ニーチェの霊性 巨大な岩のほとりで霊感を受ける肉体
ニーチェは、森の中で霊感を受けました。興味深いことに、彼は「ピラミッド型にそそり立つ巨大な岩のほとり」で霊感を受けたのです。太陽、巨木、巨石などの自然を神として崇めていた古代人を彷彿とさせます。その霊感の内容は「永遠回帰」でしたが、それもまた太陽と密接に関連しています。
ニーチェの霊感は、学者のように頭脳で閃くものとは異なり、肉体で受けるインスピレーションでした。彼は、古代人のような霊性を持った存在でした。肉体や運動だけでなく、よく眠り、よく笑うことも霊感を受ける大切な要素でした。
ニーチェは、埃まみれの書斎に座って過去の遺物を綿密に調べる学者を「観照者」や「墓掘り人」と罵り、座り込んでいることを「聖霊に対する罪」であるとしています。また、彼らの思想は信頼できないとも述べています。
ニーチェのような霊感を受けたいなら、文献学者のように書斎に引きこもっていてはいけません。外に出て、森や山を歩き、筋肉を使い、太陽や巨木や巨石に触れる必要があります。古代人が持っていた霊性を呼び覚まさなければなりません。
───────────
さていよいよ『ツァラトゥストラ』の歴史を物語ることになる。この作品の根本着想、すなわち永劫回帰思想、およそ到達しうるかぎりの最高のこの肯定の方式は 、 一八八一年八月に誕生したものである。
それは一枚の紙片に走り書きされ、「人間と時間を越えること六千フィートのところ」と添え書きされている。
あの日、わたしは、シルヴァプラーナの湖畔の森を散歩していた。ズルライ村からほど遠からぬところにある、ピラミッド型にそそり立つ巨大な岩のほとりにわたしは立ちどまった。そのときこの思想がわたしに到り着いたのだ。
ニーチェ『この人を見よ』「ツァラトゥストラ1」手塚富雄訳、岩波文庫、Kindle版。
───────────
わたしの場合、創作力がもっとも豊かに湧き出るときに、筋肉の軽快さがいつも最高になった。肉体が霊感をうけるのだ。「魂」などは放っておこう──いくどか、わたしの踊っている姿も見られたはずだ。
そのころわたしはまるで疲労知らずで、七、八時間、山の中を歩きまわったものだ。よく眠り、よく笑った──、わたしは、完全な頑健さと忍耐をそなえていた。
ニーチェ『この人を見よ』「ツァラトゥストラ4」手塚富雄訳、岩波文庫、Kindle版。
───────────
「座っていなければ、ひとは考えることも書くこともできない」 ( G・フロベール)。──これでおまえの素性を捕まえた、ニヒリストよ!
座り込んでいるのは、聖霊に対する罪である。歩いて身に着けた思想だけが価値をもつ。
ニーチェ『偶像のたそがれ』「箴言と矢34」村井則夫訳、河出文庫。
───────────
できるだけ腰をおろしていることを少なくすること。戸外で自由に運動しながら生まれたのでないような思想──筋肉も祝祭に参加していないような思想は、信頼せぬこと。
ニーチェ『この人を見よ』「なぜわたしはこんなに利発なのか1」手塚富雄訳、岩波文庫、Kindle版。
───────────
──私は、彼らの墓掘り人を、綿密に調べる研究者と呼んだ。──私はそう言葉を取り替えることを学んだ。墓掘り人は、墓を掘っているうちに病気にかかる。古い瓦礫の下には、毒気がこもっている。泥沼を掘り起こすべきではない。山上で暮らすべきなのだ。
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』「帰郷」森一郎訳、講談社学術文庫、Kindle版。
───────────
多くを、そして多種類を読むのは、わたしの流儀でないらしい。書斎などというものは、わたしを病気にしてしまう。多くを、そして多種類を愛するのも、わたしの流儀ではない。
ニーチェ『この人を見よ』「なぜわたしはこんなにも利発なのか3」手塚富雄訳、岩波文庫、Kindle版。
───────────
わたしは自分自身の思想のためにあまりにも熱をおびてきて、身を焼かれるのだ。そのためわたしは、しばしば呼吸さえ奪われそうになる。そのときわたしは埃まみれの部屋を捨てて、大気のなかへ出なければならない。
しかし学者たちは冷ややかな日陰に冷ややかにすわっている。かれらは何事につけ、ただ観照者であろうとする。そして太陽が灼くように照りつける階段に降り立つことを避ける。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「学者」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。
───────────
わたしはさすらいびとであり、登高者である、とかれは自分の心にむかって言った。わたしは平地を愛さない。わたしはいつまでも静かにすわっていることができないらしい。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「さすらいびと」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。
───────────
わたしは愛する、自由と、みずみずしい大地の上にある大気を。学者の名誉と威厳の上より、牛の皮の上に寝たほうがいい。
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』「学者について」佐々木中訳、河出文庫、Kindle版。
───────────
「それ以上しゃべらないでください。あなたは快復しつつあるのですから」と、動物たちは応じて言った。「むしろ、外に出ることです。外では、世界があなたを待っていますよ、庭園のように。
外に出て、バラとミツバチとハトの群れのところへ行ってごらんなさい。とりわけ、歌う鳥たちのもとへ。鳥たちから、歌うことを学びとるために。
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』「恢復しつつある人」森一郎訳、講談社学術文庫、Kindle版。
───────────
先に述べたように、人間にとっては電気よりも光が重要なファクターとなる。一般的に、人間は太古から闇を恐れ、光を崇めていたとされる。
約一八〇〇年前に書かれたとされるヨハネによる福音書でも、光崇拝の傾向が見られる。太陽系で進化した生物である以上、光崇拝が遺伝子に書かれた情報であることは否めないだろう。
苫米地英人『洗脳原論』春秋社、Kindle版。