いよいよ「将来何をやりたい?」という質問自体が本質的なものではなくなってきたように思われる
今日は眠れない夜に僕が考えてしまうことをシェアしちゃいます。
参りまーす。
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戦前、戦後と時は流れて、それらの時代から見ると現代はおそらく“平和で幸せな世の中”である。
衣食住が確保されているだけでなく、それらの質はこの上ないほど高くて、嗜好品を楽しめるような時代。
ところが世界に目を向けると一部の貧困地域では蛇口から綺麗な水が出ない地域や、栄養のある食事を摂れない地域も多く残っている。
この富める国ジャパンに生きている僕たちは、それらの国や地域に住んでいる人達と比べて格段に質の高い生活を送れている。
しかしここで一度立ち止まって考えてみる。
「確かに戦時中人たちや貧しい国や地域の人たちと比べて生活の質は上がったし、不便なことはもうほとんどない。でもだからと言って現代の方が幸せと胸を張って言えるのかな。そもそも前の世代や貧しい国や地域の人たちと比較する必要があるのかな。」
今は今でそれなりに僕にもあなたにも悩みや心配事はある。
僕らは確実に80歳までは働くことが確定しているので、労働年数は60年前後で、そこまで視野に入れた時に果たしてどんな仕事を選べば良いのか。
昭和の時代だったら「終身雇用・年功賃金」が保証されていて、ファーストキャリア=ファイナルキャリアだったけど、僕らはまずほとんどの人が転職を経験するであろう時代に生きている。
「昭和の時代の方がキャリアという面で見たら不安が少ない分幸せなんじゃないのかな」
時代は本当に目まぐるしく変わっていて、昨日の常識は今日の常識ではないことも日常茶飯事。
そんな幼稚園保育園時代の恋心ぐらい変わりやすい時代に生きている僕たちが今持つべき最強の矛はなんなんだろう。
いずれくるファーストキャリアが何の意味も持たなくなる時代に僕らはどんな武器を握りしめているべきだろう。
いよいよ小学生からプログラミングの授業が必修になってしまった。
僕たちがここまで文明を築き上げてこられたのは“年下の方が優秀”だから。
そんな怪物みたいな世代が大人になる時に僕たちはどんな防具で自らを守るべきか。
その答えは、
哲学だ。
どうしようもなく抽象的ではあるが、自分の中の軸とでも言えば少しはわかりやすいかもしれない。
そしてこの日本においては、宗教や思想を快く受け入れない風潮がある。
きっとこの記事を見てイタイと思っている人も居ると思う。
その考えを持ってしまった時点で日本という国の風潮に乗せられているし、社会の同調圧力に知らず知らずのうちに思考が縛られている何よりの証拠だと思う。
周りの目や親の世代が自分の人生の選択肢を制限していることに危機感を持った方がいい。
「将来何をやりたいの?」
僕はこの質問をされた時には多くの場合
「僕にもわからない」
と答える。
理由は、二つあって一つ目はこんな変わりやすい時代に将来の自分の姿(職業であれプライベートであれ)を強く思い描いてしまう方が危ないと思っているから。
二つ目はキャリアのことなのか、プライベートなことなのかとか相手が求めている内容が定まらないからである。
だから「わからない」には基本的に二つの意味が込められていると思ってもらって問題ない。
そしておそらく僕が眠れない夜にこんなことを考えてしまう原因は、僕自身が同調圧力に弱いからだ。
基本的に人が好きなので、大好きな人たちと接しているうちにどんどん弱気になる僕がいる。
そんな僕をギリギリで思いとどまらせてくれるのが、僕の中の人生の羅針盤になっている、哲学だ。
人生哲学だ。
「これだけは譲れない。どんな状況に陥ってもこれは最優先で守りたい。」
そしてそれらの哲学は僕を取り巻く環境や人、そしてそれらに影響された僕自身が創り出したものに間違いない。
羅針盤を胸に今日も僕は文を書く。
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お読みいただきありがとうございました😊
これからもよろしくお願いします🤲
ではまた〜
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