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究極の2択。
前回の記事はコチラ。
24歳で美容室Eからの再転職に向けて動き出した僕。
技術的な面での一抹の不安を抱いたまま、
入社試験と称した技術試験を受け、
数日後に株式会社Cからの連絡。
結果は…
アシスタントからのやり直し。
正直なところ、「やっぱりか…」って感じでした。
正当に評価されるべくして、評価されてしまったと。
それもそのはず、美容師になりたての当時、美容室Rの教育カリキュラムに
ベーシックカット
と呼ばれる、スタイリストになるまでに、誰しもが学ぶべき、カット技術の”基礎中の基礎”の教育カリキュラムが無かったのです。
ただ、美容室Rを選んだのも自分。
教えてくれない先輩や、会社などの周りの環境のせいにするのは簡単なことなのも、
それは意味のないことなのも理解はしていました。
それならば、もう一度、株式会社Cでイチから学び直せるチャンスやとも思いました。
まだ、24歳。
将来を見据え、妻と子供を不安にさせない為にも、安定した収入と、福利厚生の整った組織への入社を決意し、2度目の転職をしました。
そして、この2度目の転職こそが、僕の「転落人生」の始まりでした。
…なぜなら、スタイリストになかなか上げてもらえない組織と制度だったとは思ってもみなかったからです。
とは言え、その会社を選んだのは自分自身だし。
そもそも、圧倒的な技術力と知識と経験があれば、たとえ、制度や組織がそうだったとしても、関係はなかったはず。
そんな、実力不足を招いた努力不足。
努力不足を招いた知識不足。
知識不足を補うには遅すぎた妻からの信用不足。
動けば動くほど、足掻けば足掻くほどに生じる空回り。
から回ることで溜まる妻の不信感や不満。
妻からの不信と不満が溜まるから、練習をそこそこに切り上げざるを得ない→結果が出ない→また妻の不満が溜まる
止まらない、終わらない負のスパイラル。
やってもやっても、スタイリストには昇格できない。
技術が足りないからなのか…
組織の制度がそうだったのか…
今となっては、どうでもよく。
ただ、あの時
ちゃんと学んで良かったな
とは思えてます。
制度や組織が、そうだったとしても上手くやれなかった自分を恨んでも、あの再転職を悔やんだりはしてません。
そうこうして、結果(=スタイリストへの昇格)
が出ないまま
再転職してから、2年が経とうとした頃に妻から
「仕事を取るか、家族を取るか選んでください」
今時のトレンディドラマでも言わなくなったような、ベタな言葉を聞かされました。
この時の僕は、産まれて間もない子供のことはもちろん家族を捨てる勇気も覚悟も持ち合わせてはなく、
つまり、
【美容師をやめる選択肢しか残っていなかった】
"美容師の自分"では妻の信頼を回復するどころか、得る事すらもできないなと。
そもそも、転職して以来、期待もされなくなってしまってた。
子供も小さかったし、自分のやりたい事で結果を出せないなら、心機一転、美容師を辞めて結果を出すしかないって無理矢理にでも諦めようとしました。
「自分は美容師が好きなんじゃなくて、美容師をしてる自分が好きなんや」って、
だから、うまくもなれないし、この先もうまくいく訳ないんやって思い込む事で自分で自分に諦めさせようと。
思い返せば、小中学校の野球や、高校時代のバンド、美容師になってスタイリストまでのデビューまでの期間などなど…
それなりにやって来れたし、
それなりの結果を出して来たのに、
ここに来て結果がついてきてない事、
圧倒的な努力不足を露呈して、自ら美容師としての人生を止めざるを得ない事実と向き合うのが辛かったし、怖かった。
"できない自分"と真正面から向き合わなければいけない現実が辛かった。
傲慢では無かったにせよ、"できない自分"のレッテルを貼られる事がイヤでイヤで仕方なかった。
僕自身が、幼少期から両親の不仲を目の当たりにし、学生時代は父との確執もあり、我が家を反面教師に、
自分の家族こそは、温かく、優しい家庭にしたい!
って思っていたのに、自分の不甲斐無さが妻の信頼はもちろん、義家族からも期待もされなくなってしまった事が、より情けなさを増幅させました。
そして、ついに決断の時が来ました…
この続きはまた次回。