さすらい者のノート
体験談をまとめてます
趣味は読書と旅行 旅行は時間と金があれば行く。 6月2-4日 沖縄 ひめゆりの塔に感動する。 6月30日-7月4日台湾 クレカ一枚持って現地へ行ったら、支払いは現金のみの店が多すぎて、ずっと散歩してた。 7月15-18日 神戸 明石で天ぷらや寿司を食べ歩き、明石海峡大橋が世界で2番目に長い橋であることを感心しながら、水平線に浮かぶ淡路島を眺めて明石焼きを食べる。 8月11-14 フィリピン 全く英語が話せないので、苦労したのは、入国審査とホテルのチェックインのみだった。犬も猫
第1部 13:00〜14:30 牧野智和(大妻女子大学教授) 「ワークショップ/ファシリテーションを社会学的に考える」 自己啓発=他人 哲学=自己 自己啓発しているのに他人を対象とするのは矛盾しているのではないか。自己を本質的に啓発(啓蒙)するのが目的では? 哲学と一言で言っても対話と省察がある。だから哲学というものはある対象を考える、という次元まで下げると、日常対話に浸透しているという事実に気づく。哲学がアカデミズムによって構造化した史実がある。それは高尚なものではなく、ご
まえがき 忙殺されていたので読書のほうへ時間を割いていたから執筆にあまり多くの時間をかけられなかった。 これはちょうど去年のクリスマスに起きた椿事を書いた私小説である。 小説を書くということは一つの信念を築きあげることである。紆余曲折しながら作品を仕上げる達成感は芸術者の立場でしか実感できない。ここ三年ほど執筆作品を公募へ投稿していたが、文学に浸っている居心地の悪さが日に日に増してきたので、これを機に文学そのものから離れようと思う所存である。 この賞に落選したということは何を
私たちの意見の多様性というのは、理性・良識の程度や有無によるのではなく、その使い方から生じてくる。形相や本質によるのではなく偶有性から生じてくる。 「良識は公平に分布されている。という発言の真意であろう。使い方によって良識つまり理性はいい方向や悪い方向へ傾くのであり、例えば無知という状態から脱却することは可能である。(精神病というものは例外になる)だからバカだの聡明だのということは即断できない。無知状態から逃れることができるのである。だからデカルトはこの理性という正しい使い方
毒は大きく2つに区分される。 それは攻守である。 守るための毒は外敵から見を守るために備える。植物に多いが毛虫のような防御力がない昆虫にも備わる。これは自然界に適応していこうとする生物の処世術か。こういう成長や生殖とは関係ない防御物質は二次代謝産物という 食中毒の被害人数が最も多いのがジャガイモである。学校給食などで使用されるのが原因であるが、ジャガイモに生じる新芽のソラニンという毒性アルカロイドが含まれるため、処理を徹底しないと食中毒に冒される。 フグは毒が好きらし
効率が悪い勉強法 ハイライト・アンダーライン:ハイライトを引いただけで脳が満足してしまうため 語呂合わせ:記憶術としてのメリットだが、勉強法として知識を活用可能な形で身につけるにはほとんど役立たない テキストの要約:実は難易度が高い。要約が得意な人の頭の中には、最初の段階から適切な情報が整然と入力されてる可能性が高いため、要約が上手い人ほど要約は不要。 テキストの再読::勉強法としては受け身。常に疑問を持ち続ける必要がある。 集中学習:集中しても、知識を詰め込めても
リーダーの失敗の原因を理解する方法は、彼らが、大方の期待に背くような行動を取ってしまう原因を体系的に究明することだ。そのためには社会理学を援用し、キャリアアップに成功し、幹部クラスに到達するまでに必要とされる適性や行動とリーダーや職場環境を評価基準やリーダーシップ教育のあり方を検討することも必要になろう。私たちは、英雄的な行動に目を奪われ、客観的な評価を行わず、それどころか評価しようともせずに済ますことがあまりにも多い。これでは、現状の改善は望むべくもない
問題と機械 問題とは課題であり、機械はそれを解く方法である。 問題とは、各入力に対して答えが〇か×か定めたもの。この答えは、これに限定されるものではない、なぜならそれを定められないものも出てくるため。 問題は一つの無限な入力を含んでいて、有限な方法で解明していく。 εの部分集合を言語という。だから、その記号に意義を持たせるため、言葉の中に言葉を内包することができる。 能動と受動の関係性により、論理立てられて操作される。 始状態数と受理状態数の投げかけと受け取りで現象は発生する
実体はモナドと呼ばれる単一実体と、それらが複合されたものである複合実体とに区別すること ができる。 『ライプニッツがカントの著作でよく語られる所以である。』 複合実体の部分は実体的なものであるか偶有性であるかのいずれかであるが、偶有性は実体的なものの外では存在しない以上、複合実体の部分が偶有性であるならば、それ自体の外に実体的なものが措定されなければならない 実体的な ものは複合体の本質ではない。ゆえに、複合実体はそのものの外にある実体的なものと複合されることなくして現実存在
宗教の自由は神の原理によって決定される。信仰とは自由を持つものであって、無信仰も寛容にならなければならない。イエスキリスト、ソクラテスは、大衆の不寛容によって殺された。カラス事件への解決を目的に本書は描かれた。この事件を読むとあまりにも酷く事実確認なんてものは度外視にして当時歪曲されたキリスト教思想を杓子定規に当て嵌めた。 当時の東洋とりわけ日本が俎上に載せられたが、寛容の代名詞くらいに述べられていた。当時だと江戸時代だったが、この時期は確かに大きな文化発展を逃したが、それ
思索する重要な役割を建築家が橋渡している。つまりある対象を完全へと芸術するには、最終的な手段は各人に委ねられているのである。私は日本が継承した美と天才芸術家が建設する芸術は上述のような理念を表出すると思っている。その空間は日本人としての素質を想起するような抱く。 造形美とは、哲学的問題であろうか。空間と時間の問題性が俎上に載せられるが、空間と時間がどっちが対象を規定しているのかということは愚問であろう。そしてこういうことを議論していると、カントの意図がすんなりと理解できてしま
客観性ってのは主観的に語るから必然的に客体を認知することなんてできないと思うんだけど。 カントが実践概念の運用が即内容的な必然性を持っていたのに、理性概念の研究をしたのはとりわけ観念に関心を抱いていて神の実在と理性の絶対性を否定したかったからだとおもうんだけど、結局のところプラトン哲学の応用にしかなっていないから、盤石な思想とは言えない。当時だと画期的だったが、答えていない問いが多すぎる。しかし知性と感性の定義化は偉業だと思う。 自然界では理性が媒介しないため、言葉を持ち
いつもの新宿駅。雑踏の中で私はある女性を待っていた。 「お待たせしました」 声が掛ったので反射的に「こんにちは」と形式的な挨拶を交わす。 彼女探しに奔走している私は、毎週いろんな女性との逢瀬を重ねていた。今日は、正体不明の天真爛漫な同い年の女の子であった。彼女の身なりは、なんとも典型的な金を持っていると誇示しているくらいシャネルで身を纏っていた。 「もえさんっていつも電車とか使ったりするんですか」 「あんま使わないですよね~普段はタクシー移動かな」 「タクシーか~都心だと色々
絵画は映像によって衰退したのか。私はこの展示を経て思ってしまった。まず絵画は古典という通史である。クラシックを聴いたり読書をする理由もそこにあり、歴史を見て現代と参照することにある。 受け取るのも現代思想としての一個人である自分と過去にいた芸術者が写術した絵画の三位一体による。芸術はあらゆることを可能にしてくれる。まず芸術を前に立つと、旅に出ることになるそれは精神世界の旅であり、神曲で描かれる旅そのものである。ルネサンスという言葉が意味するのも再生、復活であり、福音書を原理と
辞めることにも勇気がいるけど、続けることはその勇気に盲目的になって、何の成果も生み出さず、その事柄に受動的になっているだけである。 生きるということは能動であるし、生命は受動という撞着が発生するが、生きている以上能動的意思の関係付けによって我々は生きるのである。 死ぬのに勇気は必要か。死ぬのに勇気はいらない、自殺が賞賛されるのは死への能動的活動であるが、死は必然的に成されるため、勇気も何もいらないのである。死が賞賛という事柄を持ち込むこと自体、誤っていて、死ぬことというのは言