推し、燃ゆ
昨日、宇佐美りんさん作の「推し、燃ゆ」を読み始めました。数日にかけて読むつもりだったのが、ぐんぐん惹きつけられて、1時間程度で読了してしまいました。
あらすじの次に感想を書こうと思うので、今後読む予定のある方は閉じてください。
【あらすじ】
主人公は女子高校生のあかり。男性アイドルを推し、CDをたくさん買い、配信も欠かさず見る。推し活のためにたくさんバイトを入れる。ブログで推しの出来事やその感想を細かく読者に伝えて、多くのヲタクの共感を得る。いわゆるドルヲタのかがみです。
※なぜかアニメオタクはアニオタ、アイドルオタクはドルヲタと表現されることが多いので、合わせてみました。
ただ、家族が「あかりは何もできない」というように、あかり自身も勉強ができないこと、バイトで臨機応変な対応ができなかったり店のルールを覚えづらかったりすること、部屋の片付けが全然できないことなど、生きづらさを感じる描写が随所にあります。そんなあかりにとって推すことは生きることすべて。
そんな推しが炎上するところからこの小説は始まるのですが、途中であかりの友人から友人の推しと繋がった報告を受けたり、終盤では推しのいるグループが解散してしまったりと、ただ推しを推してキラキラ輝いていたあかりの青春に残酷な現実が影を落とし始めます。
そして、特筆すべきはあかりと家族の間の大きな隔たり。
母からの理解が乏しく、存在価値を認めてもらえない。姉からは同情めいた声かけをされることもありどこか諦められている。祖母は中盤で亡くなってしまう。父はあかりの就活に対して理路整然と話すが、どこか温かみがない。
※ただ、実はこの父は女性声優に熱心にリプを送ることもあかりは知っているという凸凹。
最後は推しのグループが解散してしまうことが分かり、卒業ライブに全力で参戦し、グッズもいつもよりたくさん買ったあかり。いざ卒業ライブが終わると気力を失い、ぼんやり過ごして朝になり、なぜかネットで噂になった推しが今住んでいるとされているマンションに到着してしまう。そこで、改めて「推しは人になった」ことを痛感し、部屋に帰り、現実と向き合うのです。
【感想】
芥川賞受賞作であること、そして「推し」についての小説であることから読みたいと思っていました。自分自身が声優やアイドルを推す経験をした身でまず最初の感想としては、「推しを推せることは永遠ではない」という当たり前のこと。そして「推し活に人生の多くを捧げることは生きる上で危険である」ということ。
推しを推すことは、とても楽しいことです。でも、推しは推しであるけれど一人の人間なので、そのうち活動に終わりがくるものだと思うべき。一方で交友関係や職場での人間関係、家族との関わりには終わりは(転職でもしない限り)ないわけで、現実も大切にしないと生涯生きていけないぞ、と言われている気分になりました。
あかりの場合、きっと暫くしたら新しい推しができるでしょう。今回炎上してしまった推しと同じくらいの熱量で推すのか、それとも一度「推しが人になった」経験を経て緩やかに推すのかは分かりません。ただ、これからも推しを推すことはあかりの生きる意味において重要な要素になるだろうし、あかりの生きる意味の大きな部分を占めるのかもしれません。
リアルでも私を含めて、程度の差はあれ推し活をして推しに人生を豊かにしてもらっている人はそれなりにいるんだなぁと改めて思いました。個人的に現代社会を生き抜く上で、人生を推し活に全振りしてなければ、推しがいることは良いことだと思っています。推し、ありがたい。いつでも推しの健康を切に願っています。笑
この本には小説によくある、最後の解説がありません。個人個人の解釈でいいということなんだろうなと思いました。私は最後綿棒を拾うシーンが一番好きです。綿棒と骨。拾う。人の生死。いろんなことをふり返り、考えさせられる一冊でした。
長文失礼しました。
「推し、燃ゆ」
何かを推している人もそうでない人も皆に読んでほしい一冊。