Sweet like Springwater⑨ 天然水のような甘さ(短編小説)
パート1~8もアップしています。
9.
また神本さんと顔を合わせたのは三日間経ってからだった。神本さんが現れると春香の顔に笑顔と熱が同時に上がった。赤らめた顔で挨拶した。おはようございます。ちゃんと丁寧に頭を下げた。五分間、何も言わず働いた。神本さんの方が話し始めた。ハムチーズサンドのチーズのメーカーを変えてから、お客さんから何か言われた?いいえ。皆さま、美味しく召し上がって貰っています。神本さんはいつもより少しにやにやしていたけど、プロ意識高いのか余計な話しは控えた。そういうところが格好いいと春香は認めた。
家では、リゾットを作ってみた。チキンをフライパンで白く焼く。ピーマンと大蒜も焼く。中火に替えて生米と白ワインをフライパンに足して混ぜる。ゆっくりブイヨンを注いで、パルメザンと生クリームを少しずつ混ぜる。細切りのマッシュルームを最後に降りかけて、混ぜないまま蓋をしてじっくり焼く。大蒜はみじん切りではなく潰すのだ。そして、少し焦げが付くまで焼いたら、後味が減るのだ。
春香は自炊のリゾットを皿に盛りつけて、最後にパースレで飾った。面白そうなテレビ番組にチャネルを変えて、ベッドの上に座り、片手に白ワインのグラスを持ちながらテレビ観賞。テレビ番組では、日本列島どこかの無人島では猫の群れを紹介するドキュメンタリーが放送していた。一日一回、近い港から一艘|《いっそう》が餌を持ち越しにくる。この島の猫は賢くて、船がいつも寄ってくる時間が覚えた。猫はスケジュール通りに桟橋に集まって列に座る。観光客もよく餌をあげるために来るらしい。しかし、こちらの野良猫はたまに人を引っ掻くのだと地元の人が注意掛けた。
白ワイン飲んで気持ちよくほろ酔い、その時に電話がピンと音がした。恵美からのメッセージだった。今週の土曜、バーに出掛けない?春香はバーなんかには一度だけいったことがある。それも、恵美と一緒だった。その時は、ソフトドリンクだったけど、今度はアルコールを一杯ぐらい飲みたいと考えた。恵美は未成年でも酒を飲んでること、誰からも何も言われなかった。末っ子は自由だということが。
恵美はよく春香をパーティーに招待する。姉は家族のために稼いでいる間、自分が大学にいけていることが罪だと感じているのか。妹にそんな気持ちにさせたくないが、誘われる度、春香は嬉しい。妹と遊べることは幸せだと、言うまでもない。今回のバーでは、春香は恵美と最近経験したことに関して話したいと思った。ずっとそういう気持ちだったが、なかなか会話中に入口が開かない。バーという場面でこういう話しをするのはいいかも、と思って行くことにした。
その土曜の夜、春香は黒いコート着て待ち合わせ場に駆けこんだ。恵美は大きなグループと待っていた。恵美は姉を友達に紹介して、グループごとバーへ向かった。地下一階のオールスタンディングバー、煩くてタバコの煙がこもっている店だった。春香は恵美の隣が一番落ち着く場所だったが、恵美はグループの中の男子一人に夢中だった。この男子が何を言おうとしても恵美は笑う。飲み物を注文すると言い訳をして、春香は恵美と一時離れた。
飲み物を待っている間に、横から女性と目線が合った。少し年上で、キャリアウーマンに見える人だった。女性が笑顔をみせて、春香に近づいてくる。
ーすみません、どこかで会った気がしますが。女性が話し掛けた。
バーという場所では、気軽に知らない人と話しかける場所だ。春香は緊張したけど、自然な風に返事をした。
え?そうですか。
ーもしかして、あのコーヒー屋さんの店員じゃないですか?一度しかいったことがないけど、可愛い店員さんに注文とってくれたことが覚えている。
春香は脳裏で男性が寄ってくることを心配していた。だから、この年上の女性が話してくれたのがありがたかった。しかし、この女性のオーラは普通の女性と違うと感じてきた。男らしさというか、強そうな雰囲気がある。もしかしたら、この人に望まれているのか。春香は気にしない振りにした。
ーお酒、好きですか?と訊かれた。
えっと、好きです。時々、お家でワインを飲んでいます。春香は答えた。
女性は酒について明るい。そして、いろいろ教えてもらった。結局、なにも起こらなかったが、会話中に春香は少し考えてみた。二週間前は男を知っていなかった。その間、二人と経験した。女性を体験することが次のステップ?
女性は喋るのが上手だった。そして、いろんな話題について話した。
ー私はシングルマザーに育てられて、めっちゃ不良だったわ。中学校からアルコール飲んでて、母は忙しいから隠しやすかった。結局、バレたけどね。でも、その時も母は怒らなくて、成績が上がるまでチューハイは禁止って言い出すのよ。その気分に乗って、すっごく勉強したけどね。やっぱり、母は正しかった。
私も、シングルマザーの育ちです。春香は言った。
そこから、会話が勃興に盛り上がった。何回も「そうだよねー」って言いながらお互いに経験論を披露した。春香は調子に乗って、母に結婚が勧められていることまで話した。
ーまだ若いからそんなこと考えなくていいよ。貴方は良い子だし、結婚したい気持ちになったらすぐ相手を見つかるし、心配なんか要らない。私はもう決めた。結婚しないこと。キャリアに突っ込んで、週末に飲めばそれでたっぷり。子供を産みたい気持ちもないしね。
夜が更ける間、ずっと女性と話し合う。女性は話し方も教養があり、自己主張が強いが派手さはなく、時に生意気で「可愛いね」と言ってきた。
ー今は学生ですよね?
えっと、はい。春香の口から、なぜか小さな嘘が漏れた。
ー学生時代はいいよ。人生で一番楽しい時期だった。一度だけ、バーに出かけて、ある男を家に連れ帰ったことがあった。それは性的な目的じゃないよ。ただ彼が飲み過ぎて、住所も言えないような状態だったの。だから、彼をタクシーに乗せて、私の部屋まで連れた。階段を上げるのも手伝って。朝、彼はショックで目を覚まし、「家に帰った覚えがない」と言うの。続いて、私たち、やった?て聞く。いや、何もしなかったよ、と。それを聞いて、彼は安心したのか、がっかりしたのか、よく分からないけど、それが彼とは最後の出会いだった。
こう言う風に、女性は幾つかきわどいエピソードの話をした。春香はこういう話しを聞くのが楽しくて、敢えてごく最近の経験を晒した。
ーやっぱり、貴方にもあるんだ。そうだよね、大勢の男子に狙われてるんだもんね。
褒められてくれた。これは褒められる行為なのかと考えたけど、バーという場面ではそうかもしれない。深夜が近づいたら「じゃあ、またね。カフェにもう一度寄るから」と言って女性は去っていった。女性を目線で出口まで見送ってから、春香は恵美の脇に戻った。恵美の顔は真っ赤で、誰にでもなれなれしい態度を取って喋っていた。恵美に最近の話をできなかったけど、だれかとは話せて、胸をなでおろすことができた。長く考えてみたら、やっぱり、これについては恵美とは内緒にしようと心の中で決めた。
10.
リゾット作った日から数日後だった。その日は、仕事場に副店長が姿を現した。つまり、神本妻との対面だった。
ーあの子がまた具合悪いと言ったから、今日は私がシフト入ります、と言った。
春香の顔から血の気が失せた。小声で、よろしくお願いしますと言った。
ーお店で働くのも久しぶりで、やり方を忘れる前にシフトに入りたいと思ってたから、ちょうど良いと思った。
はい。
神本妻は優しい人だけど、外見は厳しくて威圧的な女性だった。
ーそして、仕事はどう?最近一杯働いてもらってるけど、疲れていない?
いいえ、全然です。今週も二日休み取れるので、この頻度なら平気です。
春香ちゃんは彼氏とかいるの?ーと訊かれて、春香の魂は地獄に陥った。不倫したことを知っているに違いない。夫が白状したのか?いやいや、何も言われなくても一緒に住んでるんだから、気圧の変化を感じて分かるだろう。夫の何かが違うと分かるはず。疑問が湧いて、浮気してる兆候をピックアップする。そこからは、どこで誰とと考えたら、店のバイト女子だと当たり前だ。もちろん、妻は夫のタイプが分かっているから、春香はこのペルソナと合致しているとも分かる。今の会話は取り調べなのか。尋問と言うものなのか。
はい、じゃなくて、連絡していた相手がいましたけど、デートは一回しか、そのあと連絡が乏しくて…春香はあやふやな返答をしてしまった。
ー突然いやな質問でごめんね。神本妻はやさしさを表す。
ー春香ちゃん、うちで二年間も頑張ってくれててね、感謝してますよ。偉いと思います。こんなに真面目な子がここに来てくれて、本当に助かります。考えてみれば、私も若い頃そうだったんだ。自分もその時期は恋愛に興味がなくて、働くだけだった。でも、ちょっと後悔があるの。色々チャンスを逃した気がするのよ。本音を言えば、若いころ子供が欲しかったのよ。でも、結婚したのは三十歳近くだった。一番目の結婚は最低の夫とだった。この人とは子供を育てられないと思って、最後に離婚した。でも、そのあとバツイチとラベル付けられて、なかなか出会いがなかった。正直、自分もやる気がなかったこともあったね。独身で生きることを決めた同じ年、今の店長と出会って、この人はしつこくて、何度もプロポーズしてきた。半分は可哀そうと思って結婚してあげたみたいだった。でも、もうこれからは子供を産むことは考えられなかった。
諦めたというか、実は私は不妊なんです。第一の夫と別れた理由はそれも一因だった。離婚なんてどうでもいいけど、医師から不妊のこと報告されたとき、それは辛かった。落ち込んで、何年間もうつ病程度で誰にも頼れなかった。徐々と回復したけどね。生き続ける理由、子供産む以外やりたいこと、考えてみたらいっぱいあった。旅行したり店を開いたり、幸せの形は星の数ほどあるんだと思った。
でもね、若い子には将来について長目で見た方がいいといつも言うの。子供がほしければ今でも早すぎないと、それが言いたい。春香ちゃんは絶対いい相手を見つかるから、その場チャンスを逃さないで。
春香は、尋問が終わったのか、まだ続いているのか分からず、呆気して神本妻を見つめた。不倫相手として、確かに自分は悪いことしたので。考えてなくて、旦那と寝てしまった。この罪悪感をどうにか処分したいと思って、神本妻に元気を与えようとした。
今、オーナーさんとの結婚、ほんとうに素敵だと思います。
ー結婚というのは素敵なものではないですよ。ただの取引なの。相手になにかをしてあげて、相手からなにかをしてもらって、たまには交渉して、その繰り返し。今が幸せかと訊かれても、まぁ、幸せだと率直に答える。今の夫は話しを聞いてくれる人だし、一緒に同じゴールを目指して店を立ち上げたし。ロマンスとかなんかは、私には理解できないものだけど、今時期が人生で一番幸せを感じるから、これで良いと思うの。第一の夫とは、取引が乱れたから離婚になったと考えられる。不妊だったこと以上、あの生活にはいろんな不満があった。比べてみれば、ここの店の副店長でいるのがましです。
春香は神本妻の顔色を察したが、いつも通りの冷たい表情で読みにくかった。しかし、顔には違和感がない分、声になにか違う音色が響いていた。様々なレイヤーがある、複雑な情感に包まれている、哀しみも希望も混じんでる綺麗な声。神本妻は強い人なんだ、慈悲深い人なんだ。苦労の槍、喜びの槍、何千本に刺されたことがある、それでも最後は幸せだと言える、そんな偉人だった。
神本オーナーさんと不倫したこと、間違いなく知られている。それでも、この最悪の行為をする人を許す心がある。多分、そうだと春香は予測した。それ以外なにも言わず神本妻とシフトの終わりまで一体不二で働いた。
今回のカバーはfilthy.ratbagさんの作品を借りました。興味ぐて皮肉の作品をよく創作しているアーティストです。もし、関心あればインスタグラムのページを拝見してください。
https://instagram.com/filthyratbag?igshid=YmMyMTA2M2Y=