対話は難しい…
サボっていた訳ではなく、誰も投稿を期待してない中で一人でも多くの方に読んでいただくためにあれこれ考えていたら月日が経っていました。
という訳でいきなりのtwitterのリンクを貼り付けてみます。
この言葉の展開にグッときました!
「共話」初めて聞く言葉です。
12月8日に東京で開催されたsoar conferenceに参加しました。テーマは「語り」
ゲストは浦河べてるの家の向井地さん、そしてドミニク・チェンさん、しょうぶ学園の福森さん、勉強家の兼松佳宏さんという私にとっては「この日に東京に行けば北海道から鹿児島までの会いたかった人の語りを体感できる」というフルコースメニューでした!
そういった中で、全てが学びであって今のところ上手くまとめられてないのですが、入り口はドミニクさんのところで最後に少しだけお話しして下さった「共話」にあるんじゃないかな?と思いました。
言語、非言語でコミュニケーションが取れる取れないに関わらず、ココロを通わせる困難さは日頃から感じています。
自分の伝え方が悪いのもありますが、理解しようとしない、話を聴く気がない、関心がないといった状況ではもちろんですが、例えば政治家が「対話」という言葉を口にした途端に対話できてなかったり、福祉の世界や現場でも「対話は大事ですよね!」ってわかってても、わかろうとする努力をしてても、伝わらないしわからない事もある。
共話について少し調べてみて、さらにリンクを貼り付けます。 (ドミニクさんのコラムです)
共話とは互いの発話プロセスを乗っ取り合う話法であるのに対して、対話とは順番にターンテークを行い、被せ合わない話法である。共話においては発話主体が共有されることで個の区別が曖昧になり、発話内容は同期的に生成される。対話では、発話主体は明確に区別され、相手が言ったことを受けて次の発話内容が決まる。だから、共話のなかでは、個の認識がコミュニケーションの場に融け込むが、対話では個々の差異が明確になる。
(上記サイトの本文引用)
外国語を話せない私がどの言語より日本語がどうかであったり「共話」と「対話」のどちらが優れているとかではないが相槌であったり、阿吽の呼吸やツーと言えばカーというやりとりは「共話」なのかなと感じた。
「言わずもがな」「暗黙の了解」「本音と建前」「談合」などもどっちでもなかったり、どちらにも当てはまったりと考えると「共話」という言葉を今まで知らなかった自分が恥ずかしくなってきました。
「対話」に行き詰まったら「共話」の視点で考えたり、その逆で考えると少し楽になったと思います。チャンネルが増えた感覚です。
soar conferenceは「語り」のテーマでこの(濃厚でコクのある)4人のゲストで1日で終わらそうとするのは強引かもしれない。(笑)
10時から18時ではもう少し掘り下げて知りたいと思う反面、終わった時は頭の中はグルグルまわっていました。お腹も胸も頭も一杯になりました。
ドミニクさんと活動を知ることが出来て、自分の日々の活動や生活を見つめ直す事も出来ました。
検索サイトなどが洗練されてきて、自分のほしい情報が手に入れやすくなった分、前から薄々気付いていましたが、偏った情報のみ収集し、スマホに依存し過ぎて、大切な時間や何かを失っていないかと思う事も増えました。
ドミニクさんがトークの冒頭で紹介して下さった動画はこちらです。
振り返りながら、まとめて自分のモノにしてこれからの生活に役立てていきたいと思います。
べてるの家の向井地さん、しょうぶ学園の福森さん、勉強家の兼松佳宏さんのトークも紹介したいのですが、また機会があればゆっくり紹介したいと思います。この日のsoarスタッフをはじめ、モデレーターのみなさんの手作り感満載の進行とおもてなしもココロが温まりました。
「人の可能性を広げる」soar 自分の可能性も広げてくれます。
なんちゃってクリエイターの私が人にすすめても、反響も少ないでしょう。
一人でも多くの人にsoarを知ってもらい、人の可能性が広がり、生きる希望や勇気を得る方が増える事を応援して願っております。
(注)あくまでも私の感じた事をそのまま書きました。著作権をはじめ内容には充分気を付けているつもりですが、誤った、事実と違った表現をしている場合はお知らせ下さればありがたいです。
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