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去年の反省と今年の歩き方

皆さん、あけましておめでとうございます!

館長のyuiです。
年明けから能登半島の地震、飛行機の火災と中々の辛い出来事が続いておりますが、そんな辛いことからもみんなで一緒に頑張っていけると信じています。

さて、タイトルにもある通り去年も怒涛の生活を切り抜けて年を越して今があります。

そんな去年を振り返りを記事を読んでる皆さんと一緒に出来ればと思います。

内容が若干殴り書きの様な内容になってしまいますが付き合っていただけると幸いです!

では、どうぞ

怒涛の去年

さて、去年の1月はまだ人材派遣会社に務めており、バタバタしながら地元に帰省し、また山形に戻るという生活でした。
仕事も順調とは行きませんが、普通に給料が貰えて帰る家がありという普通の生活をしておりました。
ただなれない仕事を続けるのは大変で毎日精神を削られ辛い時に辛いと言えない状況でもありました。

物忘れも激しい上に作業の優先順位を決めれず上手く回すこともままらない、ミスが多発いろいろな人に迷惑をかけてしまったなと。
他にも原因はあったかなと思いますが、悪い状況が続き精神的にも体力的にもがたが来てしまい倒れました。

精神科に行きADHDがもとに鬱状態があると医者から診断され薬物投与で経過観察をしていこうとなりました。

正直、診断結果をいい渡された時には驚きと納得が半々くらいでした。昔からADHDの傾向はありましたがグレーゾーンの範囲でしか診断はされていませんでした。昔でいうとちょっと変わった子供としか思われていません。

小学校から高校もだいぶ死んでいた時期はありましたがなんと頑張って乗り越えていましたが今回は乗り越えることができなくて体と精神壊してしまったという感じです。

鬱状態を診断され、会社、出向先、親、家族になんて説明したらいいか分からない状態でずっと悩み続けました。

本当は診断結果には休業という方法もありましたが出向先の内部事情もあり出勤しなければ行けない状態が続きなんだかんだで8月までいて、やっと自分の業務を引き継いでくれる人が決まり引き継ぎをして、出向先、会社を退職することができました。

本当に辞めるまで大変だった。
辞める間にも長く続いた恋愛にも終止符が打たれ、さらに精神的に深いダメージがあり、自分は必要とされてない人間だし、生きていても意味がない、社会のお荷物だからいなくなった方が社会のためだなと思っていました。

人間関係も自分がいない方が周りの人は幸せになれるなと感じ部分も

今は少しマシになり、30歳まで生きれたらいいなと
それまでになにかできなければ死んだ方がいいなという考えに行き着きました。

とあるアニメのセリフに

「人は1人で勝手に助かるだけ」

という言葉にすごく胸に響き、たしかに人は1人では生きて行けないけど誰かの手を借りて助かるも助からないのも自分が決めることだと解釈しとりあえず30歳まで生きてみることにしました。
その先は正直社会的に死んでるかもしれません。。。

そんなこんなで前職を退職したあとは1ヶ月何もしない生活をして、10月から知り合い会社にアルバイトとして一時的に働くようにしていました。
元々、知り合いということもあり前職での事情話してでのアルバイト契約だったので少し楽をして仕事をすることができておりちょっと安心をしていました。

しかし、アルバイトとしているといっても税金と奨学金の返済は待ってくれないし、将来的にその会社で正社員になれるわけでもない(その会社に入るには大手会社のマネジャーレベルの知識と経験がないとだめ)
だから、12月から転職活動を始めました。

正直、スキルも経験もないこんな人間がまた就職出来るか分からないという不安ばかりでした。

Itの会社を何社か、スタジオカメラマンの求人を1個を受けて、スタジオカメラマンの内定が出た感じです。

スタジオカメラマンという経験がなかったので正直受からないと思っていましたが、なにかの巡り合わせで受かることになりました。

という訳でだいぶ雑な去年の振り返りになってしまいましたが今年の3月からはスタジオカメラマンとして働くことになります。

去年は怒涛すぎたらから今年はゆっくりした生活をしたいなと思っていましたが、そんなことはなさそうです。

今年は、身体を壊さずやりたいこと、できることを増やして行くことが目標です。

あとは自分は主役級の人間にはなれないけど主役級の人間のサポートはできるようになりたいなと。


乱雑な内容になってしまいましたがここまでお付き合い頂きありがとうございました。

また時間が空いた時に写真と記事を投稿出来ればなと

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