「普通」ってなんだろう
今朝のこと。
Twitterで、さくまさんという方がつぶやかれていた。
と。読んだ瞬間、『「普通」を継続する』ってどういうことだろう?と思った。私自身はごくごく「普通」の人間だ。では、ごくごく普通の人間は、生きているだけで「普通」を継続しているのだろうか?
「普通」を継続する事が何かわからないのに、できているとは思わない。もしかしたら、わからないから、思えないのかもしれない。
「普通」ってなんだろう。
そもそも「普通」ってなんだろう?
音声を録りながら考えてみた。
自分はどうして自分をごくごく「普通」の人間だと思っているのだろうか。
・突出した何かができる人間「天才」ではない。
・全て何もできない人間でもない。
・突出して背が低くも高くもない。
・突出して体重が軽くも重くもない。
平均ではないかもしれないが、突出して目立つ存在ではないことが、私の中で、私がごくごく「普通」の人間の根拠なのだと思う。
けれど同時に、「普通の人」ってどんな人だろう?と考えると全くわからなくなってきた。
例えば、私が子どもの頃、同級生の家は少なからず商売をしていた。
自宅兼店舗(2階建の小さなお店から5階建ビルまで)も沢山建っていた。また自転車で校区外まで行けば、田んぼがあり、農家の人もいたし、もちろんサラリーマン家庭もあった。
商売や農家であれば共働きが普通だし、サラリーマン家庭では、今よりずっと専業主婦の人が多かった。片親家庭も有れば、外国人も住んでいて、何が普通かはわからない。
そして今はさらに多様性は増している。
考えれば考えるほど、「普通」の人間などいないのかもしれない、と思えてきた。
「普通」を継続するってなんだろう?
継続する「普通」とは何か。「当たり前」と呼ばれることをすることだろうか?
「当たり前」とはなんだろう?
地球の摂理に合わせて、朝日が出たら起き、太陽が沈んだら寝る?
そんな人いるかな?
では、その時間働く?
朝7時8時から働き17時18時に仕事を終える人は、日本の人口でどれほどいるだろう?
第一次産業の人はもちろん、違うだろう。
「医療系」「介護系」「サービス業」は基本的に早番、遅番、夜勤などのシフト制が多いので、少なそうだ。
また、システム系の方の中には、夜作業が「当たり前」なので、勤務時間が夜という人もいる。
生きていくために自給自足であっても、動かなければ食べる事ができないのが「当たり前」だとしたら、働くことが「当たり前」だろうか。
やはりこれも定義が難しい。
「普通」は主観が強い言葉
「普通」も「当たり前」も自分が生きてきた家族だけでなく地域の環境や、学校、会社での文化が大きいように思う。
なんだろう?と考えてみたものの結局のところ「普通」とはこうだ、と言葉にできなかった。
さまざまな人と話してみるのが面白そうだ。
この記事を読んだあなたにとっての「普通」はなんだろうか。考えることで1つ、自分を知る事ができるそうだ。
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