躁鬱ブルース 【小説最終編】
エレナに惚れた時と、ドイツに旅出た時、この二つ出来事は軽躁状態という症状だったと、精神科医に教わった。軽躁時期にうつ状態という症状が必ず追ってくる。自分が死にたいということは、危ぶむうつ症状だった。これからは、薬を飲みつつ、興奮したときは行動を意識して、危なっかしいことをしないように気を付けると、落ち込んだら、すぐに誰かと相談して、薬の調整なりセラピーなり、乗り越えていけばいい。
入院から一か月は経った。いつもより早く目が覚めた顕影は、暑くなる午前中に病院の庭を散歩したいと思った。このちょっとの散歩にナースさんが同行した。二人で、庭の中心にある池へゆっくり向かった。
一週間は躁でも鬱でもない、正常な気分が続いていた。世界は煌めいていなかったが、目の前にあるものをはっきり見えるようになれたことが、顕影は有り難い気持ちで受け止めた。世界も人生もはっきり見ることがどんなに大切なのか分かってきた。
双極性という障害を持つことは、肉体に欠陥があるという意味もある。それにもかかわらず、この肉体で生き延びて、意義深くて素晴らしい人生を送れることは可能なのだ。完全な健康なんてある訳ない。皆のみんなができる限り、幸福を手に入れるため頑張っている。
うつ状態のとき、本気で自殺しようと思っていたが、その時に何かが手を止めた。理由は不明だったが、この地球とこの肉体が要らないというところから魂を引き戻して、心の中から「生きてくれ」という声が発生した。まず、生きると決めて、それから目的を探せば良い。
生きるだけでいいのかもしれない。目標も情熱もなくて、息を吸うだけで十分かもしれない。初夏の空気は美味しかった。清々しい朝の空気が頬に触れて、気持ちよかった。百年経っても、この空気の味には飽きない。健康でさえあれば、人生は満足できる。そんな考え方も可笑しくない。
それにしても「なぜ生きる?」という質問が頭に浮かび上がる。生きる目的があったとしたら、どういうものだろう。そう瞑り、池の一周をした。この問題は、自暴自棄ではなく、むしろ気軽にあるいは哲学的に問う感じだった。もし人間に全般的な目的があるなら、なんなのか、そしてどう解決するのだろう。
「お花さん、きれいだね」
ナースさんが言った。
顕影は目線を池の中心に向けた。スイレンが水面に浮かんで、確かにきれいだった。今にも咲き出さんばかりに、スイレンのつぼみがふくらんでいる。開花する直前に見える。繊細な彩して調和のとれた雰囲気を自然に生み出した。慌てずじっと咲く準備しているように見えていた。
「あと、一週間で退院するみたいだね?」
ナースさんが笑顔で言った。
「うん。あと一週間」
イメージはemine.erturk_artというアーティストの作品を借りました。是非、ご覧ください。
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