唯麗(ユウリ)

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ニーチェと仏教とグノーシス主義 タロットの世界観と目指すべき場所

①タロットの目的タロットの世界観

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    • 戦争の歴史 性善説と悪魔的存在

      この世界には、見た目は人の姿をしていながらも、その中身は悪魔のような者が存在しています。戦争を引き起こし、他人のものを奪う者たちは、その典型です。通常の人間は、たとえ憎しみを抱いたとしても、人を殺したり、欲望に駆られて盗みを働いたりはしません。 大多数の人間は本来、平和を好む性質を持っています。しかし、極めて少数の暴力的な人間がリーダーとなることで、侵略や戦争が引き起こされます。私が思うに、彼らは見た目こそ人間ですが、実際には人間とは異なる存在ではないかと感じています。

      • 日本の歴史における支配と闘争の始まり

        日本の歴史を振り返ると、『古事記』に描かれる神話の時代から権力闘争が繰り広げられてきたことが明らかです。縄文時代は1万年以上にわたり平和が続いたとされていますが、天照大神と素戔嗚尊の登場以降、争いと支配の歴史が始まります。神々がもたらしたこの変化は、日本に新たな秩序と支配構造を導入したとも言えるでしょう。 出雲の国譲り、神武東征、ヤマトタケルの東征、さらには征夷大将軍の遠征など、古代から繰り返された征服の歴史は、もともとその地に暮らしていた人々にとって大きな迷惑だったはずで

        • 『古事記』と日本史教科書の共通点 無意識へのメッセージ

          国の歴史は権力者の都合の良いように書かれることがよくあります。では、日本の権力者は誰でしょうか?天皇でしょうか、それとも戦勝国のアメリカでしょうか? 『古事記』は天武天皇の命令で編纂され、天皇家の正統性を確立し、その血統の神聖さを強調することを目的としています。編纂は太安万侶が中心となって行われましたが、背後には当時の権力者である藤原不比等の影響があったとされています。 興味深いことに、『古事記』には日本の象徴である富士山の記述が一切登場しません。これは富士信仰が藤原家に

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        • ニーチェ霊解
          68本
        • 孤独なあなたへ
          3本
        • タロットの目的
          5本
        • 高貴な魂と身体
          5本
        • コーチング完全解明 無限の可能性を引き出す秘密の方法
          7本
        • タロット霊解 古代の叡智による魂の覚醒
          7本

        記事

          日本史の教科書の読み方 編集者の意図を考える

          日本には、『古事記』『六国史』『風土記』『万葉集』『源氏物語』や各寺社に伝わる記録、豪族や貴族、武家の子孫に残された記録、さらには文書以外の遺物など、膨大な資料が存在しますが、わずか500ページほどの日本史の教科書には、日本のすべての歴史を載せることは不可能です。 そのため、教科書は載せる歴史を厳選せざるを得ません。日本史の教科書を読むと、天皇とその周囲の人物を中心に編纂・編集されていることがわかります。 例えば、蘇我氏、藤原氏、平氏、源氏、北条氏、足利氏、徳川氏といった

          日本史の教科書の読み方 編集者の意図を考える

          歴史を学ぶ意味と目的

          「645年に乙巳の変が起こり、それをきっかけに大化の改新という政治改革が始まった」といった年号や出来事を覚えることが、歴史を学ぶことではありません。 膨大な記録を覚えることは基本的に重要ですが、記録を残した人々の視点や意図を解釈し、無数の記録を関連づけ、統合していくこと、つまり歴史を創造することが歴史を学ぶ目的なのです。歴史は固定したものではなく、解釈者によって変化するものです。学会の定説にとらわれてはいけません。 また、歴史、つまり人間の思考と行動の記録を通して人間を知

          歴史を学ぶ意味と目的

          日本人の性質 験担ぎとイベント好きの国民性

          日本人は神社やお寺が好きですが、それは篤い信仰心を持っているからではなく、「験担ぎ」が好きな国民性によるものです。 神社やお寺で手を合わせても、何が祀られているかを知っている人はほとんどいません。合格祈願、必勝祈願、恋愛成就など、「験担ぎ」のために神仏に祈っているのです。 「験担ぎ」だけでなく、「イベント好き」な一面もあります。バレンタイン、ハロウィン、クリスマスといった海外のイベントも取り入れて盛り上がります。歴史的背景はさほど重要ではなく、楽しめれば良いという国民性が

          日本人の性質 験担ぎとイベント好きの国民性

          歴史を学ぶ意味 アイデンティティと人間理解の探求

          歴史を学ぶ意味や目的は、知的好奇心を満たすことにとどまらず、究極的にはアイデンティティを構築することにあります。特に日本史を学ぶことで、「日本人とは何か」という問いが生まれ、それがやがて「人間とは何か」「自分とは何か」という深い問いへとつながっていきます。 歴史の教科書は、どんな哲学書よりも「人間とは何か」という問いに向き合うための貴重な素材を提供してくれます。人間とは、戦争ばかりする野蛮な存在とも言えますし、一方で素晴らしい文化を創造する芸術家でもあります。歴史の見方によ

          歴史を学ぶ意味 アイデンティティと人間理解の探求

          アニミズムと汎神論による霊的エネルギーへの回帰 人格神を超えた自然との共鳴

          日本の神々は、キリスト教における全知全能の人格神とは異なり、自然そのものの力が神とされています。日本人の祈りは、人格神への対話的なものではなく、自然の力を感じる行為であり、そこには言葉や思考が必要ありません。 古代の日本信仰はアニミズムに根ざしており、山や巨木、巨石といった自然の存在に霊的な力を感じ、畏れ敬うものでした。時代の流れとともに、これらの自然の力は擬人化され、太陽は天照大神、月は月読命、海は素戔嗚尊といった人格神が生まれました。しかし、私は、人格神の出現が信仰を複

          アニミズムと汎神論による霊的エネルギーへの回帰 人格神を超えた自然との共鳴

          GHQと日本の「沼地」 日本化と禊と祓による脱洗脳

          陰謀論でしばしば取り上げられるGHQについて、日本がその占領政策により徹底的に弱体化されたと言われることがありますが、果たして日本人は本当にそれほど愚かだったのでしょうか?日本人は表面上は従順に見せかけながらも、内心で反発する「面従腹背」が得意な民族です。GHQの命令に従うふりをしつつ、むしろそれを逆手に取り、日本に有利な形で活用していたのではないかと考えられます。 また、日本に一神教が根付かなかった背景には、命令や強制を嫌う日本人の特質が関係しています。たとえGHQが多く

          GHQと日本の「沼地」 日本化と禊と祓による脱洗脳

          人格を持つ精霊と非人格的な神 アニミズムと汎神論の違い

          アニミズムにおける精霊は、多くの場合、人格を持つと考えられています。自然界のあらゆる存在(動物、植物、岩、川、風など)にはそれぞれ独自の霊的存在や精霊が宿っており、それらは人間と同様に意志や感情を持つとされます。 精霊は自然の出来事に対して反応し、怒りや喜びといった感情を示すこともあり、例えば山の精霊が怒ると天候が荒れたり、川の精霊が怒ると洪水が起こると考えられています。 また、精霊は人間と対話できる存在でもあり、シャーマンや祭司といった霊的指導者が儀式や祈りを通じて交流

          人格を持つ精霊と非人格的な神 アニミズムと汎神論の違い

          スピノザ哲学における影響

          スピノザの哲学は、多くの思想家や哲学者からの影響を受けつつも、彼自身の独自の一元論と汎神論へと発展しました。以下は、その主要な影響を与えた思想家たちについてです。 1.デカルト スピノザはデカルトの形而上学や自然哲学に深い影響を受けましたが、特にデカルトの「物質と精神の二元論」に対して強い異議を唱えました。スピノザは「神即自然」という一元論的立場を採り、神と自然を一体化しました。さらに、デカルトが心と体を別の実体と見なしたのに対し、スピノザは「心身平行論」を提唱し、心と体は

          スピノザ哲学における影響

          汎神論者の代表スピノザ

          スピノザが汎神論の代表的な哲学者とされるのは、彼が神と自然を同一視する「神即自然」の思想を『倫理学』において論理的かつ体系的に展開したことにあります。この著作により、汎神論の概念が明確に定義され、理解が容易になりました。 彼の哲学は死後も啓蒙時代の思想家や近代の哲学者に強い影響を与え、汎神論的な視点が広く知られるようになりました。また、革新的な思想ゆえに多くの批判や論争を引き起こし、彼の哲学は注目を集め、研究対象としての位置を確立しました。 スピノザ以前にも汎神論的な要素

          汎神論者の代表スピノザ

          古代から現代における汎神論者

          汎神論的な思想を持っていたとされる人物には、以下のような人々がいます。彼らは、神と自然、あるいは宇宙全体を同一視するような考え方を持っていました。 ヘラクレイトス ヘラクレイトスは、宇宙の本質を「ロゴス」(理法、秩序ある原理)と捉え、万物は絶えず変化しながらもその背後に一貫した理法があると考えました。この「ロゴス」は全てを貫く普遍的な原理であり、宇宙そのものと神が一体であるかのような考え方を示唆しています。ヘラクレイトスの思想には、汎神論的要素が見られます。 ストア派の哲

          古代から現代における汎神論者

          ジョン・トーランドの汎神論 スピノザの影響と政治的自由の展開

          ジョン・トーランド(John Toland)は、1705年の著作『Socinianism Truly Stated』において「汎神論(Pantheism)」という言葉を初めて使用し、自然や宇宙全体を神と同一視する思想を説明しました。 この汎神論は、神を自然に内在する非人格的存在と捉え、従来のキリスト教的な超越的人格神の概念に対抗するものであり、バールーフ・スピノザの「神即自然」に強く影響を受けています。 トーランドは、スピノザの概念を受け継ぎつつも、神や宗教の理解を合理的

          ジョン・トーランドの汎神論 スピノザの影響と政治的自由の展開

          汎神論における「神」

          汎神論者は一般的に「神」という言葉を使用する際に、人格的な神を含めることはありません。汎神論では、神は自然そのものや宇宙の全体性と同一視されるため、個別の人格や意志を持つ神とは異なります。 汎神論の神は、個別の人格を持たず、意志や感情を持つものではありません。神は自然や宇宙の本質そのものであり、個別の存在としての人格を超越しています。 汎神論では、神は宇宙全体や自然界と一体であり、全体の秩序や法則を代表するものとして理解されます。個々の神格や人格を持つ神とは異なります。

          汎神論における「神」