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新幹線で働いていた私が【予備校講師】になった理由

“令和の予備校講師”こと堀夢叶(ほり ゆうと)です。
フリーランスの講師として、大学受験指導を主軸に活動しています。

もうすぐ2024年もおしまい。
私の中での2024年。
それは「予備校講師」という絶滅危惧種の職業に本格的に舵を切った年でした。

ただ、令和のこの時代に、好き好んで予備校講師になる人などほとんどいません。一昔前とは違い、今この業界は「斜陽産業」だとか「オワコン」だと揶揄されています。そんな中私は、令和に予備校講師となった、側から見れば「変人」の1人です。

車内販売員として

皆さんの中に、新幹線の車内販売を利用したことがあるという方はいらっしゃいますか?ワゴンを押しながら「お弁当やコーヒーはいかがですか」と列車内を移動する販売員。正式には「パーサー」という職業です。私は2023年3月から1年の間、東海道新幹線の客室乗務員アルバイトとして働いていました。

しかし、2023年の8月頃だったでしょうか。仕事を始めて月1回のミィーティング(社内では訓練と呼ばれていました)の中で、同年10月を持って、自由席での車内販売業務が停止されることが伝えられました。その後はグリーン車のみでのモバイルオーダー制の販売に移行。業務形態が変わることに伴い、アルバイトは翌年3月までを目処に自主退職を迫られました。私は、始めたばかりの仕事なのに残念だなと感じがらも、別で教育関係の仕事もしていたので、そこまでショックは大きくありませんでした。一方で、私と同じアシスタントパーサー(略して”AC”)の中には、それこそ0系が走っていたような時代から何十年も働き続けてきた人もいました。その人からすると、死活問題にもなりかねない大事件。そうした周囲の様子を見届けながら、私は時代の趨勢を肌で感じ取りました。時代の変化とともに消える仕事があるというのは、一見すると当たり前のことのように思えます。しかし、自分の目の前でそれが起きる経験というのは、私にとっては始めての経験でした。

「オワコン」な予備校業界

斜陽産業。オワコン。世間では、間も無く消えそうな職業を、そうした言葉でネガティブに捉えようとする傾向にあります。塾・予備校業界も例外ではありません。今となってはネットでわかりやすい授業動画がたくさん見られますし、少子化によって潜在顧客の母数自体が減少しています。競合他社との競争はますばかり。数年経てば予備校講師という職業も、車内販売の仕事と同様に消えてしまうかもしれません。

「オワコン」だからこそ

しかし、そんなリスクだらけの環境の中、私は予備校講師になることを選びました。リスクを承知で、いや、リスクがあるからこそ、その道を選択したとも言えます。斜陽産業だからこそ、終わりそうなコンテンツだからこそ、敢えてそこに飛び込んでみるのも面白さもあると思います。なぜなら、ある仕事がなくなるということは、すなわち「もう二度とできないかもしれない」ということでもあるからです。歴史の教科書で出てきたり、テレビの特集などででくる、昔あったけど今はない仕事。例えば電話交換手や速記者。私はそれらを職業とすることはできません。それこそ、東海道新幹線の車内でワゴンを押して販売をすることはもう二度とできないのです。私は、入社して半年近くで仕事がなくなることが決まりましたが、逆にいうとアルバイトとして東海道新幹線で車内販売を経験した歴史上最後の人物とも言えます。

予備校講師として

もちろん、予備校講師という職業が消えないようにサバイバルマインドで働くこともやりがいになります。数えきれないほどの塾・予備校があり、星の数ほど講師はいる。スタサプだけでなくChatGPTがある今の時代にわざわざ自分の授業に足を運んでくれる生徒がいる。そんな大切な生徒たちに、どうやったら通い続けてもらえるか、どうしたらより大きな成果を出してもらえるか。そうやって日々格闘しながら働いていく毎日はとても充実しています。仮に本当に需要が無くなり消滅したとしても、私たちはその分野の最後の「見届け人」としての役割を果たすことができる。それは、その道を選んだ人にしかできないことです。

たとえ太陽が沈もうとも

斜陽。太陽が沈みつつある様子から、あるものが消えかけていたり衰退しつつある状態の例えとし使われます。ただ、日が沈みつつあるその状況は、本当に良くないことなのでしょうか。夕焼けの景色を私たちは「美しい」と感じる。そして仮にその太陽がもう二度と昇らないとしたら、その美しさはきっと筆舌に尽くし難いものになるでしょう。

私はこれからも予備校講師としての活動を続けていきます。
太陽が沈むその時まで。

今年もありがとうございました。
よいお年を!


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