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いわゆるSNS疲れというやつ

ちょっとだけお久しぶりです、ゆのまるです。

お気付きの方もおられるかもしれませんが、ここ一週間ほど、意識してnoteから離れる生活をしていました。プライベートがごたついていた、というのもありますが。

noteを開くのは朝一回のみ。それも、なにかトラブルが起きていないか確認するのみで、記事を書くことも、読むことも全くしておりませんでした。

最近の私の発言があまりにも目に余ることによる自粛期間、でした。


中学生の時に携帯電話を買ってもらい、クラスメイトからモバゲーに招待されたのをきっかけとして、その後15年近く、様々なプラットフォームを渡り歩いてきました。

mixi、アメーバピグ、Skype、個人サイト、Twitter……いずれも、プロフィールに好きなものを並べ、趣味の似た人と仲良くなろうとしましたがなかなか上手くいかず。こうして趣味の話題で盛り上がったり、リアルの友達にも言いにくい悩みを聞いてもらえるような友人ができたのは、noteが初めてでした。

最初は個人的なゲームのプレイ記録として始めたnoteも、気付けば書いた記事は500を超え、フォロワーさんもずいぶん増えました。そうして似た感性の者同士、スキやコメントでコミュニケーションを取り合ううちに、調子に乗りやすい私はすっかり「裸の王様」になっていたようです。

「私のポリシー」「持論ですが」といった枕詞を、何を発言しても許される免罪符と勘違いして、ずいぶんエラそうなことを並べてきました。それらを読んでくださった方にどんなふうに受け取られていたのか……そう考えると、今すぐにでも深い深い穴を掘って長い眠りに就きたくなります。

唯一救いだったのは、そうした自分の勘違いに自分で気付けたことでした。

アクセルを踏み続ける状態に、いつしか違和感を覚えていたのでしょう。

「最近の私、すごく嫌なヤツだ」そんなふうに自分で思い至れたことは、私のなけなしのプライドを守る点から見ても幸運なことでした。

もちろん、勘の鈍い私でも気付いたということは、四六時中一緒にいる夫に察知されないはずもなく……。

「やっと気付いたか」と言わんばかりに、私のこれまでの態度について懇々と教え諭してくれました。同い年なのに、なんなら私の方が誕生日が早いのに、こういう時の夫のお説教は本当に効きます。

「謙虚でありなさい」

夫はじっくりと教え含めてくれた後、最後にそう言って、一枚のカードを差し出しました。妻が「強欲な壺」のような醜い姿に変わるのは、彼としても耐えられないものがあったのでしょう。

心に刻めるよう、冷蔵庫に貼ってあります


一週間前のこの苦い一件以来、それまでどっぷり浸かっていたネットの世界から離れるよう努力しました。

そもそも、これまでの距離が近すぎたのです。エレベーターに乗っている間や信号待ちの時間、そんなわずかな隙間ができれば、私は常にネットを開く立派な中毒者でした。

そんな「誘惑」がやってきたら、すぐさま読みかけの本に手を伸ばしたり、ゲームを起動したり。そうして用もないのにネットにアクセスしないように心がけました。

これまでも、こうしたネット断ちは何度も挑戦してきました。けれどもそのたびに挫折。顔も見えない人達の、生々しい本音や現実の事とは信じられないような修羅場は、それほどに刺激的で中毒性があったのです。

しかし、今回はネット断ちを後押ししてくれる頼もしい存在がいました。

それがこちら、「Stardew Valley」という牧場経営ゲームです。

祖父から古い農場を受け継いだプレイヤーは、自ら畑を耕し種を植え、家畜を飼ったり村の住人と交流したりして自給自足生活を送ります。そう、プレイスタイルはあの名作ゲーム「牧場物語」そのまま。それもそのはずで、開発者は牧場物語の大ファンなんだとか。

しかし、よくあるほのぼのカントリーライフかと思いきや、鉱山にはモンスターが出現したり、住人もそれぞれ問題を抱えていたりと、実にやりごたえのあるゲームだとわかります。

今(1年目秋)の牧場の様子
夏の海に漂うクラゲを眺めたり……
住人の夢の中(?)に入ってみたり……
こちらが絶賛アタック中のリア嬢です。美人さんや

遊び始めた当初こそ、勝手がわからなかったり、住人がどうにもバタ臭かったりと不便に感じることも多かったですが、軌道に乗ってしまえばこちらのもの。朝起きて作物に水をやったり鶏の様子を見に行ったり釣りをしたりと、毎日やりたいことがたくさんあって、文字通りリアルの時間を溶かす日々。ゲーム内の1日はリアルだと15分くらいで、「ちょっと触るだけ」のつもりが気付けば2時間3時間と経っていてびびります。

Switchのゲームログはあっという間にこんな感じに。

久しぶりに、いいおもちゃを手に入れてしまいました。


ところで、以前から漠然と考えてはいましたが、今回の件で改めて実感したことがあります。

それは、私には3つの顔があってちょうどいい、ということ。

人はいくつもの顔を使い分ける生き物で、その割合は人それぞれです。私にとっての主な構成要素は「家族」と「社会」と「自分」になります。

今の「家族」と過ごす時間。

職場やお店の人やネットといった「社会」と繋がる時間。

そして誰の目を意識することもない「自分」だけの時間。

必要に迫られてどれかの時間が長くなることもあるし、時には意識して調整する必要も出てきます。どれも同じくらいがいいわけでもなく、どれか1つだけでもいけない。違う顔を見せて違う人と交わることで、少し前の自分の言動を振り返ったり、ちょっとしたきっかけで長く悩んでいたことの答えが見つかったりもします。

近付き過ぎず、離れ過ぎず。「過ぎたるは及ばざるが如し」のことわざどおり、そのちょうどいい塩梅は、慎重に探っていかないといけないなと感じました。

noteを離れている間も、心に移りゆくよしなしごとはノートに手書きでガシガシ書いていましたし、ネット上の付き合いをこれからどうしていくかは、まだ答えが見つかっていません。しかし、まずは自分がこれ以上嫌なヤツにならないよう、デトックスが必要な気がしています。

ということで、そんな感じの距離感でやっていくつもりですので、何卒温かく見守っていただけますよう。しばらく姿を見なければ、その時は牧場にいるのだと思ってくださいね。笑

ではでは。

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箱崎ゆのまる
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