『私の身体を生きる』西加奈子 他(文藝春秋)
17人の女性作家による、性をテーマにしたエッセイ。のっけから、島本理生さんが引いている鷲田清一さんの一文に、どきりとする。
「それなしで生きていけないものを、心のどこかで見下しながら生きるというのは不健康です。」
これは身につける衣服についての言葉で、島本さんは自分がずっと「どこへ着て行っても恥ずかしくない、無難な服だけを選んでいた」という。他人から見た「女性」に、ふさわしい服ということだ。
女は女であるために、他人に迎合したり、自分を汚してみたり、自分の体を客体化してみたりする。そうでなければ、週刊誌のグラビアなどで、露出の高い服を着せられ、あいもかわらず扇情的なポーズを取らされているのと、同じ体を持っているということが、受け入れられない。
柴崎友香さんは言う。
「私は私が持っているこの身体を「子どもを産むための身体」「人から見られる身体」として意識させられ続けることが、いやで仕方がなかった。」
そういうことを言うのは、成熟していない、恥ずかしいことなのだと思っていた。言ってもいいのだ、みんなグラデーションの差はあれ、思っていることなのだと、安心した。
ちなみに、BLというのは、女の身体が消費されないため、エンターテイメントとして楽しめるコンテンツなのだと考えていたのだけれど、どうなのでしょうか。