切り口自由入射角自由
大学2年の半ばだった。ゼミを変える決断をした。きっかけはM先生の授業を受けたことだった。授業名は定かではないが、哲学書・思想書を一冊みんなで読んでいき討論する授業だった。半年間書物を深読みしていく作業は初めてだった。M先生が5、6冊本を持って来てぼんっとコの字のテーブルに投げた。「こん中から決めて〜。」朗らかな口調で、視線が定まってない先生は開始時間の5分後に教室に入ってきた。なんやかんやでルソーの『社会契約論』に決まった。絶対王政のダメ出しから始まり、社会が行き過ぎたり止まったりしないような仕掛け・鎖の法則を説いている本だ。この本が僕の人生に与えた影響はかなり大きい。と言っても、完全に思想を理解している訳でも無しに、ただ1つの気づきが影響を与えてくれた。それは、「民衆を支配している王政は、民衆に依存し民衆からも支配されている。」ということだ。それまでの僕は王様が酷い人だったら弱い人たちが苦しめられちゃうね、ぐらいにしか思ってもいなかった。そしたら王様にも首輪が着いているなんて知って腰を抜かした。やった作業と言えば、王政の仕組みと民衆がどういう支配をされているかという事を紐解いただけだった。新しい光が頭の中に芽生えた瞬間だった。とても忘れられない、嬉しい出来事だった。
M先生に「先生にご指導いただきたいです。」とお願いしたところ、2つ返事でOKが出た。先生は不思議な人だった。学校の外を歩いていると、ぴょんぴょん跳ねながら教員寮に帰っていく先生を見かけたり、本を読みながら歩いている先生を見たり。ゼミには僕と1つ上の先輩がいて、先生と3人でひたすらおしゃべりをして過ごした。先生はケラケラといつも笑っていた。他愛のない話でも楽しそうに質問してきた。女性の先輩は先生をいつもからかっていた。「先生、屁理屈!嫌われますよ。」とか、写真を嫌がる先生を追い回して「写真撮りましょうよ〜。」とか言っていた。写真に関しては、先生は小学生みたいにゼミの教室内を走り回って逃げていた。
ある授業で僕しか受講者がいなかったので、デカルトの『省察』を先生と2人で毎週読んでいくことになった。とても充実した時間になった。デカルトは人間が明晰に表象することができるものは、客観的にも存在すると唱っていた。「じゃあ、逆に明晰に表象することができないものは何だろう。」という問いを投げられた。「白い黒、とかですかね。」と答えた。先生はケラケラと笑い、「他には?」と聞いてきた。「丸い三角、みたいな。」先生は涙を浮かべて笑っていた。「いいですね。」『省察』を先生と2人で深読みしたおかげで、近代哲学を勉強するにはいい助けになった。古典哲学も近代哲学との対比で勉強しやすくなった。先生はカントの研究をしていたので、カントも齧った。『純粋理性批判』を初めて読んだ時、デカルトの下地もあって抵抗がなかった。それからのめり込む様にして哲学書・思想書を読んでいった。
勉強をしていると言っても、本を読んで解釈するだけ。先生のような深い洞察と発想には遠く及ばない。1聞いたら50くらいになって返ってくるM先生は、将棋の棋士に見えた。僕には見えないけど、先生には見えてる世界があるんだ。僕は1聞いたらせいぜい3くらいまでしか発展させられない。「先生はどこまで考えられるんですか。」と聞いたことがある。「僕が考えているのは、このモヤモヤをどう言葉にしようかということなんだ。これが言葉にできたらなー。」どこまで考えられるか、には答えてもらえなかったがこういう作業を1人でしていることは分かった。先生は少なくとも思考停止はしない。問題があるとして、さまざまな切り口で眺める。問を立てる。自分なりに答える。問に問を立てる。問題に立ち戻り別の問題を考える。また、問題自体を考える。頭をぐるぐる回しまくっている。先生は疲れてくると、眼振を起こす。本を読み、考える。考えまくる。アスリートじゃないかと思った。
卒論はフッサールの時間概念解釈をテーマした。フッサールの時間概念はどう構築されるかを研究した。4年の途中から卒論が手につかなくなり、ゼミに行かなくなった。先生は何度も電話をかけてきたが、僕は逃げて無視をした。思想を学ぶのは楽しかったけど、自分だけの論なんて書ける訳ない。先行研究読むので精一杯だ。卒論の締め切り間近になって先生の電話に出た。「すみません、先生。全然できてないです。教科書しか作れません。」そしたら先生は笑っていた。「生きてた生きてた。大丈夫?とりあえずできたところまで見せて〜。」ありがたかった。先生は論文を見ると、「いいですね。あと、ちょこっと自分が思ったこと載せればいいよ。」と言ってくれた。後から見ると、不甲斐ない卒論だった。先生は通してくれた。「卒論できたね。色々楽しかったよ。」と言ってくれた。
卒業祝いに先生は『哲学の木』という事典をプレゼントしてくれた。ゼミ中に「あれ欲しいんですけど、高くて買えないんですよねー。」って言った事を覚えてくれていた。一生の宝物だと思う。汚れるくらい読んだ。今も読んでいる。最初に書いた様に、ちょっとした本との出会いから学びが充実した楽しい大学生活だった。切り口も入射角も自由な学びを学べたことは、大切にすべき貴重な事だと思った。