(けもの)の道に死ねよとは、
おほみこころの深ければ
もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。
ああ、弟よ、戦ひに
君 死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君に
おくれたまへる母君は、
歎きのなかに、いたましく、
我子を召され、家を守(も)り、
安しと聞ける大御代も
母の白髪(しらが)は増(ま)さりゆく。
暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻(にひづま)を
君 忘るるや、思へるや。
十月(とつき)も添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああ また誰を頼むべき。
君 死にたまふことなかれ。