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【エッセイ】Now River(焼き)
セブンイレブンの冷蔵庫で見かけた
お菓子のパッケージに「Now River 」と
書かれていて驚いた。きっと中身は今川焼きだ。
しかし、「焼き」はどこに行ってしまったのだろう。
もしかして焼いていないのだろうか。
そうだとしたらただの今川になる。
今川って誰?
夕方、ニュースでとある方の訃報を知った。
時間の有限性をあらためて感じて
とてもこわくなってしまった。
時が流れるのを望む気持ちもあれば
恐れる気持ちも強くある。
時間という目に見えない概念を
時計という工作で可視化し
それをもとに生活をしているなんて
よくよく考えたらほんとうにすごいことだ。
世界中に時間という概念と時計という機械が
必ず存在していると思うと、興奮さえしてくる。
でもわたしはやっぱり現実味を感じられなくて
時は漂うばかりで、焦燥感だけが
めきめきと音を立てて育つ。
焦燥感でいっぱいのとき、頭のなかに流れる曲がある。
ひとつはタンホイザー、もうひとつは2分の1。
タンホイザーを初めて聴いたのは
ドラマ『白い巨塔』の2003年版だった。
サントラとして出会ったこの曲を聴くとき
わたしはたいていベッドの上でうずくまって
おでこを膝にぴったりと押し当てる姿勢になる。
これは泣く直前の、鼻の奥がつんとするのを
より強く感じることのできるベストな体勢なのだ。
2分の1は川本真琴さんの曲だ。
2番の歌詞がわたしの急ぐ感情をざらりと撫でていく。
こぼれそうなくらいの青さを纏った
若者が懸命に走る姿が想起される。
そして周回遅れのわたしはそれにもっと焦って
いつもどおり空回りする。
いつかわたしに「焦らないで。大丈夫だから」と
言ったひとがいた。たしか中学生のときだ。
そのひととはたった2回、演技レッスンでしか
会っていないのに、わたしは自分のなかの
せわしない焦燥が見つかってしまったのが
すごく恥ずかしくて、情けなかった。
時間は、未来は、目に見えないからこわいのだと思う。
いざそこに到達してしまえば、先に来るのは
恐怖以外のもっと鮮明な感情なのだろう。
Now Riverは中身が見えないパッケージだった。
「焼き」を持たない今川とは、どんなものなのだろう。
「今川」という苗字を持つ知らないおじさんが
出てきたりしたら怖いので、買えずにいる。
でもほんとうのところは開けてみないとわからない。
中身はただの、見知った今川焼きである可能性も
じゅうぶんにあるのだから。