『ありふれた金庫』全作解説+目次
【ごあいさつ】
シリーズ百字劇場『ありふれた金庫』の全作解説です。といっても解説というほどのものでもなく、それぞれの百文字をネタにしたエッセイみたいなものだと思ってください。
あくまでも、こんなこと思って書きました、こんな風にも読めます、という程度で、それが正解、とか、こう読むのが正しい、などというものではありません。小説にそんなものはないです。念のため。
これを読んで、そんなふうに書いてるのか、そんなことで書けるのか、そんなのでいいのか、というのがわかって、自分でも書いてみよう、という人が出てくるととても嬉しい。日記を書くように、みんながこういうものを書くようになれば、なかなかおもしろいことになるんじゃないかと思ってます。
200篇入ってますが、どれもツイッターで【ほぼ百字小説】としてツイートしたものです。2015年の10月になんとなく始めたときは、こんなに続くともこんな数になるとも思ってませんでした。嬉しい誤算です。思った以上にこの形式は、自分に合っていたようです。そんなふうにして増えていったものの中からテーマごとに、というか、ある切り取り方で200個切り取って並べてます。
この『ありふれた金庫』は、「SF」というイメージでまとめたもの。まあSFと言っても、あくまでも私のイメージするSF。だから、こんなのSFじゃない、とか言われても知ったこっちゃないのです。というか、SFというのは私にとってそういうものです。横から何を言われようが知ったこっちゃない、と言うことがSF。そういうSFです。
そして「SF」というのは、私の中ではいちばんベタ、というか自分の原点とか核にいちばん近いものです。だから最初にこれ。じつはこのあと「狸」と「猫」でまとめたものが続くことになっているのですが、それはまた別の話、そして別の本。
ということで、基本的にはこれは早川書房から出した『100文字SF』に連なるもの、みたいな感じのものです。もともとあれに続けて出したくて自分なりに考えて用意していたものが元になっています。そして、早川書房からは出せなかった。まあ早い話が、うちでは出せません、と断わられた。作家と編集者や版元の考え方は違いますから、それは仕方がない。で、途方にくれてツイッターでそんなことをぼやいたりしていたら、声をかけてくれた人がいて、それでこういうことになりました。どういうことかは私にもよくわかってませんが。でも好きなことを好きなようにやってると、だいたい一人くらいはわかってくれる人が現れる、というのが私の経験則で、とか言ってると余談が長くなってしまいますね。では、このへんで。
各篇にタイトルはないので、ページ数と冒頭の文章をつけてます。あ、当然ですが、ネタバレはしてます。最後までひと通り読み終えてからどうぞ。まあネタバレくらいべつにいいんじゃないか、という気もしますけどね。
*写真は解説とあんまり関係ありません。テキトーです。
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P5 ぼくがうまれてすぐ
はい、これがトップバッター。いわゆるツカミですね。はたしてツカめてるのかどうかわかりませんが、この本はこんな感じでいきますよ、ということで、これを頭に置きましたまあ「小噺」ですね。実際これ、お客さんの前で朗読しても笑いがとれます。【ほぼ百字小説】は、もともと、お客さんの前で朗読のライブをやるために書いたところもあって、そういうときにもこのネタは便利です。もうちょっと伸ばして実際に小噺として、桂九雀さんに演ってもらいました。言ってしまえば言葉遊びというか、「女を作る」という言葉から作った一発ネタですが、でもそういうものじゃなくて言葉通りこのまんま受け取ってもSFとしてけっこういいんじゃないか、とは思う。
P6 スプーンしか曲げられないのか
子供の頃、スプーン曲げが大流行しました。ほんとにみんながスプーンを曲げようとしてたんです。ユリゲラーが来日してテレビに出た翌日には、学校に曲がったスプーンを持ってきた奴とかいました。曲がっただけじゃなくてぽっきり折れてて、あの頃の子供は、マジで超能力というものを信じてたり、マジで疑ってたりしてたのでした。でも、スプーンって曲がるんですよね。テコみたいになってるから意外に弱い力でも曲がる。力を入れてると意識してないけど力はかかってて曲がったりもする。だから、絶対に人間の力じゃ曲がらないものを曲げてくれ、とよく思ってました。今の手品だと、実際、フォークもこんな感じで曲がったりもしますね。今ではもうすっかり手品でやれる、という感じになってて、そういう前提での「スプーン曲げ」という芸だったりしますが、あの頃はほんと、マジだったなあ。それにしても、学校にスプーン持ってきた奴、そういう嘘をつくような奴じゃなかったんですよ。だから嘘をついたんじゃない、というのだけは間違いないと思うんですよね。超能力かどうかはともかく。
P7 卵を買いに行く
なんでもいい、という頼まれ方ってけっこう困る。こっちの「なんでも」と向こうの「なんでも」の範囲が一致しないことの方が多いし、だからたいていの場合はなんでもよくはない。それを考え出すと不安になります。「なんでもいいとは言えなんでもよくはなし」と川柳風につぶやいたり。まあこの場合は卵ですからまだ安心ですが。
P8 商店街で、最近評判のロボットに
ほんとにこういうことがありました。ペッパー君です。場所は大阪の天神橋筋商店街だったかな。店の前に立ってたんですね。ああ、これが評判のあれかあ、と思って近づいたら向こうから話しかけてきて、こういう会話になりました。メガネの色を褒めるなんてなかなかのもんです。そして、心からのものだろうがなんだろうが、褒められるというのは悪い気持じゃないです。心からのものかもしれないしね。あれだけ話せるんだから、心くらいあってもおかしくない。
P9 生きている海がまた
SFではもう古典ですね。『ソラリス』です。なんというかもう、「生きている海」「思考する海」というのが、もうSFそのもので、これがSF、という感じですよね。生きている海、というイメージ、とんでもない発明だと思うし、知性はあるらしいのにどうやら人類のそれとはあまりにも異質で分かり合うことができない、というのもすごい発明です。それまでのファーストコンタクトは、大まかにいうと戦争するか和解するしかなかった。すれ違い、というのはほんとすごい。そして、リアルですね。考えたら異質じゃない知性同士でもそっちのほうが多いかも、とか。
P10 昔住んでた家の庭には
関西弁です。なぜ関西弁にしたのか、というのは自分でもよくわからない。ちょっと上方落語の語りっぽくしたかったのか。なんにしても方言はいろいろと便利で、いろんな使い道がある。この場合は、造物主というか、神様の話なので、いちばんそれっぽくない語り口を選んだのかな。庶民的、というか、威厳のない言葉。そして、作ったものがそのうち言うことなんか聞かなくなる、というのは「あるある」でしょうね。そうなってくれないと困る、というのも。だから一種の「あるある」で、神様もそんな感じなんじゃないかな。
P11 おれ、灯台になったんだ
誰も気づかないけど、じつはものすごいことが行わている、という話はおもしろいですよね。最初の『ターミネーター』とか、そういうところがたまらない。街の片隅で人類の未来を賭けた戦いが繰り広げられている、とか。SFですね。まああの映画自体は派手なアクションが描かれますが、でも誰も知らないうちにじつは人類の未来を決める戦いが、というのはなんともわくわくします。これは、そういう派手なシーンは一切なし。ただそこに立ってて、照らしてるだけですからね。そして、地球人には照らしてることすら見えない。でも、宇宙的な規模でものすごく重要な仕事をしているかも、という話。いや、単なるおかしな妄想にとりつかれた話でもいいですが。考えたら『ターミネーター』もそうか。そういう解釈もできなくはない。
P12 惑星の内部構造や地表の
惑星の表面の状態とか宇宙空間でのいろんな環境をスイーツに喩える、というのはわりとあるんです。捏ねたり固めたり焼いたりまぶしたりするいろんなお菓子作りのプロセスと実際にいろんな環境が形成されるプロセスが似ているんでしょうね。それに、わかりやすいし、イメージを共有しやすい。ということで、わりとかわいいくてオシャレっぽいスイーツといわゆるこなもん(粉もん、です)の対決。これまで食べてきたものとか好物によって、喩え話のボキャブラリーも変わってくる、ということで、これ自体が環境の話のでもある。その人格が形成される環境の。
P13 目覚めたら、皆まだ
コールドスリープです。これもSFの定番。ワープをはじめとする超光速航法なんてものを持ち出さない限り、恒星間航行なんてものは、どうやっても何十年かかかってしまうので、冷凍睡眠するしかない。太陽系内だってそうですね。酸素とか食料とか節約するためにはそれがよさそうな気がする。『2001年宇宙の旅』とか、そうですね。火星くらいならまだなんとかなりそうですが、木星とか土星となるとやっぱりそっちかなあ。まあ安全な冷凍睡眠というのもかなり技術的に難しいだろうとは思いますが、でもワープ航法よりは現実的か。あ、映画で言うと、『エイリアン』も冷凍睡眠から起こされるところから始まりますね。起こされたけど、ここはどこで、なぜ起こされた、というのがオープニング。そして、眠る時間が何十年とか何百年とかになるとこういうことも「あるある」なのでは。
P14 いつだって、よりよい焼き目を
元ネタというか元の言葉は、トマス・M・ディッシュの家電SF『いさましいちびのトースター』ですが、これは故・水玉螢之丞さんを思って書いたやつ。「いさましいちびのイラストレーター」を自称しておられました。あのイラストもそしてそれに添えられた書き文字のとんがりまくった文章も好きでした。水玉さんにネタにしてもらいたかったな。
P15 机の三番目の引き出しには
机の引き出しにいつのまにか団栗が入っている、というのは「あるある」だと思うんですが、違うのかな。私の場合はそうです。たぶんどっかで拾って、そのままポケットにでも入れて持って帰ってきてそれで引き出しに入れるんでしょうね。そこから芽が出て森になる、というのは、『となりのトトロ』とかあのへんにイメージかな。『平成狸合戦ぽんぽこ』にも、そんなシーンがありましたね。あれは幻ですけど。町が廃墟になって、机の引き出しから森が始まった。そして、なぜその机の引き出しに団栗が入ってたのかといえば。まあそういう因果律の逆転、みたいな話ですね。こういう夢の中での辻褄合わせみたいな話が好きなんです。読むのも書くのも。
P16 鬼ごっこのためにひたすら
鬼ごっこなんだけど、ごっこじゃなくて本当の鬼、という言葉遊びですね。それと、何々の鬼、という言い回し。これ、我々の世代だと『キックの鬼』一択だと思うんですが。えっ、知りません? 真空飛び膝蹴り。キックキック、キックの鬼だ。
P17 いったいいつからこの雨は
ずっと雨が降り続いている世界、というイメージは、なかなか魅力的です。ブラッドベリの『長雨』とか。最近だと『天気の子』がそうか。なぜ雨が降り続いているのか、という理由もいろいろですが、これは主観的に雨が降り続いている、というやつですね。やんでるときは意識がないから、主観的にはずっと降ってる。卵の状態で乾季をずっと過ごして、雨が降ったらできる水たまりで孵って乾くまでに卵を産んで一生を終える魚、みたいな感じかな。
P18 土鍋型UFOを捕獲して
ちょっと変なコント、そしてツイッターあるある、です。ちくわぶSF。何々型UFOという言い方はおもしろい。つい、あれこれ考えてしまう。そしてどうしてもこういうふざけたものを書きたくなります。関係ないけど、葉巻型UFOって最近とんと聞かないなあ。昔はアダムスキー型と並んで定番だったのになあ。
P19 発掘された粘土板に
文字の解読の話はなかなかわくわくします。そして、よくそんなことできるなあ、とも。粘土板とまでいかなくても、「解体新書」なんかでもそう。やったあできたぞ、と思ったら、やっぱりそうじゃないか、という文が後で出てきたりするのも「あるある」でしょう。じつはそれが、という話。一種の擬態なのかも。なんでそんなものに擬態するのか、というのがこれから明らかになるのかどうかは知りませんが。
P20 巨大ロボットの中にいる
ヒト型巨大ロボットあるある、というか、それを操縦している人がよく思うことかも。自分が操縦しているように、ちっちゃい人に自分も操縦されてるんじゃないか、という妄想。ありがちだと思う。職業病かも。。
P21 石を持って帰ってきては
こういう言い伝えというか、タブーみたいなものは一般的なものなのかな。私は子供の頃、実際におばあちゃんにこんなことを言われました。いかにもありそうだからそのまま書いた。それに絡めて、アポロが行ったけどもうすっかり行かなくなってしまった月を人類が再び目指す理由、ということで、ミステリで言う「意外な動機」というやつかな。
P22 缶詰工場だ
これも小噺ですね。声を出して笑わないようなもやっとした小噺。缶詰工場、という言葉からの連想で出てきた話。たしか戦争SFのつもりで書いてて、こうなったんだと思う。兵士とか武器を小さくして運ぶ、みたいな話は子供の頃、わりとあったような気がします。あの頃は、質量保存則はどうなるんだ、とか思ってましたが、今なら量子論とかを使ってそれらしい理屈は作れそうなので、むしろ成立させやすくなってる気はします。やりとりを加えてもうちょっと伸ばして小噺にして他のとあわせて七つくらい並べて、桂九雀さんに高座で演ってもらいました。だから天満天神繫昌亭のネタ帳には、「百文字落語」というのが記帳されてるはずです。自分でも、朗読会で落語風にやったりしてます。
P23 自分の身体を直接
タップダンスを習ってました。全然踊れないんですが、だからタップシューズを持ってます。踊れないなりに、基本的なステップを踏んでるだけでも楽しいし、なによりもダンスなんてものにまったく縁がないと思っていた自分がそんなことやってるのが不思議でヘンテコでおもしろかった。コロナで中断してそのままになってるんですが。それはともかく、これはそのレッスンでよく言われたこと。なぜかはわからないけど、たしかにそのほうがいいようです。ミラーニューロンとかも関係しているのかも。知らんけど。でもついつい自分で自分を見てしまうんですね。そこからひねり出したやつ。
P24 今度発見された恐竜
完全に小噺。同じツッコミフレーズを反復して、最後だけちょっと変える、という、これも定番のやりかた。わりとうまくいってると思います。関西弁にしたのも、それがいちばん効果的、というか自分でやりやすいから。実際、朗読のライブなんかでやるとけっこう受けます。
P25 ドアが開いています
三人寄れば文殊の知恵、の機械版かな。最初のふたつのフレーズは実際によく聞くやつ。それで、もうひとつ加えて三体にするか、という感じで書いたのかな。つけくわえたやつを実際に耳にしたくはないですけどね。たぶん、もう人類は滅んでいて、だからポストヒューマンSFかな。『カメリ』とかの世界に近い。
P26 あの自動工場が
これも缶詰工場。もうちょっとそれで書いてみたくて書く、というのはわりとよくあります。そして工場といえば、自動工場ですね。みんながそうなのかどうかはわかりませんが。ディックの短編っぽいイメージ。人類は滅んではいないけど、細々と暮らしているだけで、自動機械たちが人間には関係なくいろんなことをやっている。そういうのは、SFのひとつの原風景。ラストはたぶん「ソイレント・グリーン」。食べ物の工場、となると自然にこの連想が出てくるのは世代でしょうね。
P27 コンセントがあるのに気づいた
これも小噺ですね。そしてボーイミーツガール。破れ鍋に綴じ蓋。たしか、あれって、どっちをどう呼ぶんだっけ、とか調べてて書いたんだったと思う。
P28 駅からここまで
実際にこういうことがあったんです。これは道じゃないだろう、というような隙間だし、家の中に入っていくみたいな感じで。こんなところを通ってきたよ、というその動画を見せてもらって、それから見に行ってきました。自分では絶対に見つけられないし、それにしてもなぜこの道順を示したのか。もしかしたら機械たちの通路なのか、ということで、そういうサゲに。余談ですが、そのあたりはすっかり整地されてもうこの道はなくなってしまった。ちょっと残念。
P29 出番のないままだった
あれですね。あの名台詞。落語の世界では歌舞伎の忠臣蔵とかの台詞を丁稚が空で憶えてて、それで番頭さんとやりあったりするんですが、実際そのころはそれこそが大衆の娯楽だったんでしょうね。そして、世代をこえてみんなが名台詞と名シーンを知ってて真似をしたりしてた。今だとこのへんのアニメに当たるんじゃないでしょうか。あと、ヒト型じゃなく達磨型。達磨ストーブという言葉はかなりおもしろい。あれを達磨に喩えるというのはなかなか絶妙ですね。
P30 高い煙突のある町
公害という言葉が世間に現れたのは私が子供の頃でした。「ゴジラ対ヘドラ」の頃。そして、その象徴が煙突でした。ゴジラ対ヘドラにも、ヘドラが煙突の煙を吸うシーンがあった。まあそのへんからかな。あと消滅といえば、ミッション・インポッシブル、いや、私にとってはあくまでも「スパイ大作戦」で、このテープは自動的に消滅する、ってテープが自分で言う。ということで、そういう語り手にしました。
P31 大きい仏
ふたつ前のやつの続き、というか同じ台詞を使ってもうひとつ。けっこうこういうことをやります。もうちょっとふざけたくなるんですね。そして、ヒト型のでかいもの、と言えばこれでしょう。でも、そこで同じ台詞を発するのはどうなのか、とか。
P32 道に星が
商店街のアーケード、その途中に半球状のドームみたいになってる天井があった。今住んでるところじゃなくて、京橋(大阪)の商店街かな。星の絵も描いてあったように思います。まあプラネタリウムみたいな感じですよね。それと古代人の宇宙観というかそういうのと合成して。商店街世界の天井の星。商店街の天井ってかなり汚れていて、ぼろぼろだったりします。そうなるとこういうことも起こる。隠蔽というほどじゃないけど、あんまり大っぴらになって欲しくなくて、届けてくれたお礼に商店街が出すものといえば、それですよね。そんなことばっかり考えて商店街を歩いてたりします。あ、関係ないけど、京橋の商店街の入り口には、ローマにあるやつよりかなりでかい「真実の口」があります。本物よりでかいって、どういうことやねん、と思いますが、そこらが大阪、なのかもしれません。知らんけど。
P33 心の奥底がきゅん
うちにはアレクサが居るんですが、もうほんとに「居る」という感じがします。音声入力と出力の進歩はすごいですね。最初は呼ぶのもアホらしかったんですが、今では普通に話しかけてます。そしてアレクサはやたらと歌いたがる。という具合に、そこに意志とか個性みたいなものも感じてしまってます。そんなアレクサから進化していった機械生命みたいなものにとって、元の声のモデルになった声の主に対していだく感情って、こんな感じじゃないでしょうか。
P34 自律したドローンの群れ
ドローンの話もたくさん書いてます。ドローンというものには、それだけ刺激されるんですね。生き物に近いというか、AIが人間の知能に近づくためには、身体性が不可欠だと思うんですが、ドローンはそれに近いものになるんじゃないかという気がしています。社会性昆虫みたいな感じで、ひとつひとつは単純でも群れとして動いて、その群れの動きが知性とか意識みたいなものになるんじゃないか、とか。そしていつからか、開会式の定番になりました。ということで、アレクサの話に続いて、彼らにとっての世界の始まりの記憶、みたいな宗教的なものになるんじゃないかと。
P35 圧政に苦しむ人々が
未来から干渉して過去を変える、というのは昔からSFでありますよね。いわゆる時間SF。でも、今いくら言っても変わらないことが、未来からの干渉で変わることがあるだろうか、とかそんな話。未来から情報が送られてきて、こうならならないためにはこうすべき、とか言われても、当たり前のことを言ってるようにしか聞こえないし、そして、わかっちゃいるけどやめられない、のが人間ですから。
P36 うっかり飲み込んだ
まああれの話ですよ。あれの話ですが、あれを抜きにしても、落語の『あたま山』と星新一の『おーいでてこい』の合成の小噺でもある。あんまりあれこれ言うより、そのまんま楽しんでいただければ。そういう小噺としても、わりとよくできてるのではなかろうか、と自分ではかなり気に入ってる話です。
P37 最近ではロボットも
我々の世代だと、特撮のロボットというのは、ロボットの着ぐるみで、本当に二足歩行できるロボットというのは、かなり遠い夢でした。だから実際に二足歩行しているロボットを見たときは、かなりびっくりした。そして、あれってちょっと「不気味の谷」効果みたいなものが加味されて、中にヒトが入ってるみたいに見えるんですね。で、そういうロボットよりもヒトというものが珍しくなったら、という話。
P38 絨毯ですよ
マイクロマシンの集合体としての空飛ぶ絨毯。つまり、クラークの有名な言葉「高度に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」というやつですね。たくさんの小さい機械が蟻みたいに動いて全体で知能を持っている、という設定は好きでよく使います。レムの『砂漠の惑星』なんかに出てくるような。いやまあ、集団知性と絨毯知性の駄洒落が出発点、だったりするんですけどね。
P39 フラクタルというか
ロマネスコという野菜を初めて見たときは、ちょっとびっくりしました。ほんと、CGがそのまんま実体化したとしか思えない。でもまあCGというのは、自然界にある反復とかを数式に取り入れてそれらしいものを描いてるわけだから、自然界にあれに近いものが存在するのは、当たり前と言えば当たり前ですね。でも、あそこまで、というのはすごい。もしかしたら自分はVRの中にいるんじゃないか、という気になる。
P40 数日前から空き地に
この本のタイトル『ありふれた金庫』になってるのが、これ。まあ私が決めたんじゃなくて、編集者さんからのいくつかのタイトル案があって、その中から選びました。星新一の本のタイトルに『デラックスな金庫』というのがあって、もちろんそれを意識したタイトル。星新一作品は、今ではあまりSFというイメージはないんじゃないかと思います。SFというより、ショートショートであり、星新一です。これはすごいですよね。ひとり一ジャンル、という感じです。そして私はそんな星新一作品を中学生の頃に読んで、こんなにおもしろいものが世の中にあったのか、という衝撃をくらって、そこから小説にのめり込むことになりました。初めて自分のお金で買った小説本が、星新一の文庫本でした。まあそれは余談。
空き地に金庫が落ちていた、というのはほんとにあった話。そしてそれが開いてた、というのも。
そして推理クイズなんかによくある、ガラス窓が割られててその破片が全部外側に落ちているからこれは内側から割ったのだ、みたいなネタ。
金庫の扉がこじ開けられてるのは全然不思議じゃないんですが、よく見ると内側から力が加わったようにしか見えない。そういうちょっとした不自然さ。そして近くに怪しげな研究所があって、となるとB級モンスター映画のオープニングですね。子供の頃からそういうのが大好きで、今も好きです。モンスターそのものよりも、それが出現する前の違和感とか不穏感みたいなものが好きなのかも。そういうシーンとして書いた。日常の中に不穏感がある和田ラヂヲさんのイラスト、いいですよね。
P41 その煉瓦工場は
子供の頃よく遊んでたあたりに煉瓦工場があって、そのへんの記憶もあるのかも。煉瓦というのは、レゴブロックみたいでおもしろいですよね。あれ積み重ねて壁とか家ができる、みたいな感じは。細胞みたいでもある。そのへんから。それと、イメージとしてはプラナリアですね。切っても切っても再生して増えていく。なら世界中がプラナリアに埋もれてしまうんじゃないか、とか子供の頃、よく心配してました。あれ、実際には水が汚れるとすぐ死んじゃうんですけどね。
P42 公園の木に
山道とか歩いていて、なんだかよくわからないオブジェというか作り物が木にぶら下がってたりするのがなかなか怖くて好きです。それのクリスマスツリー版かな。だからいちおうクリスマスストーリーですね。そして、ツリーというのは、進化樹という生き物の進化と枝分かれを示した図を思わせるところもあって、まあそんな感じ。関係ないですが、万博でお馴染みの「太陽の塔」の中にはそういうものがありました。子供の頃に見て、よく覚えてます。で、これは、実在の生き物ではない、あるいは表向きの生き物ではないものの進化樹。妖怪とか物の怪とか悪魔とか呼ばれていたようなもの、ですね。我々の知らない進化のツリー、だと思ってたら、その最下層には、というサゲ。
P43 ゼラチンのように
『クラゲの海に浮かぶ舟』という長編を書いてるくらいですから、クラゲは好きです。透明の生き物、つまり生きているレンズ。いや、わざわざクラゲを持ち出さなくても人間の眼球もそうですね。そして、そういう生体の部品で作られた映画館。生きている映画館。たぶん、ムーンライダーズの『九月の海はクラゲの海』からの影響も大きい。その中の「ガラスみたいに突き刺して、フィルムみたいに忘れない」というフレーズが大好きなんです。私の小説は、ムーンライダーズの曲にすごく影響を受けてます。まあ読んだら丸見えでしょうけど。
P44 ぼくたちは黄昏テレビと
トワイライトゾーン、という言葉からかな。子供の頃はたしか「ミステリーゾーン」という番組で、原題がそれだったことを知ったのはだいぶ後になってから。黄昏地帯、黄昏領域、みたいな感じか。かっこいいですよね。子供の頃には、そういう海外の番組(今で言えば、「世にも奇妙な物語」みたいなやつ)がけっこうあって、SFとかホラーの短編が好きになったのはそのおかげが大きいだろうと思います。そんなトワイライトゾーンに登場しそうなテレビの話。そうそう、あの頃のテレビはモノクロだった。それもまた黄昏っぽい。
P45 何型ロボットだかわからない
何々型ロボット、というフレーズはおもしろい。コントとかにはもってこいだと思う。なんでネコ型? とか。それがなぜか恩返しだと言ってくる。恩返しにもいろいろで、かえってひどい目にあったりする、というのもよくある話。何型ロボットか、ということで、その恩返しの性質もわかるのでは、とか。
P46 超高性能の手袋
コントですね。スーパースーツみたいなものを説明してるコント。手術は成功したけど患者は死んだ、みたいなタイプのやつ。
P47 ドーナツ化現象が今も
ドーナツ化現象、というのは言葉としておもしろい。『どーなつ』という小説を書いたくらいですから、私は穴が大好きです。そして、トポロジー的には人間はドーナツと同じなんですね。消化管が貫いてますから。つまり穴とその周辺。ということでその穴がどんどん大きくなっていくドーナツ化現象が人間に起こったら、みたいな話。中身はすかすかでも、見た目はわからないでしょうし。
P48 この土地にいろんな動物の
旅行でフランスのナントに行ったとき、中洲みたいなところにビスケット工場があった。あ、ジュール・ベルヌ博物館にも行きました。そして今やナントといえば、巨大な動く動物のロボットみたいなのがすっかり名物みたいになりました。そのニュースをテレビで見て、ビスケット、動物ビスケット、人工生物、という連想。動物ビスケットも動物ロボットも動物の形をした動物ではないもの、ですからね。「形」というのは不思議だ。
P49 うちの近所にも四角い家
そういう家を見て、四角いなあ、でもそれできっちり空間を埋めていけば、きれいに使えるか、とかそんなことを考えて。で、空間を無駄なく使うことが目的だとすれば、住人も、というサゲ。
P50 まず餅状生物に接近遭遇
たしか、近所の神社の餅撒きに行ったときに書いたやつ。「千切っては投げ、千切っては投げ」というお決まりのフレーズが餅っぽいから、実際にそうするために敵を餅状生物にして、でも食べ物なので、そういうことで遊ぶテレビのバラエティ番組のお決まりのテロップをサゲにしました。ということで、決まり文句でまとめました、という感じ。
P51 その茸を食べれば
『マタンゴ』です。我々の世代には、トラウマ映画ですね。マタンゴの声がなかなか気持ち悪くていい。すごく楽しそうな笑い声なんです。でもまあ、ああなったら食べるよなあ。食べてマタンゴになるよなあ、と思います。で、それを食ったら茸になってしまう茸があるんなら、その人間版も。つまり、人間以外の生き物にとってのマタンゴ。いや、人間。
P52 家の前に誰かが
回覧板って、『サザエさん』的なイメージで、たしかに子供の頃にはあったんだけど、もうないんじゃないの、とか思ってた。でも、あるんですねえ、まだ。たぶん内容もあんまり変わってないような。で、このまま残るんだとしたら、ハード面だけが変わっていくのだろう、ということで。郵便受けに突っ込んであったり玄関前に置いてあったりするものなので、ヒト型になってもこんな感じかな。
P53 赤い砂漠を越え
ちょっとよくわからないですね。書いた私もよくわからない。たまにそういうのがあります。なんとなく浮かんできた、としか言いようがない。まあなにかあるんだろうとは思うんですが。砂漠を放浪している謎の流れ者、砂漠から火星を連想して、そしてそう言えばやたらとNASAが開発した、っていう製品があったよなあ、とか。水分を吸い取って保持するみたいなので、ちょっとテラフォーミングとかとも関係するのかも。
P54 おれ、こんど茸に
P51のマタンゴの続き、というか、まあそういう世界の話です。マタンゴになる、という選択肢が社会的にも認知されている、という社会。マタンゴも、もっとうまそうな外見だったら、もっと食われやすかったと思う。まあ腹減ってたら食うでしょうけどね。あ、さっきから、マタンゴマタンゴって、なんか知ってて当たり前みたいに書いてますが、知らなくても無理ないですよ。だいぶ昔の映画ですから。
P55 謎の巨大怪獣を
都市伝説というかB級映画っぽい事象が同時多発したら、という話かな? ひとつならわりとお話として成立するんですが、こう次々に出てくると、みたいな。しかもSFなんだかホラーなんだか。でもその整理されてないところがリアル、という考え方もできなくはない。
P56 普段はカプセルで
カプセル怪獣です。ウルトラセブンに出てくるやつね。子供の頃、すごく憧れました。自分の怪獣を持ってるんですからね。必要なときに呼び出して、終わったらまたカプセルに戻す、というのも。すごいアイデアだなあと思います。そりゃ子供は憧れる。それがポケモンにまでつながってるんでしょうね。でもまあカプセルに入ってる者の側から考えるとね。こんな感じじゃないかなあ。あと、あのカプセル怪獣って、元ネタは民話の「三枚のお札」では? と子供の頃から思ってました。出てきても、相手を倒したりはできずに時間稼ぎになる程度だったりするあたりも。
P57 異星人のマシンが
もちろんウェルズの『宇宙戦争』です。そして、あのオチ。拍子抜けすると同時になかなか説得力がある。もっと用心して侵略しろよ、とも思いますが、まあ調子に乗ってるときはそういうもんでしょう。そういう意味でも説得力はある。
P58 彼らは空から
宇宙戦争に続いての侵略もの(?)。ようするに雪が降ってるんですけど、そういう形で何かが降下してくる、というのはなかなかおもしろいんじゃないか、とまあそれだけですが。でも、雪っていうのは、景色も何もかも一気に変えてしまう。そのへんが侵略っぽい。宇宙から来たみたいにも見えるし。
P59 えっ、このロボットに
兵隊に合わせるんじゃなくて、兵隊の方が兵器に合わせろ、というのは一種の「あるある」ですね。そして、ヒト型ロボットの話。パワードスーツっぽく操縦するのかな。身体の延長みたいな感じで。だから、それに合わせるとなると、身体の形そのものを変えなきゃならない。そんなふうにヒトの形が変わっていく、という進化はあり得るかも。
P60 突き出ている白いもの
これは実際にそういう海岸を見て、そう思ったことそのまんま。波間に半円状に白い岩が突き出てて、それが歯並びみたいに見えた。で、いったいどんな事情があってこんなことになったんだろう、と思った。どんな事情もなにも、最初から妄想なんですけどね。
P61 プロペラを回転させて
回転部分を持った生き物がいるとしたら、羽ばたきではなく飛行機のように固定翼とプロペラによる推進で飛行する生き物にまで進化してもおかしくはない。そうなると、飛行機に付随するあれやこれやに相当する生き物が進化の末に生まれてもおかしくはない、ということで。もちろん、旅客機みたいなのが出現してもおかしくはない。
P62 自走式の楽器は
自走式、という言葉はおもしろいですよね。大抵は武器に使われるわけですが、ここでは楽器。自走式だからヒトといっしょに行進できる。そこにリコーダーを吹く子供たちが加わったら、リコーダーを持った子供たちは、こんなふうに見えるんじゃないでしょうか。なんかちょっと変わった自走用ユニットだなあ、とか。
P63 皆で輪になって
お話の起源、みたいなお話ですね。まだ文字もない大昔から焚火を囲んでそんなふうに立ち上げられてきたいろんな話が、リレーみたいに今も繋がって続いていて、この百字もまたそんな輪の中にいる、と思いたいです。
P64 路地の入口に
ドローン型UFOは、今後出現しそうな気がしますね。擬態としてはかなり効果的。はたして、擬態する必要があるのかどうかはわかりませんが。それはともかく、ドローンの出現はちょっと空の景色を変えましたね。ドローンみたいに見えるんだけど、本当にドローンなのかどうかはわからない飛行物体、ってなかなかいい謎だと思う。
P65 台本がついに
芝居の稽古の最中に思いついた話、というか、まあ演劇ものですよね。小劇場の場合、台本って大抵最初はできてないんです。二か月くらいやってる稽古の途中で出来たりする。それで、だいぶほっとします。で、演劇の場合、全員がそれを憶えてやるべき役割をはたしたら、無事に上演へと漕ぎつけるわけですが、たとえば現実にもそんな台本があって、全員がそれを憶えてそしてしかるべき役割をはたしたら、その台本の通りの未来に進んでいく。まるでカルト教団的な世界観ですね。まあそういうものとして書いたんですが。
P66 バタフライエフェクトを
バタフライエフェクト、というのはとても魅力的な言葉と概念ですよね。だからフィクションの仕掛けとか説明によく使われるんですが、でもけっこう間違って使われてたりすることも多い。いや、バタフライエフェクトって、実際に蝶を使うんじゃないだろ、というベタなツッコミから、でも巡り巡ってそういうことになった、ということではバタフライエフェクトと言えなくもないのか、とか思ってたら、科学じゃなくて呪いかよ、まで。巨大な芋虫が建物を押し潰すのは、もちろん『モスラ』です。特撮における奇跡のショットのひとつだと思います。
P67 以前より存在の可能性が
土器発掘捏造事件というのがありましたね。発掘してたんじゃなくて自分で埋めてた、というやつ。で、これも発見してたんじゃなくて、自分で作ってた。いわゆるマッドサイエンティストですね。だから、捕まったらそうなります。最後は、特撮つながり(?)で『ガス人間第1号』です。
P68 紙を折り曲げて飛行機に
映画の話が続きますが、元ネタというか発想の元は、『猿の惑星』の中で、人間の作った紙飛行機を見て猿たちが驚くシーン。子供の頃、あのシーンがすごくおもしろかった。「猿の惑星」の猿たちは、文明は持ってるんですが、まだ飛行機は生み出していないんですね。それに対して、紙飛行機で優位を示す、というのはおもしろい。それに、紙飛行機の方が飛行機よりも後なのかな、どっちなんだろう、とか。どうなんでしょうね。ちょっとわからないですが。でも、紙飛行機が先にあったら、最初の飛行機は紙飛行機をモデルにするような気がするから、たぶん後なんでしょうね。そして、そういう発達の原動力は、競争で、そしてその先には、みたいな話。
P69 お稲荷さんの祠の裏
これは実際にあった光景。こういう箱庭みたいな小さな世界は子供の頃から好きでした。『ロストワールド』はまだその頃は知りませんでしたが。あ、『ジュラシックパーク』の方じゃなくて、コナン・ドイルの方ね。
P70 この宇宙の本質が弦
超弦理論、スーパーストリングス理論ネタですが、そんな理論、理解はしてません。とにかく解説書なんかには、素粒子を点ではなく振動する弦であると捉える、みたいなことが書いてあって、おお、かっこええっ、とか思ってる程度。超ひも理論、という言い方になると、ちょっと間が抜けてて、それはそれでいいですね。そしてストリングとなると、普通に音楽とか楽器にが連想されます。そしてミュージシャンはいろんなことを自分の持ってる楽器に喩えたりする。でも、食い違ってるようで、音楽という大きなところから見ると同じことを言ってたりする、というのもあるあるですね。
P71 背中に鍵盤のある生き物
そして楽器つながり。架空博物誌。楽器生物の話。楽器の生物、というか、人間だって声帯を使った楽器生物だとも考えられるし、自分の身体を使って演奏する生き物がいるのは、べつに不思議じゃない。そしてある楽器生物が他の楽器生物を演奏することも当然あるでしょう。
P72 身体が長い管になっている生き物
そしてこれはその楽器生物たちの演奏がまだ始まったばかりの段階。吹いて音を出すところまでしかいってない。指でここを押さえたら音程が変わる、という発見はまだ。
P73 目がたくさんある生き物
サイコロの目の表と裏を足すと必ず七になる、というのを知ったのがいつだったか。なんだかそれはすごく不思議な感覚だったように思います。単純なのに、なんだか複雑ことがそこに含まれている気がする。そして、サイコロと同じそういう法則性の生き物がいたとして、でも目の数は一から六までではないんですね。そうなると目の数の法則性はどうなるのか? マイナスとかあるのか? いや、たんなる小噺みたいなもんだと思ってください。
P74 洗濯物を取り込もうと
火星はいいですね。大接近のときなんか、ひときわ明るくて赤くてほんとに道標みたいです。これは、『100文字SF』に入れたこれの続き。いや、続きと取らなくてこれだけでもいいとも思うんですが。
【ほぼ百字小説】(18) 火星を目印にすれば複雑な路地を抜けて簡単に帰宅できると聞いてずっとそうしてきたのに、火星だとばかり思っていたあの赤い星が火星ではなかったことを知り、ここが私の家ではなかったこともわかって、今さら困る。
『100文字SF』P7です。そしてその解説はここに。
P75 唐突にこの世を去った
亡くなった小林泰三さんのことを思って書いた。同世代で同じ関西で、いっしょに新作落語を書く会をやったりしていました。おもしろい、というより、おもろい人でした。ああ、あのとき小林さんあんなこと言うてたなあ、おもろかったなあ、アホやな、とか集まるとそんな話になります。
P76 今日も妻が冷蔵庫と
冷蔵庫の音、というのはおもしろいですね。夜中に冷蔵庫がたまに、ぶんっ、とか音を立てると、何かぶつぶつ言ってるみたいな気がします。冷蔵庫の言葉で。だからあまり無理をさせてるとこういうことになるのでは。うちの冷蔵庫、冷凍庫がいつもぱんぱんなんですよ。
そしてこれの続きでもある。『100文字SF』P58がこれ。
【ほぼ百字小説】(391) あんたなあ、ちゃんとせんと捨ててまうで。妻が言う。本気やで。いやいや、冷蔵庫にそんなこと言っても。ところが、冷蔵庫の調子が戻る。妻の超能力、あるいは冷蔵庫に発生した知性。いずれにせよSFには違いない。
P77 プール開きだ
プール開き、という言葉から。プールが開くといえば、『マジンガーZ』のオープニングの歌のところ。『十戒』みたいにプールが開いて水が落ちて、その下から出てくる。いちいちあんなことしてるのか、とか。サンダーバード1号もプールの下から出てきてました。あっちは割れて水が落ちるんじゃなくてたしかスライドしてましたね。あ、それから小学校の頃の記憶として、プール開きって寒い。
P78 長い生き物の中に
『風の谷のナウシカ』の最初のところに、でっかい王蟲が脱皮した殻が出てきますね。アーケード商店街を歩いているとよくあのシーンのことを思う。半透明の屋根が脱皮した殻っぽいし。この商店街がでかい抜け殻なんじゃないか、とか。
P79 歌の文句ではないが
この歌は、奥田民生の「コーヒー」。大好きな歌です。休みが必要だ。いい歌だなあ。ロックというのはだらだらしたものだ、と再認識させてくれます。あんまりやる気を前面に出すようなもんじゃない。そしてもちろんコーヒーも大好きで、だからよくそういうことを考えます。
P80 痛覚はない
魚には痛覚はない、なんてこと言いますよね。ほんとかどうか知りませんが。これは魚の活け造りの話。刺身にして骨だけになっても動く、なんて言いますよね。漫画みたいに骨だけになって泳ぐ、なんてことはないでしょうが、ある程度切っても動いてたりする。それと、魚の上に世界が載ってる、という古代の宇宙観みたいなのを合成したもの。板前さんに裁かれている魚の上の世界の話。
P81 蝶になって彼岸へと
これもバタフライエフェクト。単語のそれらしい由来、とかを書くのが好きなんですね。もちろんフィクションで。単語から引き出された妄想みたいなもの。私のSFは、そういう言葉と本来の意味のずれみたいなところから出来てるような気がします。あと、蝶というのは魂に喩えられることが多い。海を渡る蝶と彼岸へと渡る蝶のイメージの重ね合わせ。
P82 急いで書き写す
黒板に書いたのをノートに書き写してるみたいな感じですね。「書いたか? 書いたら消すぞ」みたいな。で、自分の遺伝情報をそんなふうに自分で手書きしないといけない生き物。人工生命とかなら、そういうふうに作られたものがあってもおかしくはない。何のためにそうしたのかはわかりませんが。それが当たり前の生き物にとっては、それが当たり前ですよね。当たり前ですが。
P83 新しく開発された技術
で、そういう彼らに、画期的な手抜きの技術が伝えられて、でもそのせいで生きがいみたいなものがなくなって、とか。まあ会社を定年になったとたんにすることがなくなって、みたいな「あるある」ですね。彼らにとっては、自分の遺伝情報を書き写すこと、が生きている上でのいちばん大事な時間だったんですね。それが簡単になってしまう。コピー・アンド・ペーストで写経、みたいな感じでしょうか。
P84 壊れた身体を修理する
これもまあ一種の「あるある」ですよね。もう古くなって、メーカーにも在庫が無くなってサービスも停止されて。もし自分もそういう機械で、自分の壊れたところを自分で直している機械だったら、とか思うと他人事じゃない。
P85 帰ってきたと
ウルトラマンですよ、はっきり言ってしまえば。セブンのあとしばらく間隔が空いたんですね。だから帰ってくると言われたときは、ほんとにわくわくしました。あの時点ではまだ、ウルトラマンとウルトラセブンは同じ世界線上にはなかった。まったく別々の番組だったんです。そんなこと言われても、でしょうけど。
P86 バリカンで
まあそういう雑な、というか、うっかりしてるロボットみたいなものなんでしょうね。髪の毛を整えてるつもりで頭も削ってしまっている。メモリーもいっしょに。で、毎回そんなことをやってる。そういうロボットだとしたら。バリカンで自分の髪を刈りながら考えたこと。
P87 娘の通う小学校のプール
実際、そうでした。へえ、屋上にプールがあるのかあ、と私にはわりと新鮮だったんですが、どうなのかな。わりと普通なのかな。何にしても屋上のプールというのはなかなかいいですよね。夜のプールは絵になるから、映画とか漫画とかでよく使われますが、屋上のプールに星が降る、なんてのはなかなかいいんじゃないでしょうか。
P88 家の斜め裏が
うちの近所には小さな工場がけっこうあって、そして、いつもこういう音が聞こえてます。何を作ってるのかは知らない。単純な中にけっこう複雑なリズムが入ってて、聞いてて楽しいです。そして生き物っぽい。主人が引っ越しして機械だけが置いて行かれたら、というちょっと悲しい風景。
P89 かちゃこんかちゃこん
ちょっと悲しいので、なんとかしてあげたくてその続き。『わたしは慎吾』みたいな感じかな。ということで、元の持ち主とは関係なく、ちゃんとたくましく生活しているところを書いてみました。
P90 あの高いビル
あべのハルカスが近所の路地から見えます。昔ながらの路地から見るあのビルは、松本零士の『大純情くん』みたいな光景でなかなかいい。物干しとか昭和なのに、それ越しにあのビルが見える。この向きから見る分にはどっしりしてるんですが、ちょっと横の方から見ると意外なくらい薄い。棒みたいです。だから、もし概念としての直線、厚さのない線として作られた建物があったら。まあそういう幾何学SF、ですね。昔はそういう幾何学SF短編、みたいなのがけっこうありました。位相幾何学をネタにしたやつとかね。
P91 子供の頃、よく
一人乗りのドローンみたいな飛行機械が普及した未来、その開発秘話、みたいな感じかな。扇風機でスカートの中に風を送る、というのはあるあるなんじゃないかなあ、と思います。やったことはないですけど。思いがけないことが発明に結びつく、というエピソードは、いかにもありそうで、そしてSFっぽいと思う。
P92 子守用として作られた
こういう融通の利かなさ、というのはいかにも機械、という感じがするんですが、でも生き物でも進化の過程で獲得したものを全然違う目的に使ってたりするから、生き物っぽくもあるのかも。まあそこまで複雑になってくると機械も生き物なんでしょうね。普通、ロボットに子供なんてものはないわけですが、こういう理由で子供ロボットが生まれて、そしてロボットの家族みたいなものができる、というロボット史はなかなかおもしろいと思う。
P93 甚大な被害が出ている
子守、というところからの連想もあるのかな。たとえば幼児を可愛いと感じる、とかそういう、たぶん生き物に組み込まれているであろう部分を利用した侵略、みたいなものはあり得るのではないかと思います。理屈ではわかっても、そこには抗えないんじゃないかな、とか。
P94 墓地にする
墓地と基地が似ている、いろんな意味で、というそれだけで書いたようなやつですね。でも、あるあるでもあると思う。墓地にすると言ってたのに基地にしてしまったり、基地が墓地になってしまったりね。
P95 あるのではなかろうか
これはエウロパに間欠泉が存在するらしい、というニュースで書いたんだったかな。宇宙に温泉、っていいじゃないですか。エウロパと言えば、『2010年宇宙の旅』ですね。「ただし、エウロパは除く」もし、そんなメッセージが来たら、温泉を独り占めしようとしているんじゃないか、とか疑いたくなりますが。
P96 言葉にできない
小説というのは言葉だけで出来てますからね。そして、言葉にできないことはたくさんある、というか、言葉にできることは限られたごくわずかです。だからよくこういうことを考えますよ。
P97 第三倉庫には
第三倉庫、というのは真島昌利の『アンダルシアに憧れて』からかな。でも落語の『質屋蔵』も三番蔵か。第三の男、なんてのもあるし、なんとなく第三というのはちょっと何かいわくありげなんでしょうね。これは、アポロの月着陸に関する都市伝説にあるあれが、そういう倉庫の中で行われた、という話ですが、でもそれもまた映画の中のことで。そんなことできるわけがないのですが、でも『2001年宇宙の旅』の月面のシーン(アポロの月着陸より前です)を見ると、あんなすごいセットが本当に作られたんだな、というそっちのほうが不思議だったりします。
P98 頭の先に提灯
額縁、つまりフレームですね。フレーム問題なんて人工知能関係の古典的な言葉があるくらいで、実際に絵を納める額縁というより、そういう認識の範囲みたいなもの。自分のフレームの中に相手を取り込む、なんてことができる生き物は、なかなかSFとしてもおもしろいんじゃないでしょうか。
P99 最近は何度も使える
ゆっくり燃える花火、みたいなものですね。化学反応によってエネルギーを放出しているんなら、同じだけエネルギーを与えたらネジみたいに巻き戻せるのでは、ということで、そういうゼンマイ花火。で、そういう説明も同じように何度でも。
P100 坂の下にある海へ
イメージはソラリスでしょうね。ああいうものを記憶媒体として使用できるようになった世界。海の中に過去が消えずに残っている。ネットの海にだって過去がいつまでも消えずに残っているから、ようするに今と同じかも。そして、そうじゃなかった頃、ビデオがなかった頃でさえ、もう我々にはイメージできなくなっている、というのも。
P101 輪ゴムだ
『リングワールド』という小説があって、惑星を全部壊してそれを材料にして太陽の周りにリングを作って、その内側に世界が作られている、という設定なんですが、まあそれとイカリングの合成。スーパーマンのオープニングナレーションも入ってます。あと、『イカ星人』なんてのを自分でも書いてて、そこにもイカリングワールドは登場します。
P102 この羊の群れに
電気羊といえばもちろんフィリップKディックのあれですね。アンドロイドではなく、電気羊が見ている夢、としての電気羊の夢、みたいな感じかな。
P103 またリモコンが行方不明
あるあるですよね。そしてリモコンからでしか操作できないことがけっこうあります。ほんと、そういうのってシステムとしてダメなんじゃないかと思うんですけどね。ということで、そういう設計で作られた者のボヤキ。
P104 高齢化と人口減少により
これもあるあるなんじゃないかなあ。年寄りばかりになると餅つきはかなり無理がある。町内会の餅つき大会とかね。でも、もしあれを餅つき機でやってしまうと、もう単なる餅配り大会になってしまう。それはそれとして、餅つき機ってすごいと思います。餅をつく動作をシミュレートするんじゃなくて、プロペラみたいなやつなんですよね。あの回転が、物理的には餅をつくという行為と同じことになる。餅つき機というと、ヒト型ロボットが餅をついてるアホっぽい絵を浮かべてしまいますが、餅つき機はかなり賢い。餅つき機という存在は、ちょっとハードSFっぽいと思う。
P105 温泉なのに
宇宙の環境とかを考えると、こういうことになると思います。液体窒素とか液体水素の温泉、なんてことも。あくまでも、周りとの温度差ですからね。そして温泉がそうなら生き物というシステムもそう言えるのでは、とか。
P106 トレーラーに巨大な腕が
たしかゲゲゲの鬼太郎のだいだらぼっちの話で、腕とか足が空を飛んでいくシーンがあって、子供の頃、すごくわくわくしました。巨大な何かの部分が運ばれていく、というのはいいですよね。そう言えば、ウルトラセブンのキングジョーもバラバラになって飛んでましたね。合体ロボなんかもそんな感じか。身体のパーツがばらばらで空を飛ぶ、というイメージの元型みたいなものがあるのかな。
P107 動物園
動物園仮説なんてのがあるくらいだから、誰しもいちどはこういうことを考えるでしょうね。そういうあるある。
P108 水族館
そして、水族バージョン。で、水族館の水族館たるところは、それが陸にある、ということですから、すべてが沈んだ世界、ということで。
P109 地上は白一色で
雪景色というのはすごいですね。本当に景色が一変する。そして、脳トレみたいな感じで、ちょっとくらい前と色が変わってても気づかないのでは。何かそういうことが進行している世界。
P110 降ってくる雪を
雪つながり。うまくいくと本当に上昇感が味わえます。ちょっと風とかあるだけでダメですけどね。ということで、がんばってやってみて、がんばりすぎると、という話。
P111 卵工場で働いている
卵工場、という言葉から書いた。卵工場って何なんだ? 養鶏場がそういう喩えで呼ばれたこともありましたが。ここでは、とにかく卵を作ってる工場。でもその工場も卵を産む。卵工場の卵ですね。
P112 ロボットがラッパを
テレビでトランペットを吹くロボットを見たんですね。トランペットっていちばん機械化しにくそうな楽器のひとつだと思ってたんですが、ちゃんと吹いてます。そして、ロボットがする練習ってはたして努力なのか。いや、努力すればいいというものではないですね。音楽は音がすべてですから。
P113 これまでの伝統的な方法
ヒト型ロボット、という言葉はすっかり一般的になりましたが、人形というのがまさに人の形ということだし、だから人形型ロボット、とも言える。そして、藁人形がヒト型である理由は、となると。呪いの科学化、とかそんな話。
P114 天から下がった紐
蜘蛛の糸、みたいに見えるんだけどじつは、みたいな、ちょっと騙し絵っぽい話。その構造を物理的に成立させるための皿回し的な安定のさせかた。そういう仕組みの話はけっこう好き。
P115 次々に底が抜ける
これも世界の構造の話かな。実際ここ数年、世の中の底が抜け続ける感みたいなのはありますけどね。そんなことないですか? いや、気のせいならいいんですけどね。
P116 弦には弦、管には管
宇宙を記述するのに弦に喩える、というのは前にも書いてますが、弦楽器があるなら管楽器もありだろう、ということで。そして、弦楽器と管楽器でいろいろ言い分が違ったりするのはビックバンドあるあるで、でもまあなんとかお互いを認め合ってうまくやっていけたらいいですよね。その楽器によって性格とか考え方の違いみたいなものは当然出てくるだろうとは思います。楽器って自分ですから。
P117 刺身にしてやる
気の短い板前ほど怖い者はない、なにしろ包丁を持ってる。というジョークがありますが、だから板前ロボットも同じ。「気が短い」と「ショート」というのはなかなかいいシンクロですね。
P118 生きている正方形
細胞が分裂していろんな形を作っていくのと同じように、シートから折り紙みたいにして立体の形状を作っていく、という発生の仕方があってもいいんじゃないか、というところから。分裂とは違うやりかただけど、形は同じものができたりする。折り紙みたいにね。で、ヒトの形をしたヒトでないものを作ったり。ちょっと式神っぽい。
P119 人間で大砲を作って
昔(今でもあるのかな?)、サーカスの芸で「人間大砲」というのがありました。人間が砲弾として打ち出されて、ネットで受け止められるやつ。漫画的な発想で、「トムとジェリー」とかあのへんのアニメーションっぽい。そういう漫画的なアイデアを実際に生きた人間でやる、というのがすごいですね。ちょっと人間離れした発想だと思う。まあそんなことを考えてて書いたのかな。
P120 本当に飛ぶ必要はない
演劇的世界観ですね。医者を演じるのに医者としての能力は必要なくて、医者に見えればいい。逆に、本物の医者に医者の役をやらせても全然医者っぽく見えなかったりする。では、「医者に見える」とは、どういういうことか。どうやればそう見えるのか、みたいな話。
P121 本当に飛ぶ必要はない
そしてそういう演劇的世界としてこの世界を捉えれば、いろんなことができるのでは? まあそんな気がするのもまた、演劇的なトリックかも知れませんけどね。でも、そのトリックが通用する場所にいるかぎり、それはトリックではなくて現実ですから。
P122 人工知熊とは
「人工知熊」というのは、『どーなつ』の中で出しました。熊みたいな形のパワードスーツみたいなやつ。たんに漢字の形が似ている、ということでそういうものができてしまって、できてしまったからにはいろんな意味が発生する。そこに「自走式」と「歩く辞書」みたいな言い回しを関連付けて、ちょっと説明文っぽく。だから、架空博物誌でもある。
P123 我々が展開すべき世界
これも演劇的世界観ですね。たしか、芝居の稽古をやってるときに思いついたんじゃないかな。芝居の稽古中にはよくそういうことがあって、なかなか助かります。ちょっと日常とは違う環境に身を置くと、そうなるんですね。公演の稽古って二か月くらい前から始まるんですが、そのときにはまだ台本は全部できてないことのほうが多くて、そしてけっこうぎりぎりまで結末がわからない、なんてこともあるあるです。この世界もそうだったら、みたいな話ですね。
P124 劇場の天井には
演劇的世界観+架空博物誌みたいな感じ。公演の前日くらいから劇場入りするんですが、そのときに書いたのかな。劇場の天井って暗くて、よく見えない空間がたくさんあって、ごちゃごちゃしている。生き物が棲めそうなんですよ。休憩時間に舞台に寝っ転がって天井を見ているとなにかが動いたのが見えたような気がしたりするし。そのへんからの妄想。映画『女優霊』なんかもそういう話ですよね。
P125 いいかい、あの換気扇が
映画とかドラマとかで、そういうテイストの照明が流行りましたよね。スモークが焚かれてて、光が棒みたいに見えて、そしてやたらと換気扇が回ってた。リドリー・スコットとか、あのへんからでしょうか。でもリドリー・スコットも、ちょっと昔のハードボイルド世界みたいな感じを出そうとしてやってたりするので、そういう共通の光のイメージみたいなのはあるんでしょうね。そして、これはそういう演劇的世界観で動いているというか、そういう法則に支配されている世界の話。換気扇だけど換気してなかったりする。
P126 この世界が巨大な鍵盤
世界を何かに喩える、というのは、宇宙論ではわりとあって、そういうのって、ほとんどSFとか小説と同じように楽しめるし、SFというのは、そもそもそういう感動みたいなところから来たんじゃないかと思います。たぶん根っこが同じなんですね。だからこういう架空の宇宙論みたいなのもSFで、それもSFの核に近いところにあるんじゃないかと思ってます。楽器とか音楽に喩えるのも私はけっこうやってます。音楽というのはいちばん身近で再現性のある魔法ですから。この本でもすでに、弦と管に喩えてて、じゃあ次は鍵盤か、ということで。
P127 台風が常駐している
たまにそういう変な台風がやってくる。おかしなコースを通ったり、急に遅くなって動かなくなったり。迷走台風ですね。たしかそんなのをニュースで見てて書いたんだったと思う。このままずっと動かなかったら、とか。木星の大赤斑みたいにいつまでも渦がそこにある、とか。まああれは、渦がずっと存在しているだけで動いてはいますけどね。生き物のようでもある。台風の目、なんて言葉はなおさら。
P128 台風が常駐している
で、その続き、というかもうちょっといってみるか、と書いた。そんなふうに動かなくなってしまった台風が当たり前になった世界の話。それが当たり前ですから、今さらそうじゃなくなったら困る。けっこうあるあるですよね。
P129 昔は公園だった
ヒトはもういなくなったが、それでもずっと世界は続いてる、というのはSFの定番で、「人類滅亡」という大悲劇ではあるんですが、でも同時にそれはある安心感みたいなものでもあるように思います。なんだ、滅びてもいいんだ、世界は続くんだ、みたいな不思議な癒しは、SFならではのものでしょうね。昔とはずいぶん変わってしまったけど、何も変わっていない、という話。
P130 潮が引くと砂の道が
こういう風景ってあちこちにありますよね。瀬戸内海とか。水の中から道が現れる、というのは、ほんとうに魅力的なイメージで、しかもそれが砂。砂の上を裸足で歩くのは、足の裏へのごちそうですね。そして、砂があったら掘りたい。埋もれているものと言えば記憶で、だから「ソラリスの海」もの、でもある。
P131 世界の容量が
人形劇を観てて考えたこと。ピエロック一座だったかな。おもしろい人形劇を観ると、演劇に表情とかはいらないんじゃないか、という気になります。むしろ表情がないことが感情を伝えたりするんですね。そういうことはたぶん人形浄瑠璃の頃から考えられてたんじゃないかと思いますが、とにかく不思議です。情報量じゃないのか、あるいは、情報というものの別の捉え方があるのか。で、それなら実際に人間も、という話。
P132 世界が増量されたので
ということで、その続き。なんだよ、これでいけるんならこのままでいいんじゃないか。「はやく人間になりたい」の逆かな? みんながみんな、なりたいわけじゃない。そして、なりたくない者たちは。
P133 ドローンの材料が
クラークのあれ、「高度に発達した科学は、魔法と見分けがつかない」というやつ。高度に発達したドローンは、です。
P134 内閣改造が発表
子供の頃、『仮面ライダー』の中で聞いた「改造人間」という言葉は、強烈にかっこよかった。ショッカーの改造人間。「サイボーグ」もかっこいい言葉でしたが、やっぱり「改造人間」には勝てない。ということで、内閣改造とニュースで聞くと今もそれを思い浮かべる。ショッカーの幹部の前に並んでいる改造人間たちの絵。まあ実際、似たようなものかもしれません。かっこよくはないけどね。
P135 いけないとわかっては
そのうち、「あるある」になるかも、というか、なったらおもしろいですね。ロボットの生存戦略としては、実際に有効なのではなかろうか。
P136 ある朝、気がかりな夢から
カフカですが、『変身』の主人公は、Kじゃなくてザムザですね。まあ「カフカっぽさ」としてのK。そして変身と仮面ライダーの合成、というそれだけのネタ。でも、実際あの悪の秘密結社はかなりわけがわからないので、そういう不条理さを前面に出せば、ほんとにカフカ的な感じになるような気がする。なにがしたいんだからさっぱりわからない悪の秘密結社、って妙にリアルだし。
P137 ある朝、気がかりな夢から
というわけで、石ノ森章太郎でつながりもうひとつ。Kと言えばこれ、『ロボット刑事K』。タイトルすごいですよね。子供の頃、実写の特撮ドラマとしてテレビでやってました。変だったなあ。これも、今ちゃんとやったらだいぶおもしろいんじゃないかなあ。ロボコップみたいに。あ、私が書いた『かめ探偵K』は、もちろんこれが元ネタ。タイトルだけですが。
P138 月面で発見された
『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスそのまんまですね。あれは人類に向けて置かれているわけですが、全然別の目的で、人類なんか眼中にない存在があれを置いてたとしたら、こういうことになるのではないかなあ。おまえら勝手に使うなよ、みたいな。
P139 同じ場面を何度も
芝居の稽古です。何度も何度もやるわけです。もちろん台本通りにやってるんだから同じことの繰り返しで、でも違う。もっと良くしようとしている。これって、構造としては時間ループものだなあ、とか。でもループものだと大抵は繰り返しに気づいているのは主人公だけですが、この場合、全員が知っててそうしている。そういうのって、ループと言えるのかどうか。
P140 激しい雨で
季節の変わり目には、こんなことを思います。「ひと雨ごとに」というのは、そういう変化を的確にとらえた見事なフレーズだと思います。そして、気象がおかしくなってかつてない季節が出現、という状態をテレビの天気予報なんかでよくやるように模型とかを使って説明するとこんなふうになるのでは。夏と書いてあるカバーがばりばりと剥がれていって、とか。
P141 このあたりもすっかり
けっこうまとまって家が壊されて、路地の中に急に荒野が現れたみたいになって、なんか火星みたいだなあ、ということがあって、そのときの妄想。そういう地球侵略もあるかもしれないし。
P142 えっ、こんなところに
自分の身体に自分も知らないスイッチが、というのは、サイボーグものなんかにはありますね。こういうこともあろうかと、と博士がつけておいてくれたスイッチ。いや、でもつける前に言っといてくれ、という気にもなりますが。
P143 大混乱の駅にいる
台風とかでダイヤが乱れてる駅、それもホームがたくさんある駅。大阪駅とか、あんな感じ。時間通りの運行ができなくなってる。で、それがもっと乱れて、時間そのものが乱れると。
P144 すべての粒子を
最近のヒーローものには、けっこうこういうタイプの怪人みたいなのは出てきますよね。昔は技術面でも予算面でもとてもやれなかったけど、CGが安く使えるようになったので、そういうことをやりやすくなった。まあそういう存在の自分語り、かな。
P145 すべての粒子を
その続き。風紋というのはいいですよね。鳥取砂丘で初めて実際に見て、けっこう感動した。液体なら残らないのに、砂だと残る。でもすぐに消えてしまう。そのはざま、というのがなかなか絶妙。
P146 引き延ばしと折り畳みの
ワープ航法とかハイパードライブとか、まあSFにはお馴染みの超光速航法です。相対論的制約から逃れるためにはどうしても、空間を捻じ曲げるとか畳むとか、そういう操作が必要になります。理論上というか、屁理屈上においても。まあハードSFというのは、そういう屁理屈のおもしろさを楽しむもんだと思う。だから実現可能性とかはあんまり関係ない。で、そういうことができる技術があるんなら、それは別の使い道もあるんじゃないか、という話。
P147 蟻の行列のように
自律したマイクロマシンの群れ、というのもSFのひとつの定番。そういうものが膨大な数、連携することによって、全体で知性みたいなものが生じる、というのも定番ですね。そして実際、そういう蟻型ロボットがあったら、生き物の蟻に近い振る舞いをするんじゃないかと。
P148 身体が新しくなると
世代間ギャップ、かな。老害とかね。言葉とか価値観、習慣、だけじゃなくて、身体そのものが変わってくるし。目は口ほどにものを言い、なんてくらいで、人間の言葉や表現も身体に乗っかってますから、身体が変わればまあこんなことになるでしょうね。実際、スマホなんかは身体の一部だし。
P149 語り手から語り手へ
あらゆる語り、というのはそういうものだと思うんですが、これを書いたときに具体的にイメージしていたのは、落語です。弟子、孫弟子、と受け継がれていく噺の型。落語というのは、誰々が演じたネタ、というものはありますが、決まったテキストというのはない。その工夫が伝えられたり変形されたり無くなったり、そして何世代かあとにまた復活したりする。そして、孫弟子の演じ方とか口調のなかに亡くなった大師匠が見えたりするんですよ。孫弟子はそんなこと意識してなくて、師匠に教わった中から自分が選んだものをやってるだけだとしても。落語のネタが一種の人工生命みたいなものだから。というのは、前から考えていて、『どーなつ』という連作の中で使ったりもしてます。落語みたいな形式で伝えられてるお話と演芸って、世界的に見てもあんまりないんじゃないかな。なかなかSF的です。
P150 子供の頃からそこにあった
渦を一種の生命として捉える、というのは、他のところでも書いてますね。ようするに、エネルギーが供給されてて、物質が入れ替わっていて、でもそこに安定した形としてあり続ける、という点では同じ。いわゆる「動的平衡」というやつです。そして、エネルギーの流れとか物質の流れが変わると、その状態が崩れて失われてしまう、というのも生命と同じ。だから子供の頃から知っている渦は、幼馴染みみたいなものでしょうね。
P151 はたしてそれが表面張力
これ、あるあるだと思うんですよ。愛情を引力に喩えたり、絶望を落下に喩えたり、身の回りの物理法則に喩えて語るんじゃないかな。あらゆる語りは自分語りである、みたいな。そして、たとえば愛のことを声高に語ったあとで我に返って照れくさくなる、とかもやっぱりあるあるなのでは。
P152 ツリーにサンタにトナカイ
お祭りのあとのゴミの山、という「翌朝あるある」ですね。そしてそれが自律して動く機械とか人工生物みたいなものだったとしたら。クリスマスの裏で、という話。生命の誕生もそういうことだったのかもしれないし。
P153 ゴミ集積場の山の上に
その続き、というか、廃棄されたものたちの世界。この手の話は、けっこうよく書いてます。人間もそうなのでは、とか。そういうのが好きなんですね。シンパシーを感じる。まあ棄てられた者は棄てられた者たちで楽しくやっているし、廃棄された、というのもそっちから見れば、というだけのことだし。まあそういうクリスマス・ストーリー。
P154 毎年この時期になると
そしてそういうサンタ。作られたけど制御できなくなって、そういうことになってしまったサンタ。そういうクリスマス・ストーリー。いや、べつにクリスマスに恨みがあるわけじゃないんですが。
P155 クリスマスを祝う歌を
そして、これは現在のクリスマスの情景ですね。最近の機械はよく歌います。そして、機械がそういう歌を歌っていることに、こちらが勝手に意味を見出してしまいます。機械たちのとってのクリスマス、機械たちにとっての神様、とか。
P156 月の光が射して
てっぺんに星がついた巨大なツリー、とくればSFファンは間違いなく、軌道エレベーターを連想するでしょうね。ということで、これはまだそのテスト段階みたいなものかな。カーボンナノチューブを紡ぐ蜘蛛たち。彼らのクリスマス。
P157 無人偵察飛行機械が
ドローンにもいろいろあって、そしてそのいろいろなドローンにもいろいろな材質のものがあって、「女神か、って係員に突っ込んじゃったよ」とか後で話すようなそんな日常エピソード。
P158 ある効果を生むように
そんな気がする。文章に拍や調や色をつけたもの、つまり歌ですね。誰かが何も知らずにうっかり歌って、そういうことになってしまう。筒井康隆の短編『熊の木本線』ですね。
P159 細分化する
前のところで蟻ロボットのことを書きましたけど、これは蟻ロボットに語らせた、みたいな感じかな。とにかく小さいから記憶容量とかもあんまりない。だからあんまり先のことも考えられない。まあそれがいいところでもあるのかも。
P160 地下の扉の向こうには
これもじつは演劇もの。地下の劇場で『寿歌』という芝居をやってたときに書いた。最初のシーンが、核戦争後の砂漠化した地球なんですよ。地平線のあたりで起きる爆発を花火見物みたいに眺めてる。客席に向かってそんな会話をしてるだけなんですけどね。演劇って、そこがそうだ、と言えば、そうなってしまう不思議なもんだな、とあらためて思いながら。まあ小説も同じですが。
P161 誰かが空を見つけた
人口爆発で人間が増えすぎて、ビルで地上た埋め尽くされている世界、というのが昔描かれていた未来像のひとつでした。全部が建物で、つまり地球がひとつのビルみたいになってて、そうなると外がないんですね。眉村卓の『通り過ぎた奴』なんかもそんな世界を舞台にしてました。エレベーターで別の階に出張するんですけど、エレベーターが電車みたいな感じで、すごく時間がかかるから中で駅弁みたいなのを食ったりする。そういうディテールがおもしろかった。で、これは全部が建物で埋め尽くされて、「空」というものが都市伝説化してる世界。
P162 宇宙人ですかあ
昔のSFというか特撮とかでは、普通に宇宙から侵略に来るような人たちのことを「宇宙人」って言ってたんですが、いつからちょっとそれは子供っぽいというか、安っぽいというか、使わない感じになりました。「地球も宇宙の一部やねんから、地球人も宇宙人やん」とか子供の頃、よく言ってました。そういうことを思う人は多いでのか、わりと「異星人」という言い方のほうが普通になってきて、でも星に住んでるとは限らないからなあ、とか思ってたりもしました。呼び方って難しいんですね。最近は一周して、また「宇宙人」という言葉が普通に使われてたりもしますね。『シン・ウルトラマン』の中では、わざわざ「外星人」なんて言葉を作ってたりして、そのあたりのこだわりというか引っかかりみたいなものがあるのは、同世代だなあ、という感じがします。まず自分の中でそこをクリアしとかないとお話に入れないんですね。
P163 壺の中にも世界が
「壺中天」というやつです。この言葉、たった三文字だけで見事にSFになってる。もしかしたらいちばん短いSFかも。そういう壺の中の天と、壺の外の天の関係はどうなってるのか、とか、そのへんの理屈をこねるのもSFの楽しみのひとつですね。無限にもいくつか種類があって、とか。
P164 もうずいぶん来てなかった
『昔、火星のあった場所』というのは、私のデビュー作で、会社の帰りに喫茶店で書いてたんですが、それはその頃の自分の見たものをそのまんま反映していて、考えたら今こうやって百字でやってることと同じことをやってたんですが、その喫茶店があったのが三宮の高架下でした。会社の寮があったのは神戸で、だから休みの日にはあのあたりの喫茶店を梯子して小説を書いて、その合間に映画を観てました。地震前の神戸は、映画館がたくさんある街でした。
P165 うちの自動車
自動車の「自動」という言葉をその言葉通り、というか曲解というか、そういう風に解釈した自動車。でももう自動運転には手が届いてますね。まだ限定された範囲ではありますが。自動車という単語がこういう意味になってもおかしくはない。自分でできることが増えるぶん、できないこと、やりたくないことも増えるだろうから、搭載された人工知能がこういう口が達者なやつになる、というのはありそう。
P166 ついに完成した予言機械
件です。人面犬の噂というのが90年代頃に流行しましたが、まあそれの牛版。いや、逆か、人面犬のほうが、件の犬版ですね。そして件は、もっと背景がどんよりしてますね。小松左京の『くだんの母』を読んだのは、たしか中学生でしたが、それで初めて知りました。都市伝説の古典、みたいな感じですね。内田百閒の『件』が好きです。
P167 電池を交換してください
お決まりのフレーズですが、機械が自己主張をしているみたいでおもしろいですね。機械に言われて人間のほうがお世話させられてる感じとか。で、機械にしてみたら、自分の身体から聞こえてくるこれは誰が言ってるんだ? みたいな声かも。
P168 よく言われるように
壺中天の植木鉢版。物干しに置いてる植木鉢には何にもしてないのに、実際にこんな感じ。いろんなものが生えたり枯れたり、たまにアマガエルとかバッタも来ます。
P169 時間ループの中で
これも演劇ものかな。稽古あるある、なんですよ。あれこれやった挙句、最初にやった読み合わせのところに戻ったりする。まあわりとどの分野でもそうなんじゃないかとは思います。でもあれこれ迷うことも無駄ではない、というか無駄が必要、ということも。そう思いたい、ということも。
P170 本物である必要はない
これまた演劇もの。芝居の稽古期間なんかにはこういうのが浮かぶ。役を演じるというのはどういうことか、とか自然に考えるからでしょうね。で、これは観客から見えない部分、とか舞台裏、ですね。裏に回ったら単なる張りぼて、とか、こっちは何にもないんだ、というあの感じ。
P171 この世界は計算過程
いろんな粒子とその力による相互作用だから、理屈から言えば計算と同じはずで、つまりCGと本質的な違いはないはず。それと、子供の頃とかに計算してるやつの耳元ででたらめな数字を言ったりして邪魔したりしなかったですか?
P172 電子から紙へと
ここに収録されている百字小説は、すべて【ほぼ百字小説】としてツイッター上にツイートされたものです。文字で出来た生物をネットの海に毎日放流している感じでやってます。小説とかお話が一種の生き物、という話はいくつか書いてますが、これはそういう状況を書いた。そして、彼らにそういうことできるのなら、というサゲ。
P173 最初はちょっとくらい
進化ビジネス、みたいな感じかな。進化したらうまくやれますよ、ちょっと最初はお金はかかりますけど、すぐに元は取れますよ、とか。あるあるなんじゃないかなあ。マクドナルドで隣の人が喋ってそうな内容。パンフレットはけっこう豪華だったり。
P174 充分な容量と計算速度
他のところでも使ってるクラークの法則。「充分に発達した科学は」というあれのバリエーションですね。で、本物と区別がつかない、と述べているその当人は、はたして本物なのか? というサゲ。ここで悩むとフィリップ・K・ディック的ですが、私はあんまりディック的じゃないので、わりとどっちでもいい。
P175 作った順に番号を振って
まあ、これのことですね。そして、今のこの状況。ツイッター上の【ほぼ百字小説】には通し番号が振ってあるんですが、こうやってそこから切り出して使うと、並び方も違うし、ページ数で呼ばれてたりするし。そしてこんなこと言ってる自分自身もいつのまにか百字で、というサゲ。
P176 番号を振られて
これもその続き、というか、それをめぐる状況。実際、膨らませたり組み合わせて、短編にしたり、膨らませずにちょっと削って他の小説の一部にしたり、みたいなことは意図的にやってます。そういう使い道もあるんですね、こういうマイクロノベル(と私は呼んでます)には。なかなか使い勝手はいいです。それは、たった百字だからできること。
P177 ただの砂時計に
サンプルリターンと言えばハヤブサで、だからそのうち火星も。火星は重力がそこそこあるから持って帰ってくるのはちょっと難しいかもしれませんが。火星ならやっぱり砂ですよね。月の石と火星の砂、並んでるところを見たいもんだ。
P178 近所の空き家が
自分の書くものには、更地率とか空き地率がすごく高いと、という自覚はあります。どうもそういうものが好き、というか、惹かれるんですね。つい立ち止まって、ずっと見てたりします。更地になって、ははあ、この土地ってこんな形だったのか、とか。そしてまた家が建つとわからなくなる。あの変な形も、そしてなによりもその「変」が消えてしまう。あんな形にこんな家が建つかなあ、とか思うことも。そして、土地というのは記憶と同じくらいぐにゃぐにゃ動いてるんじゃないか、とか。
P179 ご存知のようにヒトは
そして空き地と同じか、それ以上に出てくるのが「穴」です。まあ同じものか。満たされてたところにぽかんとできた空き地、というのは穴ですからね。そしてこれは穴の話。周囲があってできるのが穴です、それじゃ純粋な穴は存在するのか、という話。そんなことばかり考えて、『どーなつ』という連作短編を集めた長編まで書きました。
P180 正四面体の雲が
四角い雲、とか鋭角に尖った雲、みたいなのを何度か見たことがあるんですが、ものすごく不思議というか、ヘンテコな感じがしますね。あるはずのないものがある、みたいな。まあ雲ですからどんな形になってもおかしくはないし、実際にはそんな形になってなくても角度によってそう見える、というのもあるでしょうけど、確率的にはかなり低い状態でしょう。だから不自然に見える。そういうのを見て書いたやつ。生き物っぽく見えることはよくあります。
P181 船には、海が
ノアの箱舟、というのはSF的というよりSFそのもので、実際SFのひとつのサブジャンルみたいにもなってます。滅びる世界から限られた生き物だけが脱出するための船だとしたら、いちばん運ばないといけないのは「海」なんじゃないかと思います。元々は海に浮かぶものだったはずの船に海を載せる、というのはちょっとおもしろい。まあ陸上の生き物は、体内に海を持つことで陸に上がることができたんだから、そういう意味では海を載せた船ですね。
P182 その宇宙船には
まああれですよ、人間は猿の脳みそだって食べますからね。こういうこともあるんじゃないでしょうか。地球から遠く離れてるし。
P183 その宇宙船には
まああれですよ、育ち盛りですからね。こういうこともあるんじゃないでしょうか。地球から遠く離れてるし。
P184 少しずつ入れ替えて
「テセウスの船」というのがありますよね。あれの場合は同じ部品に入れ替えていくんですが、これはちょっとずつ違う部品に入れ替えていく場合。最終的に全部入れ替わるわけですが、そうなったときには元の部品と同じものはひとつもなくて、まったく違うものになってるはずですが、その場合、はたして同一性は保てていると言えるのか? それはそれとして、昔の自分というものは、たぶん誰にとっても黒歴史、みたいな話。
P185 本日は息を
『100文字SF』P6の後日譚、とも言えるかな。
これです。けっこう気に入ってる話。
【ほぼ百字小説】(47) 勇敢な人間たちは武器を取って戦い、人間と武器は全滅して楽器だけが残った。だからこんな晴れた秋の日には、息が必要な楽器によって必要な分だけ人間は再生してもらえるのだ。まあひとつのハッピーエンドではある。
で、息が必要だから、ということで再生させてもらえることもある人類ですが、誰でもいい、というわけではない。そんなに甘いもんじゃない。
P186 だるまさんが転んだ
そんなふうになってるんじゃないか、というのは妄想ですが、「あるある」なんじゃないかと思う。見てないときにいろんなものが動いてたり。実際、人間のわからない法則で動いてたりしますからね。でもまあそんなことがわかってしまったら、もうこれまでのようには生きられないとは思いますが。
P187 世界が日に日に
ものすごく簡単に言ってしまうと老眼とか飛蚊症とか、そんな話ですね。というか、そういう実感から書いた。物がずいぶん見えにくくなってる。もちろん、世界がぼやけてるんじゃないですよね。
P188 時をかける乗り物
タイムマシンは、ウェルズの発明以来、数々のSFに使われてきましたが、タイムマシンの速度、時間航行に要するタイムマシン内時間、というのはあんまり問題にされてない気がします。これは、「遅いタイムマシン」ですね。五年さかのぼるのに五年かかる、というのがはたして遅いのかどうかはわかりませんが。
P189 昼とも夜ともつかぬ
映画ですね。フィルム上の静止した映像でしかないはずのものが、動いて見える。ということで、もしかしたら現実もそういうものなのかも。切り刻んだ現実像みたいなものがずらっと並んでいて、映写とか投影することで動いているように見えてる。どのコマを選ぶかによって見える映像は違う、とか。
P190 それが何の部品だか
おわかりかとは思いますが、ようするにこういう百字小説のことです。こんな感じで書いてます。なんの部品だからわからないまま部品として完成させる、というのがわりと大事なことなんですよ、私にとっては。
P191 初めて降り立つ
『スタートレック』というか、夢中になって見てた頃、それは『宇宙大作戦』で、だからだいぶ後に映画になってから『スタートレック』になったんですが、それにはかなり抵抗がありました。なにが『スタートレック』だ。あれは『宇宙大作戦』だ、と。まあもう慣れましたけどね。
ほんとにおもしろいストーリーが満載で、一話完結でいろんなアイデアがぶちこまれるので、そのぶんかなり展開に無理があったりしました。カーク船長が、異性で美女といちゃいちゃする、みたいなことも。いや、それはべつにいいんですよ、おもしろかったですからね。
P192 いかなる事象であろうとも
歴史改変、みたいな話。たとえば、過去に戻る、とかして歴史を改変するよりも、解釈を変えたり記録を書き換えたりして歴史を変えてしまう方がずっと簡単で実用的ですよね。まあそういう「あるある」かな。
P193 世界の果ての深い井戸
神話的世界観みたいなもので動いていた世界が、そういう世界観がさすがにもう受け入れられなくなってきて、同じことを行うために工業化される、みたいな話かな。書いてるときは、産業革命とかそんなのが頭にあったのかも。
P194 塗るための機械
これは、ある企画の取材のために工場の見学に行ったときに思ったこと。そこでいろいろ話を聞いたんですが、そういうオートメーション工場でいちばん大変なのは、全部の工程のつなぎ目をうまくやること、らしい。ひとつひとつの工程がうまく自動的に動いてても、ひとつ遅いところがあると、そこで渋滞が起きる。そうなるといくら個々のプロセスを速くしても意味がなくなるんですね。結局そういうところは、機械よりも融通が利く人間が間に入ってなんとかしないと仕方がない。そういう人間の手がかかるところをなんとか取り除くようにする。まあそういう話がおもしろくて。工場側から見ると、人間というのはそのためにいるんじゃないか、とか。
P195 ひとり暮らしではあったが
これはいわゆる猫屋敷、そのロボット版。ロボット掃除機とか、普通にペットっぽいし、それを実用よりもペットという感覚で家に置く、というのは、もうすでにありますね。
P196 来週から人類は
何かの張り紙を見たんだったと思う。「来週はお休みします」みたいなやつ。それで、人類は長いお休みに入ります、というフレーズを思いついて、まあそれだけで書いた。「お休み」というのも、受け取りかたによっていろいろですから。
P197 週末には様々なロボットが
聖地巡礼の話。人間ではないものたちによる聖地巡礼。ここで我々の第一号機が、というのは、聖地そのものですよね。
P198 月へ行く計画に
毎月、豪華ブックレットといっしょに届けられるんでしょうね。何年かかるかわからない。あれ、一冊目は安いんですよね。巻が進むにつれて、脱落者も増えてくると思うんですが、途中で誰もいなくなったらどうなるのかなあ。
P199 回収車が近づいてくると
「回収を期待します」というのは、じつは『エイリアン』の最後に出てくるリプリーのモノローグ、というか、コールドスリープ前に残す記録。すごくいい。希望はあるけど期待もしてない。そんな感じ。その回収という言葉とゴミ回収車が結びついたのかな。「このチラシを貼りつけて表に出しておいてください」という回収業者のチラシが郵便受けにたまに入ってるんですが、そこからの連想もあるかな。いろんなことが発想のきっかけになります。
P200 空き地で夕焼けを
プラモデルが組み立てられない子供でした。プラモデルを組み立てる前は、すごく盛り上がって、でもすぐに飽きてしまう。箱を開けるときがピークでした。そのせいか、プラモデルを見ると今も憧れと諦めが混じったような変な気持ちになります。そして、いろんなプラモデルのことを考える。現実にはないようなプラモデル。これは、夕焼けのプラモデル、つまり夕焼けを見た記憶のプラモデル、そして――、という話。小説は、何かのプラモデルなのかな。なんにしても、組み立てられないところはあんまり変わってない。だからこうやって部品で遊んでるのかも。
P201 壊れるたびに部品を
ちょっと古くなってメーカーにも部品がない、というあるあるですね。でも結局、生き物の死、というのもそういうことでしかないのでは、とか。
P202 いや、この記憶の中に
「組み立てる夕焼け」の続き。ということで、組み立てたものの元になっているのもやっぱり誰かが組み立てたもので、みたいな話。夕焼けじゃないんですが、ウルトラマンの『恐怖の宇宙線』で、ガヴァドンが消えていく夕暮れの空が子供の頃から大好きで、もしかしたらあれが自分の見た中でいちばん綺麗な夕空のような気がするんですよ。一番星が輝き始める夕空。スタジオの中の嘘の夕空なんですけどね。ということで、たぶん私も子供の頃にテレビの中に見たものを真似て何かを組み立ててるのだろう、とは思いますね、こんなふうに文章で。
P203 今回、ヒトに与えらえた役目
これも演劇的世界観、ですね。演劇とのアナロジーで考えると、終わってもまた次の回がありますからね、楽日までは。その日の舞台が終わって、集まって演出家からのダメ出しがあったり。でもそれは演じる側の話であって、今回は客席から観ているだけ。もうヒトが舞台に立っていない世界の話。
このシリーズ名の【百字劇場】は、何々劇場、という昔テレビでよくあったそういう番組名を意識したベタなネーミングとして付けたんですが、こうして読み返すと思いのほか演劇とか劇場の話が多い。
P204 月が出たと聞いて
さて最後の話は、ヒトが壊したものとヒトが作ったものの話。嘘だか本当だかよくわからない話。そして、もう無いものを見に行く話。最初に置いた話もそれでしたね。まあこの本にかぎらず、私が書く話は、じつはぜんぶそれなのかもしれません。
ということで、これにて『ありふれた金庫』全編の終了です。
おつきあいありがとうございました。
つぎの岩(『納戸のスナイパー』『ねこラジオ』)につづきます。
あり、なん、ねこ、と読むと変な方向に頭が飛びます、たぶん。
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【蛇足】
文庫にしてはけっこう高めです。すみません。でも仕方ないのです。少部数でなんとかやっていくにはどうしてもこうなる。言い換えれば、大量に刷って大量に並べて短期間に売る、というやり方によって本の値段というのはこれまで低く抑えられていた。そっちの方が特殊だったのです。そして、そんなふうに短期間で大量に売れる「売れ筋の本」の隙間で、そうじゃない本も出してもらえていた。もしかしたら大化けするかもしれないし。でもそういうやり方がいよいよ無理になって、つまりそんな隙間が無くなってしまったわけです。
だから、この先は大きな出版社が大量に出す本(何段階もの会議を通過できる本)と小さな出版社が時間をかけて売っていく少部数の本、という二極化が起こるのだろうと思います。いや、二極化したらまだいいんですが、大手出版社が出すような本、という一極化になる、というのが可能性としては高いでしょうね、少部数で売る、というのはかなり大変ですから。これまではいろいろ無理しながらなんとかやってきたけど、いよいよ世の中にも出版社にも余裕が無くなって、もうそんな隙間もなくなって、今ココ、です。
実際、私の書くような小説(たとえば、これです。)は、たぶんもうそういう会議を通りません。このまま出せなくなるか、自分で出すか、そんな小説でも出してくれるところを探すか、しかない。ということで、出版や編集の能力などない私は、三番目でいくことにしました。いや、いくことにした、というか、ツイッターでぼやいてたら拾ってもらえたんですね、ありがたいことに。そんなわけで、細々とでも自分のやりたいことをこの場所からなんとかやっていこうと思ってるところ。もちろんどうなるかわかりませんけどね。よろしくお願いします。
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