「数値化の鬼」を読んで
ども!
1歳の娘のワガママを注意するも、投げキッスにいつも返り討ちをくらっているかんちゃんです。
今回は、識学社の安藤社長の著書「数値化の鬼」を読んで感じた事、考えた事を書きたいと思います!
ビジネスパーソンの間で話題となっているので、ご存じの方も多いと思います。
どんな方にご覧いただきたいかと言うと、
・数字にネガティブイメージのある方
・プレイヤーとして数字を求められている方
・将来に漠然と不安を感じている方
の参考になれれば嬉しいです。
勢い余って、先週お客さんに貸してしまった程です!笑
私は、数字に対してネガティブなイメージがありましたが、
この本を読んで、数字に対してポジティブになれました!
①凡人は数字というコーチに導かれた方が楽
「数値化」と聞くとどうしてもネガティブなイメージを抱く人は、多いのではないでしょうか。
それは、ノルマという言葉のイメージが先行しているからではないかと思っています。
プレッシャーを感じたり、
「人間の価値は数字じゃないんだよ」と思いたくなるもので、実際私もそうです。
しかし、数字が無いと全てがなぁなぁになってしまいます。
例えば、日付です。
友達と「今度飲みに行こうね!」と言って、実現する確率が低いという事は、あるあるではないでしょうか。
これを仕事に置き換えると、、
何かを成し遂げられる雰囲気や魅力は伝わりにくいと思います。
私は意思が弱いという事を、自分で知っています。
明日やろう!という事が、明後日になったり、明々後日になったりする事が結構あって、「あぁ、今日も出来なかったな」と自己嫌悪になる事があります。
こういう場合は、スケジュール化してしまいます!数値である、日付に数値化してしまうという事です。
こういった事は、自分でコントロールできる数値です。
コントロール出来る事を「変数」と、著書で表現されていて、読んだ中ですぐに実践に落とし込んだ部分でした。
反対に「定数」もあり、これは自分では動かせない数値です。
日付の例で話を続けると、「1か月を40日間にする」「1週間を10日にする」など、
自分では動かせない数字の事を「定数」と表現しています。
分かりやすい営業マンの例で書いてみます。
より効果的な変数を自分で見つけて、
自分で数値化出来る事はとことんしてしまった方が、行動量は増やせるのではないでしょうか。
私はその効果的な変数を見つけるプロセスが結構好きな事に気付きました。
数字による「適度なむちゃぶり」が自分を成長させてくれる事を感じます。
私のような凡人は、数字と自分を約束させてしまった方が、自動的に行動に移せるとつくづく思いました。
数字で、上手く自分をコントロールしちゃいましょう!
②数字にノイズは入らない
とはいえ、そんな心を鬼にしてまで「数値化」する必要ある?
と思うかもしれません。
必要性について、私が思う事をお話したいと思います。
1980年~1990年まで、経済が成長していた日本では、「1つの企業に勤めたら定年まで働く」という事が通説でした。
しかも、年功序列で給与が上がる仕組みになっていました。なので、数字という結果よりも、上長や経営者のお気に入りになるため、プロセスを評価してもらう努力をして、
「給与を貯金し、退職金を貰い、80歳か90歳くらいでこの世を去る」
ようなストーリーが一般的だったように思えます。
そんなイメージが、令和になった今も「イメージとして」根付いていると感じています。
いや、根付いているというより、「信じたい」「直視したくない」という気持ちの方が勝っているのかもしれません。
それが成り立っていたのは、モノやサービスを世に繰り出せば、売れて経営者が社員を養えていたからです。
しかし、現代では同じようなモノやサービスが溢れていて、世に繰り出しても、簡単に売れなくなってしまいました。
それどころか、気付いてもらえないかもしれません。
原理原則として、給与は「社会に価値提供した対価」です。
オセロの角はひっくり返せないと同じくらい強力なルールで、ここが破綻すると、会社のお金が回らなり倒産の危機が生まれます。
というように、今の日本企業では
『「年功序列×プロセス評価」で成り立つ』
そのルールが変わってしまいました。
念のため補足すると、ここで言うプロセス評価は、「サービス残業」「結果度外視の美辞麗句のみでの好感度」のようなものです。
これで評価される事がクセになると、働く環境や評価者が変わった時、サービス残業や美辞麗句が通用しない事になります。
結局自分で自分の首を絞めることになります。
じゃあ、貯金すればええやん、とも思いますが、医療の発達により「人生100年時代」と言われるようになり、80歳まで稼ぎ続ける必要があると言われています。
昨今の世界情勢の急速な展開もあり、インフレや日本円の信用度など、「日本円を銀行に預けていれば一生安泰」とも言い切れません。
まずは、ここを受け止めなければ、心を鬼にしてまで数値化する意味を、受け入れる余地がないと思っています。
ある意味、「恐怖」を感じておく事が重要で「自分の活動を数字で結果として残し、結果を評価してもらう習慣」
が、これから生きる力に直結しそうです。
会社にいる強みが「○○社長のお気に入り」だと、「○○社長」がいなくなったらその人はどうなるでしょうか?
著書に触れて、ブレやすい感情「ノイズ」が入らない、純粋に結果で評価される事に慣れておく事が大事だなぁと、気付きがありました。
③これからの日本と識学
話は変わりますが、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があります。
可愛い子は側にいさせて、行動を制限させるのではなく、色んな世界を経験させよう!
という事だと捉えているのですが、個人の成長を重んじる「識学」もそれに近いんじゃないかなぁと思います。
想像していただきたいのですが、子供に1mmも失敗させない親はいるのでしょうか?
本当に子供の事を思うなら、失敗させない親はいないと思っています。
いや、私が知らないだけかもしれせんが。
私は1歳になったばかりの娘がいるのですが、「目に入れても痛くない」というのはこのことか!と、娘に溺愛中です。
私、個人的な思いは「失敗をしている姿を見るのはちょっと心苦しいけど、失敗からしか学べない事もあるので、たくさん失敗もして欲しい」という、複雑な思いです。
今で言うと、「靴を履いて歩く練習」です。
まだよちよち歩きなので、5回に3回くらいは転びます。
しかし、転ぶ経験を積ませないと、歩けるようになりません。
なので、転んでも痛くないように「芝生のある公園で歩く練習をさせる」など、思い切って失敗が出来る(=転んでも大丈夫)ように環境を整えています。
それが親の責任なのかなぁと、父親1歳の私なりの気付きです。
少し脱線しますが、娘に嫌いな薬を強引に飲ませたり、うんちが3日程、全くでない便秘気味な娘に浣腸をする事があります。
ギャン泣きする娘の姿を見るのは心苦しく、本当は私も嫌ですが、そのままにはしておけないから、心を鬼にしてやるのです。
育児でも心を鬼にする瞬間はありました!笑
話を戻しますが、「可愛い可愛い」だけでは、本人が成長せず、長い目で考えた時、本人のためにならないと思います。
子育ての根っこの部分は、「数値化し結果で評価する識学」と近いものがあるなぁと、思いました。
失敗すると分かっていても、行動させて気付きを促す。
「識学って何?」と気になる方は、リーダーの仮面もオススメですので、合わせてご紹介しておきます。
こちらは、どちらかというとマネージャー向けの本ですね。
いかがでしたでしょうか?
識学が入っている・入っていないにかかわらず、「数字と向き合う事」は全ビジネスパーソンに必要な要素だと思います。
特にプレイヤーとして役割を求められていて、上手くいかないという方は、読んでみる事をオススメします。
以上、数字に対してポジティブになれたかんちゃんでした!