ふいうちのどんでん返しが好きだ
こんにちは、ゆのまると申します。
綾辻行人先生の『迷路館の殺人』、読了です。とっても面白かったー!
ゆうべ寝る前に読んでいたのですが、その結末に大興奮でなかなか寝付けませんでした。読書していて「えっ?!」と声をあげてしまったことなんて、一体何年ぶりでしょうか……。
未読の方、ご安心ください。今回は感想記事ではありません。
というか、どんな遠回りな言い方をしてもヒントになってしまいそうで、私には何も語れません。これはぜひ事前情報を何も入れず、まっさらな気持ちで読んでもらいたいですね。
そしてできれば、「十角館」「水車館」と順番に。その方が、よりスムーズに物語に入っていけると思います。あぁいろいろ語りたい、でも言えない。いいから読んでくれ……!
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私は基本的に、本は推理小説しか読みません。全然、初心者ですけどね。
幼少期、幼稚園から帰ると祖母と一緒にテレ朝の二時間サスペンスを見ていたからなのか、最初に読んだ青い鳥文庫が「パスワード」シリーズだったからなのか。犯人の犯罪美学や、幾重にも絡まった謎をときほぐしていく名探偵の存在など、その魅力は様々ですが、最も惹かれるのはやはり、その「意外性」だと思っています。
どんでん返し、衝撃の結末、予想外の犯人。まったく考えもしなかった真実が明らかになる時、脳内にほとばしる快楽は他の何にも変えようがありません。
それは小説の好みだけでなく映画もそうで、心揺さぶる感動作よりも、練りに練られたストーリーや映像技法を生かしたトリックが楽しめる、サスペンスやミステリをつい観てしまいます。『グランド・イリュージョン』とかね。あれもアドレナリンがどばどば出ました。
しかし、そういったジャンルの愛好者としては少し、困ることがあります。それは、「この作品のどんでん返しがすごい!」といった形で作品の紹介をされる時、すでに身構えてしまうということです。
「この結末が予想できるか?」と問われれば、犯人の目星がついたとしてもまた異なる可能性を探りますし、自分でハードルを上げすぎて肩透かしをくらってしまう、ということも。まぁ、私には探偵の才能はないので、そういった予想が当たったことはほぼないのですが……。
その手のジャンルとしては有名な、『葉桜の季節に君を想うということ』を読んだ時もそうでした。
何かアッと驚くような小説が読みたい、と友人と話していて紹介されたのがこの一冊。「ある仕掛けがある」ということを意識するあまり、読んでいる最中からああでもないこうでもないと考えすぎてしまったんです。何事も、期待しすぎるというのはよくありませんね。
ブレワイでもアルセウスでも、「ふいうち」というのは抜群に聞きます。それは映画や小説でもそうだと思っていて、まったく意識しないまま、作者の術中にまんまとはまっていく。なんなら、作品が始まったその瞬間から騙されている。そうした作品ほど、「種明かし」の衝撃は強くなります。
幸いにも私は察しがよくない方ですので、作品鑑賞中の脳内はかなり単純ですし、他の作品と比べるなんてこともしません。伏線にもあまり気付かず、「そ、そうだったのかー!」と純粋に驚くことができます。
だからこそ、ふいうちのどんでん返しに出会いたい。私は、映画や小説ではエンタメ性を重視しているので、そんなふうに楽しませてくれる作品が大好きなのです。
最近の綾辻先生といえば、Twitterでぷいぷいと戯れているお姿をよくお見掛けします。
この親しみやすさを先に知ってしまったばかりに、遡って著作に触れるたび、そのギャップでどんどん深みにはまっている感があります。「迷路館」の初刊は1988年。名作は何十年経っても面白いのだと、改めて感じます。
次作は、『人形館の殺人』。綾辻先生のこしらえた館から、しばらくは戻れそうにありません。
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