『出会いは希望』好奇心と希望だけで挑戦する奇跡
皆さんは、お手伝いさんという仕事を知っていますか? お手伝いさんっと言っても、家政婦さんじゃないですよ。
スキー場の周りにある、宿泊施設には、特別な世界があるのです。スキーやスノーボードが好きなひとは、知っているかも。そんな、宿泊施設にまつわる特別な経験談をご紹介しますね。
挑戦は愉しい
わたしは、23歳のときに友達の勧めで、人生ではじめてのスノーボードを体験しました。友達がおもしろいから、「一緒にしよう」と進めるというか……、強制ですけど。無理やり、スノーボード1式を買わされたのです。理由は、スノーボードの道具を買ったら絶対にやめれないからって。
ほんと、強引なやつなんですよね(笑)。
そして、隣の県に初滑りに行ったんですが、これが……、恥ずかしい話、完全にハマってしまった。それからは、滑れるようになるために毎週、スキー場に通いましたね。
ある日、いつものように友達と昼ごはんを買いにコンビニにいったときの話です。雑誌コーナーにスノーボード専門誌があったので、みていたら日本には、素晴らしいスキー場が多く存在している事実を知り……、友達に表紙のスキー場について、聞いたのです。
「あまりわからないけど、そんな場所、長野か北海道くらいだよ」
「え、長野って、そんなにすごいの?」
「そりゃ、最高だよ」
そしていつものバカな考えが……、長野かぁーー。それからは、日々格闘ですよ。長野に行くか、行かないか……、ほんとばか。結局、行ってしまうんですよねぇ。
会社を辞める話はできたのですが、大きな問題が……、23歳のわたしは、なんと貯金がほぼゼロ。そして、住まいも引き払い……、絶対に間違っているよね(汗)。あと先考えないわたしは、最後の給料1ヶ月分を握りしめて、JR駅に向かったんです。
旅行には、不釣り合いの少し大きめのバックに1週間分の着替えを詰めて、スノーボードの板を抱え新幹線に乗り込みました。本音は希望と少しの不安が格闘していたのですが……。不安を隠すように、「めざせ長野」なんて呟きながら出発しましたね。
希望と現実の狭間
新幹線や電車を乗り継ぎ、やっと長野に着いたけど……、ほんと遠かった。わたしは、はやる気持ちを抑えながら駅を出たらびっくり。
「ゲレンデなんて、ひとつもないじゃないか……」
もう、絶叫ですよ。わたしは、長野駅を出たら、周りはスキー場だらけと思っていたから(泣)。一応、下調べはしていましたよ。でも……。
それより、到着したのが夕方だったので、急いで、宿泊先を確保しなければ、凍死するのじゃないのかなんて思っていました。そして、駅前のホテルにチェックインすると、大慌てで、書店に行き「ゲレンデマップ」を購入。なんと、有名ゲレンデまでは、長野駅から何時間もかかるみたいなんです。
「これは、少しやばいかも……」
なぜなら、わたしの全財産は、給料1ヶ月分の25万しかないから、アパートなんて借りれないし。もう、次の日から大慌てで、ハローワーク通いですよ。だって、砂時計の砂は、すでに落ちはじめているから、早くしないと……、お金がなくなり、どこにも行けなくなるから。
確か、ハローワーク通いから、5日目くらいに面接が決まり、長野県の北信に位置する建設会社で面接を受けることになったのです。
「まぁ経験者だから問題はないでしょう」
なんて、いつものお気楽さんの調子が戻ってきましたね。そして、無事面接も終わり、宿泊先のホテルに帰るために近くの駅で、電車をまっていたのですが。
どれだけまっても、電車が来ないんです……、もう何が何だか……、無人駅だから聞くひともいないし。駅の外で、除雪しているひとを見つけたから聞いてみると。
なんと、雪で電車が止まってたんです……、そんなことあるの……、って感じでしたね。なんせ、雪国の生活は、はじめてなので。
無人駅には、誰れもいないし、暖房設備もないから日が暮れるにつれて、わたしの足は、ガタガタと震え出す始末。ホームの窓から外をみると、あたりは暗くなり人影もない……、聞こえるのは、強風がガタガタと奏でる不安という悲鳴。流石に寂しさの足音が、聞こえたきがしましたね。そして、困ったわたしは、退職した会社の友達に電話して、誰かいないか探してもらったのです。
誰かって、もちろん、北国の社員ですよね。
そしたら、偶然長野北信で、宿を経営していたひとがいたのです。そのかたが、すぐに電話をかけてきてくれて、わたしが、理由を説明すると。
「じゃぁ、駅で待ってて」
なんて頼もしいひとなんだろうと思っていたら、無人駅の少し凍りついたドアをガラガラと開ける音が聞こえたのです。待つこと、30分くらいかなぁーー。
迎えにきてくれたひとは、宿のオーナーで、電話をくれた方の友達だったんです。そして、迎えにきてくれたオーナーの宿に連れて行ってもらい、長野に来た理由などを説明すると。
「わかったよ、じゃあ、うちで働きな」
もう理解できない……、でも救われたことは、間違いありません。
宿泊施設の特別なルール
ゲレンデの周りにある宿泊施設には、特別なルールがあります。冬になると、観光客で、溢れる宿泊施設は、「お手伝いさん」という、働き手を募集しているのです。
仕事といっても、宿により違うのですが、わたしのときは、給料なし……、え、と思うかもしれないけど、じつはふつう。わたしは、凍死する可能性から、生還したのと同時に「仕事まで手に入れた」ことで、少し気持ちが楽になったかなぁ。
毎日、最高の雪質である長野で、滑りたい放題の3食宿付き。
でも、お客さんの食事や宿の掃除など、仕事はしなければならないのですが、そんなにハードではありません。また、わたしをすて猫のように拾ってくれた、優しいオーナーは、仕事をあまり言いつけず、毎日朝から夕方まで、滑らさせてくれました。
そのおかげで、3ヶ月もの間練習できたので、スノーボードの腕前は、恐ろしいほど上達しましたね。
そして、雪が溶ける頃には、わたしもいるべき場所に戻ったのです。お金では、買えないたくさんの経験をくれた、ゲレンデと宿のオーナーには心より感謝しております。
まとめ
今は、あまりスノーボードに行っていませんが……、また、滑りたいですね。宿のオーナーには、本当に感謝していたので、約7年間、毎年部下たちを連れて、宿泊に行きました。これが、俗に言う、すて猫の恩返しですね(汗)。
全財産は25万円しか持っていませんでしたが、不安なんてなかったよ。なぜって、やる気さえあれば、なんでもできると信じているからーー。わたしが、10代の頃に本気で、好きだった彼女と駆け落ちしたときは、2人で、1万5千円しか持っていませんでした(泣)。この話は、超大作になるので……、そのうちに。
ほんと、みんな嘘みたいに思うかもしれないけど、わたしの経験談は、99%ほんとだから。残りの1%は、言えない部分を隠しているだけ、それと少し記憶が曖昧な部分かなぁ……。そして、舞台裏には、たくさんの苦労もあるけど……、省略しているからね。だって、すごく長くなるから、今の文章力では伝えきれないと思う。
長文を読んでいただいて、本当に感謝しています。
明日も皆様にとって大切な経験ができる1日であることを切に願っております。