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シコを踏んだ夫が、ペンギンになった話

41歳の誕生日に、チョコレートケーキとパンツと4歳になったばかりの娘からの手紙をもらい、

「ことし1年間は、マキバオーグッズを集めたいです」
と、しょーもない抱負を高らかに宣言していた夫が、翌日ギックリ腰になった。


ベッドにまっすぐ横たわった夫は、まるで凍ったペンギンのようであった。

トイレに行くにも凍ったペンギンのままスローモーションで動いており、
「トイレをたずねて三千里だね」
などとヘラヘラジョークを言っていた。




笑えねえ。
そんなジョークぜんぜん笑えませんよ。


なんせ夫はシコを踏んだのだ。
おすもうさんのマネをしてシコを踏んだら、
イナズマの様な痛みに膝から崩れ落ちたのだ。
その瞬間を私は見ていた。



「あのさ〜おすもうさんてさ〜足腰強いのって、アレはいつもシコを踏んでるからだって、おれは思うね。
スクワット並みに腰を落としてなんたらかんたら〜うんたらかんたら〜」


とおすもうさんの強さの秘訣はシコにありけり。
というようなシコトークを饒舌に語りまくり、ひとしきり喋り終わったあと
調子にのっておすもうさんのマネをしはじめ、塩をまいたり、ほっぺを叩いて気合いを入れるマネをしたりし、そのあとにシコを踏んだ。


その2秒後。

「つあぁぁぁあ!」

と夫は高いオタケビをあげた。

          ♦︎


私は夫のシコ踏みトークを途中から脳内でミュート状態にしながら、今日のご飯なににしようかなぁ。
タマネギとキャベツが残っているから、
ポトフでもつくるかぁ。

と、夫のサイレントおすもうさんを霧のなかにいる程度のかすみ具合で見ていた。


アレ?
今奇声が聞こえた?
なんか倒れてる。

「だ、だいじょうぶ?」
夫の近くまで行き、声をかけた。



「ギックリ腰。やっちゃったっぽい」


ここでミュートが切れた。

          ♦︎

このあと夫はあらゆる仕事関係の人に
「すみません。ギックリ腰をやってしまいまして…はい、数日お休みさせていただきます」


などとベッド上ペンギンになりながら電話をしまくっていた。
電話の向こうできっとギックリ腰になった理由を聞かれたのだろう

「いや…えっとまぁ、腰を落とした時にビキっといっちゃった感じですね。歳ですかね。ハハハ。
はい、ほんとにすみません。」
とか言っていた。


私はいちぶしじゅう横で見ていたので、
アンタ…私は41歳にもなってシコを踏んでギックリ腰になった人が夫だなんて恥ずかしいよ。

この1億2千だか3千だかいる日本人の中で、
たった1人選んだ生涯の伴侶が、調子にのってシコを踏んだらギックリ腰になって、現在はペンギンになっているなんて…




15年前、結婚式場で指輪交換をした時。
「はい、誓います」と牧師に愛を誓った時。
こんな未来は想定してなかったよ。

もしも今、タイムマシーンがあったら、
私は15年前の結婚式場に向かいたい。


「その横にいる男だけど、15年後にこんな事をしているよ。それでもいいの」

とウエディングドレスを着ているわたしに問うだろう。






そして私はこう返事をする


「エピソードよわっ」


「タイムマシーンに乗って言いに来るほどのことじゃない」

「燃費のムダづかいだね」





ガーーーン。


そうです。そうなんです。

絶対離婚してやる!というような激怒なトピックでもなければ、
胸が張り裂けそうなとっても悲しいエピソードでもない。
タイムマシーンを使って言いに行くには、気が抜けすぎたエピソード…。


じゃあもしも科学が進歩してほんとうにタイムマシンができたとしたら、
私は結婚式当日の花嫁姿の私にいったい何を伝えられるんだろう…。

          ♦︎

しいてゆうなら、15年前。
結婚指輪を交換したあの日から、
ずいぶんと世の中は変わった。

スマホが発売されたとき、電車の中で画面をスクロールする人の手元を見て
「何あの人差し指の上下運動。かっちょいい〜」と驚いたのを覚えている。

それから震災とか災害とか感染症とか、日本でも世界でも悲しいできごとがたくさんたくさん起きた。

そんなとき、困難を支えてくれたのは、
今日みたいな、とぼけた日常の瞬間だったのかもしれない。


「結婚式をすることがけっこん!」
くらいにしか考えていなかった20代の自分は、これから起こるさまざまな世界の変容をまだ知らない。

目の前がまっくらになるような出来事や胸がチクっと痛むネットニュースに、心がちっちゃくなり、ことばにすることもできない疑問のカケラや、得体の知れぬ鉛みたいな不安が、心の至るところに沈み、誰にも相談できずに、抱え込むしかなかった夜。

四方八方に広がる情報の波で溺れかけ、どちらの方向を向いていけば良いのかわからなくなり、途方にくれたわたしの心に、
湯気が出るような笑いを注いでくれたのは、まぬけな日常たちだった。


なのでもう一度新婦に言い直すとしたら
こう伝えるかもしれない。


「これから悲しいことや辛いこともたくさん起きるよ。
でも次から次へと起こるアホでまぬけな日常に支えられて、なんとか笑って生きているよ」


そのあと15年前のわたしがなんていうかはわからないけど、こんなしょーもないことが、今後の人生を救うだなんて、これっぽっちも想像していないだろうなぁ。


ちなみに娘の誕生日のお祝いに家族でディズニーランドにいくというときめきプランも週末に控えていたが、これもシコ踏み事件により、あっさり中止となり、娘は「おすもうさんのマネするなぁぁ!」と激怒していた。





おしまい



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