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【レポ】北朝鮮DMZ訪問記

北朝鮮と韓国の軍事境界線付近の非武装地帯であるDMZに行ってきた。本noteは、大学3年生である私が、個人的な関心から行ったDMZの訪問体験記である。北朝鮮や韓国に関する内容については、私自身の見聞や考察を含んでおり、専門的な知識に基づくものではありません。一部の情報については事実確認が不十分な場合があるかもしれませんが、学びの過程として温かく見守っていただければ幸いです。


DMZ内の様子

念願の北朝鮮。小学生の時から北朝鮮に対してなぜかかなりの興味があった。たぶん心霊映像とかと同じような感覚というか、怖いもの見たさというか、たぶんそういう興味関心だったと思う。YouTubeで北朝鮮特集を見るのが好きだった。大学生になった今でも北朝鮮にはかなりの関心がある。世界で最も貧しい軍事大国。21世紀において今だにインターネットが普及していない国。人権という概念がない。なんで革命が起きないんだろうか。みたいな。北朝鮮は日本で生まれ育った自分にとってはイマジナリー国家のような存在で、だからこそいつか絶対この目で見てみたかった。

軍事境界線であるDMZは基本公式のツアーでしか行けない。DMZに入る時、韓国軍の人が銃を持ってバスに乗り込んできた。全員パスポートを提出し、一人一人顔を確認される。結構緊張した。DMZ内の道には車をパンクさせるためのトゲトゲした仕掛けがいっぱい置いてある。だから慣れたツアー運転手じゃないと走行できない。地雷も残っているらしい。

驚いたのはDMZ内にも住民がいること。DMZは韓国国民でも自由に出入りすることができない。元々DMZ内に住所がある人だけがそこに住めるらしい。帰りに敷地内唯一のお土産屋さんに寄ったが、そこではDMZ産のチョコレートやお米が売っていた。お店の隣には不動産屋があったり、手入れされた畑があったり、実際に住民が生活してる様子が見られる。でもこんな危険な場所に住み続けるのはなぜなんだろうか。仮に“DMZ産”っていうブランドで儲かっているとしても、こんな危険な場所に住み続けたいだろうか。北朝鮮の真隣に住み続けるメリットってなんだろうか。DMZの住民は常に危険と隣合わせなため兵役を免除されるらしいが、常に危険と隣合わせならそれはメリットになり得るだろうか。おそらくかなりお得な何かがあるんだと思うんだけど。教えて欲しい。

DMZ内の不動産屋さん
定番お土産のDMZ産チョコレート


トンネルで生まれた恨みの感情

北朝鮮から韓国側に侵略するための地下トンネルが4個もあることを初めて知った。ツアーでは実際にそのトンネルに入ることができる。このトンネル、エレベーターやエスカレーターが無く、ひたすら自分の足で降りて登るしかない。これが本当に辛い。トンネルを登る時、辛すぎて心の底からこれを作った北朝鮮のことを恨んだ。この“恨み”の感覚、戦時中ってこんな感じなのかなと少し怖くなった。個人的に相手国のことを特別恨んでいなくても、戦争が馬鹿げたものだと分かっていても、自分が精神的や肉体的に追い込まれた時に、こうして恨みや憎しみが生まれてしまって、その連鎖が起こってしまうんだ。当時の北朝鮮兵は技術がまだ発達しておらず、ひたすらにダイナマイトと手でトンネルの穴を掘り進めたらしい。こんな壮大なトンネルが人力だなんて、すごいな。

トンネル横にある博物館で「見つかっている4個以外にもトンネルがあると考えられている…」と書いてあって震えた。今この瞬間も北朝鮮兵が韓国に向かって穴を掘っているかもしれない。留学で韓国に実際に住んでみて、韓国が休戦中とはいえど戦時中の国家だということを感じる瞬間はそんなにない。いうて日本と変わらないと思っていたけど、これが“平和ボケ”なんだ。あぁこの国はいつ戦争が始まってもおかしくないんだなと思って怖くなった。どこか通過儀礼化している兵役も赤紙と変わらなくて。70年前ときっと何も変わっていないんだ。

実際に入った第3トンネル


歴史教育の重要さ

ツアーガイドの方のご家族が実際に南北分裂で家族を引き裂かれた経験をされたらしく、その辛さを知っているからこそ、このDMZツアーで歴史を紹介する職に就きましたという話をされていて涙が出た。やっぱり教育しか勝たん。歴史の授業もこういう体験談の継承ももっともっと大切にするべきだ。教育からのボトムアップが何においても重要だと思う。日本も戦争の風化が懸念されているけれど、なんかその危険さを改めて思い知らされた。自分も何かしたい。社会科の教員になりたいと思ったほどだ。

英語と日本語のツアーがあります



交われない世界を目の前にした不思議な感覚

韓国側から見れる北朝鮮は発展している部分だけ。北朝鮮が見栄を張っているかららしい。DMZ内の施設には望遠鏡が設置されていて、本物の北朝鮮国旗や歩いている人まで見える。確かに目の前にいるのに、私とその人は何から何まで違う。目に見える境界線はないけれど、私は自由とか人権の概念を語り、向こうの人は自由の“じ”の字も知らない。下に見ているとかではなく、同じ人間と呼んでいいのかっていうぐらい価値観が違う人。絶対に分かり合えない、交われない人が目の前にいる感覚。これが国境ってやつか。すごく不思議な感覚だった。

展望台から見た北朝鮮
望遠鏡で見た北朝鮮
本物の北朝鮮国旗


翻訳から学ぶ相手の文化

印象深かったのは“Love”の話。私が“Love”を翻訳するとしたら、家族愛、恋愛、自己愛みたいなものを連想する。でも北朝鮮の人にとって“Love”は総書記への忠誠心。翻訳する際に文化を考慮しろとよく言うけれど、ここまで極端な分かりやすい例が存在するとは。言語を学ぶことって相手の文化に触れることともよく言うけど、その意味が初めて分かった気がする。


明日は我が身

なぜ北朝鮮で革命が起きないのか。外部の人間が誘発したら可能なんじゃないかなんて思っていた時もある。でも自分が孤立している、奴隷であることを知らない状態でどうやって自由を求めて戦えるのか。"Love"っていう言葉の意味さえ共有できない価値観の人たちをどうやって啓蒙することができるだろうか。自由の"じ”の字も知らない人たちに「自由になろう」と啓蒙しても意味がない。知らないことこそが真の孤立だ。自分が孤立していると知っているのは、孤立していない証拠だと脱北者は言っていた。彼らは彼らの総書記が太っていることすら知らない。総書記は国民のために節制な生活を強いられていると思っている人たちもいる。思いやりの概念すら知らない。「瀕死の人がいたら助ける」これさえも教えなきゃいけない。日本で生まれて育つと、思いやりの概念は教育として特別習わなくても、なんとなく体感的に習得していく。そういう本当に基礎的な部分から違うからこそ簡単には啓蒙できないんだ。北朝鮮の現状を知れば知るほど、クリティカルシンキングの大切さを思い知らされる。同時にそれが贅沢であることも実感する。大学で耳にタコができるほど聞かせれてうんざりする言葉だけども、この思考は大学とかの高級文化だけのものではなく、もっともっと人間のベーシックな部分の大事な概念なんだ。

北朝鮮国内の問題について考えるたびに、なんで他国の心配なんてしているんだろうかと思うこともある。脱北者が周りの国家に助けを求めるけれど、実際それどころじゃないんですけどっていう最低な自分もいる。ではなぜ他人事である北朝鮮に対しての関心を持ち続けなきゃいけないのか。それはやっぱり明日は自分事だからだと思う。脱北者は口を揃えて「自由は壊れるもの」だと語る。私が享受している自由や人権っていう当たり前の概念も、いつ当たり前でなくなってしまうのか分からない。自分の時どうするのか。北朝鮮に限らず他国の情勢を見て、そこから学んで自国に還元していく姿勢は大事だ。まぁそんな大きなことは成し遂げられないけど、改めて外への関心を大切にしていきたいと思った旅だった。いつかアウシュヴィッツにも行きたい。


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