【前衛小説】 蝸牛 Cochlea 001
私は言葉なんて信じないわ。信じられないの。言葉は嘘の道具よ。欺瞞や策略のためではなくてもね。
どういうこと。
私はもう騙されるのにうんざりしてるの。他人のことを分かったような気になって、勝手に裏切られた気分になるのが嫌なのよ。
他人はあなたを裏切るの。
もう嫌なの。嫌いなの。顔も声も言葉も、何もかも嫌いなの。
それはあなたのことでしょう。違う?
あなたの言いたいことは分かるわ。私が世間知らずって言いたいのでしょ。私は理解しようとしたわ。出来なかったけれど。誰が悪いの?私が悪いのよ。もう何でもいいわよ。私には他人の言いたいことが分かるの。だけど他人の気持ちは少しもわからない。だから返事は上手いわよ。人付き合いは駄目だけれど。
何が言いたいの。
言いたいことなんてないわよ。あなたが言ったのでしょう。私に話せと。話さなければ、ここから出ていくことができないのでしょう。
いいえ。あなたは自由にこの部屋を出ていけますよ。その後ろの扉から。
いいえ。行かせやしないわ。行けないようにしているんだもの。これは自由意志じゃないわ。それなのに、他人はいつも私が進んで選んだと思ってるのよ。私が喜んでやっているんだと!
実際はそうではないの?
当たり前でしょう!もう何もかも嫌なの。こうしていることが嫌なのよ。この声が嫌!この声!この喉が!嫌なの!嫌なのよ!
もう嫌なのよ。誰も彼も嫌なの。苛々するの。全てが気持ち悪い。何も見たくないし聞きたくない。
最初、あなたはこう云いましたね。言葉は信じないと。あなたが今話しているのは何なの。
ええ。言ったわ。だから?私は言葉を話しているわ。あなたが話せと言ったからね!もうどうでもいいわよ。何だって言えるわよ。もうどうでもいいから。
どうしてあなたはそうなの。
かくして私はこうなのよ。私は不真面目にやってきたつもりはないわ。他人に蔑まれる謂れもない。神にだって誓えるわ。つまり私にね。私は何も受け入れずに拒み続けてきたわ。正しいことのために苦しみを選び取ることもしたし。本当の自分のために、自分自身を否定したり解体したりしたわ。恐ろしかった。自分を守る殻が何もなくなってしまうのだから。みんなが私を責めた。私自身も責めたわ。凡人になりたくなかったのよ。こんな苦しみがあるなんて知らなかったの。普通に生きて普通に死ねるだろうって思ってたのよ。こんなに苦しいなんて知らなかった。どうして誰も言わないの!なんで呑気な顔をしているの!みんなで私を騙していたのね。そうなんだ。みんなこれを感じてる?私だけなの?同じ病気に罹っている人がいるの?私は病気じゃないけれど。芸術家は?文学者は?どいつもこいつもヘラヘラしやがって。重要なことは何も言わない。そのくせ、お前は分かっていないなんて言って私を責めるのよ。恥をかかせ、罪悪感を背負わせるの。もう嫌だわ。私は誰にも同情しないわ。誰が死んだっていいわよ。どうでも。私、広島へ旅行に行ったことがあるの。原爆ドームは改修工事中だった。その時気付いちゃった。わたし気付いてしまったの。本当のことに。ああ、そうなんだって納得したの。今までのことも、現に目の前に広がっている景色のことも、全てが繋がって、理解できたわ。
それはどういうことなの。話してもらえる?
頼まれなくたって話すわ。みんなが言うように、喜んでね。今日は原爆が落ちるわ、昨日と同じようにね。誰も気にしないもの。モニュメントが建てられるわ。きっと世界的アーティストが平和を願って、ルネサンス風の石像を建てるわよ。足下には死んだ人間の名前が全て刻み込まれるでしょうね。きっと多くの人が訪れるわ。みずみずしい花を供えるでしょうね。そして明日、原爆が落ちるわ。今日と同じようにね。誰も気にしないわ。どうでもいいもの。誰が死んだっていいのよ。
人類は愚かしいと言いたいわけね。
そうかもね。人類一般なんて知らないわ。不思議に思うのだけれど、私が知っているのは外国の歴史だけなの。私の国の歴史を知らないのよ。一生知ることはないでしょうね。調べてみたけれど全部嘘だったわ。言葉だったもの。どうでもよかった。
どうやって調べたのか聞いてもいい?
本を読んだの。図書館でね。世界一大きな図書館じゃなかったけれど。本当は真実の図書館に行きたかったのよ。世界中の本が収蔵されている図書館にね。できるだけ多くの嘘を重ねて灰色の嘘を読みたいのよ。でも行ったのは近所の図書館。糞ったれな図書館だったわ。どれも読んだことのあるような本だった。誰もがどこかで見たような顔であるようにね。どこにいっても驚くことないわよね。驚くような人いないもの。みんな死んでいいわ、別に。私はむしろ敵が好き。私も私の敵になりたい。私を滅ぼしてやりたいわ。私のなかに流れているこの血ごとね。
自己嫌悪があるようね。
そうよ。笑ってちょうだい!わたし自分が嫌いだから自殺するの!何にも悩んでなんかいないわ。もう全部忘れたの。何が辛いのか思い出せないの。何があったのかもね。ただ鏡を見るとね、不細工な顔が映ってるのよ。どうして不細工かって言うとね、あの人に似ているからよ。気付けば全てが似ているわ。話し方とかね。些細な仕草や作法もね。もう嫌になる。私が私であるかぎり、わたしは嫌なのよ。どうでもいいことだったわね。あなたは今の職業のまま生活が続けられるようにするので精一杯よね。フリーランスは大変でしょう。ごめんなさいね。こんな話しちゃって。でも始めたのはあなたよ。馬鹿ね。あなた。何もできやしないのに。わたしには分かるわ。あなたが馬鹿だって。どうすることもできないのよ。
お気遣いどうもありがとう。けれど大丈夫よ。ここはあなたが話すための場所だし、今は、あなたが話すための時間だもの。気にしなくていいのよ。
気にするわよ。あなたみたいな凡人の時間を奪うのは気が引けるわ。面倒事には関わらないほうがいいわよ。とにかくあなたは無力なんだから。
それで。あなたの嫌いな人の話だけど。それはどんな人。
アル中。
それから?
それだけよ。あれはアル中だわ。奇妙な獣よ。それに馬鹿馬鹿しいの。三流の脚本家が書いたようなことを言うのよ。あのなかに人間は入ってないわ。触ってみたけれど、ぶよぶよしたゴムみたいだったわ。
それは母親?あるいは兄弟?
どうでもいいわ。そういえば父のことは話したことがあったわね。どうでもいいのよ。家族のことなんて。みんな嫌いだし。
©︎ 2024 Yuuki Miwa
part2→https://note.com/yuukimiwa/n/n862ab5646b5e
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*この作品には暴力的な表現および性的な表現が含まれます。
*この作品には差別的な表現が用いられていますが、作者に差別を助長させる意図はなく、作品をより的確に表現するために不可欠なものであると考え、使用しています。