里帰り出産(続き)
日記より26-27「里帰り出産」(続き) H夕闇
三月十三日(月曜日)続き
健診の有った先月二十四日、僕はH河畔を散歩しても昼頃に帰宅したが、娘と孫がT夫妻(舅(しゅうと)と姑(しゅうとめ))の車で送られて帰ったのは午後二時だった。正午までの予定が(会計や待ち時間なども含めると、)一時半まで掛(か)かったと言う。お握りを妻が持たせたのが、功を奏した。
この日の孫の入浴はT夫人に任せたら喜ぶのではないか、との腹案が有ったが、(病院で想定外の時間を要し、次ぎの予定が有るので、)断念。皆で孫の足型を取るアイデアも出たが、これは(肝心(かんじん)の父親が不在なので、)ボツ。以前T家から到来物の酒も(ややT氏は心が動いた様子にも関わらず、)却下された。
そこで僕は(雛人形(ひなにんぎょう)を眺(なが)め、桜餅(さくらもち)を食べ乍(なが)ら、)手持ちの日記巻末のゲラ刷りを(長いから一部だけ)照覧(しょうらん)に供した。前にT氏の詩作を拝読したことが有ったから、その応答である。それに、日記にはT夫妻の登場する場面も有るから、公表前に一読と了承を願ったのである。
世辞も有ろうが、二人とも大層お気に召(め)し、その紙面を所望(しょもう)された。裏紙に印刷した自分用のゲラ(朱筆入り)だからと言って、改めて贈呈する約束をした所(ところ)、昭和の人間同士、裏紙を再利用する倹約な生活感覚も共感を呼んだ。
その約束の清書を(推敲(すいこう)の後に漸(ようや)く)印刷する段になって、今度は娘から再度の厳しい検閲と修正の強要、夫(T君)にも事前に見せたいとの意向が割り込んだ。それで、御両親へは、T君が一読の上で、届けてもらうこととした次第(しだい)である。
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以下は、元同僚IZ先生からのEカードへの三月十二日(日曜日)付け返信である。
前略
昼過ぎに婿(むこ)殿T君が車で迎えに来て、娘Kと孫kが帰って行きました。孫は二度も嬉しいと言います。会えて先ず大歓迎、そして帰るとホッとすると。産後のKは安静に、と妻Mが厳しく言い付け、二十一日間ジージ+バーバは重労働でした。
無邪気(むじゃき)にスヤスヤ眠った侭(まま)で孫娘が去った後、家の中がシーンと静まり返りました、又ガランとして家内が急に広くなった気もします。
先日IZ先生から送って頂(いただ)いた英文E-cardは削除などしておりませんでした。里帰りが終わるまで(いつもの僕の伝(でん)で)楽しみを後に取って置いたのです。
そして、I先生から妻Mへの慰労でもあるとのことでしたから、妻と二人でPC(パソ・コン)の前に座って、先程E-cardの仕掛(しか)けを開いて見ました。草木の豊かな山野を背景として、美しい小鳥が飛び交う絵が展開し、野鳥観察を趣味とするMなど大感激。妻に言わせると、この鳥は四十雀(しじゅうから)のようだが、ヨーロッパの四十雀は胸の羽毛が青いとのこと。随分(ずいぶん)しゃれたことをするものだ、(僕など逆立ちしても真似(まね)できない、)と僕は感心しました。Eカードは初めての体験、深謝します。
IZ先生が男児の初孫として誕生した時に母方の祖父YK氏が将来の孫に宛(あ)てて書き綴(つづ)って置いた、と言う毛筆の手紙。同じような発想の人物が嘗(かつ)て確かに存在した事実に、とても心強い思いを僕は致(いた)しました。
と言うのも、我が家では(猛反対はされないまでも、)「又おとうさんは!私の産まれた時と同じことを、、、」と呆(あき)れられ、半(なか)ば白眼視され、厳しく検閲さえ受けて、孤立無援。古(いにしえ)より風流人士は世に容(い)れられなかったものだ、などと一人嘯(うそぶ)いて、何とも心細い立ち場に有った所へ、思い懸けず、闇夜に同志と出会ったような安堵(あんど)を覚えた次第(しだい)です。同好の士との邂逅(かいこう)は、空漠(くうばく)たる浮き世で、大変に心強い。
極めて個人的な書簡でしょうから、公開を求めることなど無論できませんが、僕の場合いと共通する点や、逆に各自の違った特徴など、(もしも口外できる部分が有ったら、)コッソリ教えて頂(いただ)けると幸甚(こうじん)です。
尚、HMピアノ・コンサートは急遽(きゅうきょ)コロナで中止となり、チケット代は妻へ返還されました。他事ながら、御休心を願います。
又これで日記を書く題材が一つ出来た、と夕闇(ゆうやみ)居士(こじ)はニンマリしています。御了承を。 草々
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三月十四日(火曜日)曇り後に晴れ
僕は夢中になると思い込みが激しいらしく、てっきりIZ先生の祖父YK氏を同志と決め込んだが、けさ早くI先生からのEメール返信で誤解と知れた。
本日これから孫k本人宛(あ)ての日記を印刷する積(つ)もりである。又、一月前に洋酒入りのチョコを送って呉(く)れた末っ子Yへ、次回に帰省した時お返しする旨(むね)をEメールで予約して置こう。
この三週間、居間(いま)の窓辺で鉢(はち)植えの白い花が満開だった。何年か前の母の日にKがMへ贈った物で、Angel-Babyという種類だそうだ。k母子が帰った十二日には、庭の福寿草(ふくじゅそう)が春を告げた。鶯(うぐいす)の笹(ささ)鳴(な)きも聞く。
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三月十五日(水曜日)晴れ
電話で、娘Kが昨夜は殆(ほとん)ど眠れなかったと。母Mが甘やかして、水を向けると、「それじゃあ頼もうかなあ。」とSOS。急ぎ昼食を済ませ、家に有ったレトルト食品などリュックに詰(つ)め込んで、夫婦で出動。
末娘Y(Kの妹)から贈られたベビー簡易ベッド(揺(ゆ)り籠(かご)も兼用)を設(しつら)え、孫kの沐浴と粉ミルク、夕食の支度(したく)など救援活動する間に、娘は支払いに出掛(でか)け、それから少々昼寝。ジージは孫を抱いて哺乳(ほにゅう)瓶(びん)を持っているのみで、お役に立たないみたいだが、バーバは腰が辛いので、存在理由(レーゾン・デートル)が認められた。
中二日しか経たないのに、孫は下(しも)っ膨(ぷく)れになった。手の甲(指の付け根)に笑窪(えくぼ)がウッスラ出来たのは、乳児らしくプクプクふっくらして来た証拠である。やれ一安心。
(日記より)
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雑詩 其の一(部分) 陶淵明(とうえんめい)
歓(かん)を得ては当(まさ)に楽しみを作(な)すべし、
斗酒(としゅ)もて比隣を衆(あつ)めよ。
盛年 重ねては来たらず、
一日 再(ふたた)びは晨(あした)なり難し。
時に及んで当に勉励(べんれい)すべし、
歳月は人を待たず。
(岩波文庫「陶淵明全集」下巻より)