【アニメ】ハッピーエンドの定義 | BANANA FISH
見た友人が口を揃えて「病むから自分に余裕がある時に見ろ」と言う。ずっと存在は知っていたが、見る覚悟ができなくて数年間避けてきたのが本作品。ネトフリにあることを知り、今回やっと覚悟を決めて見た。以下ネタバレを含みます。
概要
あらすじ
病むっていうからズドーンっと重く暗い気持ちになるのかなと思っていたけど、そういうマイナスな方の病みではなかった。というのもこのアニメ、不穏な空気が漂っていながらハッピーエンドである。最後に主人公(アッシュ)が死んでしまうことをバッドエンドと捉えることもできるが、あそこで生き延びていても、また彼は裏社会の様々な問題に巻き込まれて、そこで生き延びるためにこれまでのような悲劇を量産するとになる。そんな悲劇の連鎖から解脱したあの様は、自分にはハッピーエンドに見えた。英二からの手紙に満足して、自分が唯一普通の人間でいられると語っていた美術館で、ヒョウのように一人美しい状態で死んでいく。きっとあのまま生きていたら、その繰り返される争いの中で、英二と過ごした幸せな時も掠れていってしまう。幸せな記憶の中で、幸せなままで死ねたこと、この上ないハッピーエンドだと思う。
普通こういう内容の映画を見ると、発展途上国におけるギャングの問題とか貧困問題とかなんかそういう現実問題と重ねて、そっちについても思考しながら見てしまうことが多いけど、バナナフィッシュにはそれを考える余地すらなくていい。それぐらいの没入感がある。物語としてただただ美しく、あの世界観に夢中になれる感じ。ニューヨークが舞台なのもいい。なんかこう、ひたすらに美しい美術品を見た時のような感覚だ。
憂鬱になる要素としては、アッシュにとって大切な人が片っ端から死んでいくところだったり、アッシュと英二がどう頑張っても一緒にいることが難しいところだったり、そういうものに対しての絶望感みたいな、無力感みたいなものを感じる部分だ。見ていてしんどいシーンも多かった。この裏社会でずっと生きてきて、だからこそそこで生きていく術しか知らないのに、でもその世界に居続ける限りそういったどうしようもできない悲しい事例に巻き込まれていってしまう。裏社会で生きる術しか知らないアッシュが、今更表世界に行っても幸せにはならないし、だからといってこのまま裏社会に居続けても大切な人を失い続けるっていうこの絶望感。しかし、そこに対して「死」という救済があったのが、個人的には救いだったし、やはりこの作品はハッピーエンドだ。どうやらこの後を描いた漫画があるらしく、早くそれも読みたい。
⚫︎表紙出典