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ライターにしかできない役割を

ぼくはライターになるまで、いろいろな職種/業界を経験してきました。アルバイトも含めると、コンビニエンスストアのレジ/陳列スタッフ、アパレル販売、学習塾講師、家庭教師、イベントスタッフ、飲食店スタッフ、音楽/音響関係、システムエンジニア、不動産、広告代理店、メディアなどなど。もっともコミット量が大きかったのは、ライブバーの店舗責任者兼バーテンダー兼音響スタッフでしょうか。過去にはちょっとだけ芸能のお仕事をしていたこともあります。

そんな過去の経歴を話すと、「なぜライターに?」と尋ねられることがよくあります。そこに至るまでの会話の内容によって、どのように答えるかはまちまちだったりするのですが、概ねその理由は2つです。

ひとつは、「文章で伝えることが人より得意だと感じたこと」。もうひとつは、「ライターは『埋もれてしまっている価値あるモノを世に送り出せる』仕事だと考えたこと」です。


後者について、ぼくはもともと、音楽や映画、ゲームといったジャンルを好み、そこに分類されるコンテンツを積極的に摂取してきました。こと音楽に関しては、長く自身もプレイヤーとして関わってきた過去があります。そのなかで感じていたのは、ビジネスやエンターテインメントという座組のなかでは、価値のあるコンテンツが埋もれしまいやすい構造が各業界にあるということでした。

たとえば、音楽業界に長くあるひとつの指標として、CDの売上ランキングがありますが、チャートを賑わすミュージシャンや彼らの作品が、10年後、20年後に文化を支えていくミュージシャンに影響を与えるかと言われれば、頷きづらいのではないでしょうか。その観点に立つと、商業的な成功と文化的な価値がイコールとなっていないのは明白で、本来後世に残していくべきコンテンツが、ビジネスやエンターテインメントという名の免罪符によって、押しのけられる状況がずっと続いています。

「第三者として、そのようなコンテンツに日を当てる役割が担えれば、いまより少しだけ健全な各業界となるのではないか」。そう考えたことが、ライターを志すひとつの大きな理由になりました。

とはいえ、ライターとして実際に業界に入ってみると、メディアもまた、多くはその奔流のなかにありました。外部からは「自由に題材や内容を選定し発信している」と思われがちなこの仕事ですが、大人の事情などによって表現がマイルドになったり、そもそも見込まれるインプレッションの不足によって企画自体が通らなかったり、といったことがままあります。

いま振り返ってみると、文章を書くことがお金を稼ぐ手段になり得ていなかった頃はまだ、ぼくもそのような初心に基づいて発信活動をおこなっていような気がします。

初心に立ち返って。noteでは、ライターを志す理由となった、この仕事にしかできない役割を担っていけたら、といま考えています。

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