共生の希望 Imagining New Subjectivities
第1部 13:00〜14:30
牧野智和(大妻女子大学教授)
「ワークショップ/ファシリテーションを社会学的に考える」
自己啓発=他人
哲学=自己
自己啓発しているのに他人を対象とするのは矛盾しているのではないか。自己を本質的に啓発(啓蒙)するのが目的では?
哲学と一言で言っても対話と省察がある。だから哲学というものはある対象を考える、という次元まで下げると、日常対話に浸透しているという事実に気づく。哲学がアカデミズムによって構造化した史実がある。それは高尚なものではなく、ごく一般的な日常会話に付随した存在である。
ソクラテスの存在はやはり偉大である。彼は哲学を日常茶飯事として営んでいた。つまり知の体系を日常として利用していた。
社会も大切だが、個人あっての社会なのだから自己が社会を規定していかねばならない。しかし社会が規定する法律や経済で物事を考察するしか個人はできない。個人的意思が強くなるのは、ある程度の教養を会得していかねばならない、批判するということも一つの教養であるという命題をとれば、自己が社会を規定するという根拠は一つの常識ともいえる。
梶谷真司曰く「哲学対話は仲良くする。哲学を度外視にした人間関係の土台はぐちゃぐちゃになってしまう。仕事やまじめな話はそれなしではうまくいかない」
確かにそれは同意である。その議論を深堀したりするのはどうでもよくて対話そのものが楽しい。ワークショップという空間へ参加すると、実感するもので、なんだか仲良くなる。難しい話はその関係を形成してから発展させればいい。
第2部 14:30〜16:00
アーロン・ベナナフ(シラキュース大学社会学部助教)
「Automation and the Future of Work」
chatGPTは何か新しい価値を生み出せない。単語を生み出しているだけだから、良し悪しの判断はできない。しかし現存している局部的な産業部門で利用される。
平均以下の労働者よりも生産性向上を図る目的でこれが使われるという蓋然性がある。スキルの高低を峻別する労働階級がこれからもっと二分化する。つまりAIが労働市場の基準として設定されることで労働者闘争は激化するという未来が待ち受けているのは事実だろう。
労働分配率は途上国でも先進国でも低くなってる傾向にある。「資本主義経済のいかなるメカニズムも自動的に完全雇用を生み出すことはない。(オートメーションと未来の労働P263 原注)」
ほとんどのオートメーション論者が問題主張するのがUBIである。全人類は生まれてきたからには物質的に救済されなければならない。
しかし現今のシステムだと、公営化機関から全国民へ給付しなければならなくないか?資本備蓄が減退している経済社会で民間企業に政府が介入するのか?今の電力代金負担を政府がしているように....これからの未来は歴史的発展を遂げた自由市場の残滓を掃除するのかもしれない。
現代社会は、産業革命以後からのディストピアから出発してユートピアという脱希少性社会を実現する正念場を迎えている。私的所有廃絶はマルクス思想の中枢でもある。資本主義社会の終焉こそ共産主義の契機である。しかし私的所有があるから社会貢献するという見えざる手の行動原理も逆説的にはある、それは私自身がスミス自身を完全に批判して思想から捨象していないという別問題が存在しているわけだが...しかし最終的には私的所有は廃絶せねばならないという最初の問題提起を支持する。なぜなら発端は自己利益のためだとしても最終的には資本備蓄(価値増殖説ないし剰余価値概念)へ帰結するという資本論理に包摂してしまうからである。
コモンの領域を拡大することを総合的に民衆が議論することこそ未来を構想する力がある。民衆すなわち労働者には力がある。富の源泉は我々が主体となっているのである。
労働時間短縮のための闘争。
労働時間が少なくなると、絶対的に人手不足が起こる産業もある。そこの部門に別の産業が人員を補填する。経済全体として助け合う。労働時間短縮の本当の目的は労働者自身の生産性向上である。
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